桐生市事件——生活保護行政は生まれ変われるか

小松田健一(東京新聞事業局出版部)
2024/10/05
桐生市のホームページ「生活保護制度」のページより。

※『地平』2024年11月号に2025年3月17日加筆。

 「桐生は日本の機(はた)どころ」――学校単位の競技大会が開かれるなど教育に組み込まれていることもあり、だいたいの群馬県民が読み札をそらんじることができるといわれる「上毛かるた」。そこで「日本の機どころ」と詠まれた桐生市は、かつて国内有数の機織物産地として隆盛を誇った。数多くの登録有形文化財が並ぶ市街地は、群馬県内の中でもずば抜けて美しいように思う。

 それとは少し場違いな雰囲気も漂う、上部が宇宙船を思わせる楕円形の建物となっている美喜仁(びきに)桐生文化会館。最上階に置かれた「スカイホール」と称する大会議室の窓からは、北方の山並みと市街地を貫く渡良瀬川を一望できる。ここは、数々の問題が指摘された生活保護行政をめぐって桐生市が設置した第三者委員会の会場でもある。

 市は2024年3月15日、就任が決まった委員4人を公表した。元群馬弁護士会長の吉野晶氏、群馬県社会福祉協議会長の川原武男氏、同県社会福祉士会長の新木恵一氏、群馬大学教授の小竹裕人氏だ。このうち、吉野氏は消費者問題に長く取り組み、日弁連では貧困問題対策本部委員を務めた。現在・過去とも桐生市政と接点はなく、第三者委員として申し分ない識見の持ち主である。しかし、残る三氏の人選には生活保護問題に取り組んでいる識者や支援団体関係者から疑問の声が上がった。

 川原、新木両氏は元県職員で、かつ健康福祉部長の経験者だった。同部は桐生市の生活保護行政を監査する立場にある。小竹氏の専門分野は政策立案過程などを研究する公共政策論で、社会保障や社会福祉ではない。市が2018~19年度、地域の価値を高める施策を検討するため設置した会議で委員長を務め、市政に関与したことがあった。三氏は桐生市との利害関係が皆無だったとはいえず、公平公正な検証が可能か危惧されていた。ただ、初回委員会終了後の記者会見で、三氏は市の姿勢をただしていくと明言した。

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調査結果

 委員会は本稿執筆の9月中旬の時点で4回開かれている。初回では「1日1000円」などの保護費分割支給について、市の内部調査チームによる職員への聞き取りで判明した14件のうち、ケースワーカーが生活保護利用者ごとに状況を記録する「ケース記録」に記載していたのは1件だけだったことが明らかにされた。この点は吉野委員長以下4人の委員全員が「問題がある」との認識で一致した。また、8月21日の第4回会合では、この聞き取り調査の結果が公表された。調査は2010~23年度に生活保護業務に従事した職員43人を対象とした。「1日1000円」の分割支給で未払いだった現金を市が課内の手提げ金庫に預かっていた点を「公金管理としてあり得ない」と指摘するなど、市に対して厳しく向き合っている。

 第三者委員会と並行し、群馬県も動き出していた。県は6月21日、桐生市に対して実施していた特別監査の結果を公表した。特別監査とは、年に1回、すべての福祉事務所へ実施する一般監査とは異なり、特定事項に問題があったり、保護動向に特異な傾向がみられたりする場合に実施される。1月から2月にかけて計6回、県健康福祉部職員が桐生市役所で立ち入り調査し、2018年4月~23年12月の書類830件を調べ、市福祉課職員11人に聞き取りしたという。新たに明らかとなった事実は私を驚かせた。県は、保護者数が2011年度から22年度にかけて半減した理由を「いわゆる水際作戦が疑われる」と結論づけた。また、未払い分を預かった行為は「地方自治法違反」と断定した。

国家賠償訴訟

 7月19日には「1日1000円」の被害者ら二人が原告となり、桐生市を相手取って損害賠償と慰謝料を求めた国家賠償訴訟の初の口頭弁論が前橋地裁で開かれた。市は支給額が満額に届かなかった点の違法性を認めたものの、分割支給は「原告の合意を得て行なった」と主張し、訴えの棄却を求めた。今後の法廷で、市の決定過程など詳細が明らかになるものと思う。原告側の斎藤匠弁護団長は「類似事例の判例はない」としており、判決内容によっては今後の生活保護行政に大きな影響を与えるだろう。

 4月3日の提訴に際しての記者会見では二人の原告が、弁護団を通じて「私のような苦しい思いをする人が二度と出ないようにしたい」「立場の弱い人が苦しまないようにしたい」と、それぞれコメントを寄せたのが印象的だった。請求した損害賠償額計55万円のうち、慰謝料は1人25万円。お金目当てではなく、憲法25条が規定する生存権が保障される社会との願いを込め、原告と弁護団が話し合って決めたという。

「市役所からの仕返しが怖い」

 あるベテラン県議とこの問題について話す機会があった。「桐生市のやり方が正しいとは思わないが、生活保護を受ける人にも問題はあったのではないか」と発言したので、筆者は「仮に何らかの問題があったとしたら、法にもとづいて対処するべき。支給する側が違法行為をしていい理由にはならない」と反論した。「それはその通りだ」と納得してくれたが、生活保護の問題が内包する偏見の強さを実感した。

 こうした偏見は、当事者の口を重くし、真相解明の壁となって立ちはだかる。3月に急逝した仲道宗弘司法書士が立ち上げた「反貧困ネットワークぐんま」は現在、事務局業務で仲道氏を支えてきた町田茂氏が引き継いでいる。町田氏は1月から3月にかけ、生活保護利用者が多く暮らすとみられる市内の県営・市営住宅を中心に情報提供を求めるチラシを約4000枚配布した。配布後に35件の情報が寄せられたという。しかし、町田氏は困惑した。市から受けた具体的な被害を聞こうとしても、大半の人が口をつぐんだのだ。なぜなのか。異口同音に「市役所からの仕返しが怖い」という答えが返ってきた。電話口の声は「自分だと分かれば何をされるか分からない」と、明らかに怯えていたという。

 年齢や年代だけでも聞き出そうとしたが、それすらも口が重い人が大半だった。声の調子から多くが中高年男性と推測するのがやっとだった。困窮し、生きるための最後の手段として生活保護へ救いを求めた人びとだ。桐生市の「水際作戦」の苛烈さは小林美穂子の報告(本誌7月号)に詳しい。職員の相談者への暴言やぞんざいな扱いは日常茶飯事で、一連の問題が表面化するまでは申請書を受け取るのも一苦労だったという。さらに、保護へたどり着いても平安を得るには至らなかったということだ。そこまで市民を追い込む生活保護行政とはいったい何なのか。

責任ある二つの組織

 桐生市の横暴について重い責任を負わなければならない二つの組織について触れたい。その一つは桐生市議会である。同市議会が公表している2003年3月以降の本会議と特別委員会の議事録を「生活保護」で検索すると、今年の3月定例会までで1006件がヒットするが、当局の予算説明などを除き、市の生活保護行政をただした質問は野党の日本共産党と保守系のごく一部の議員に限られていた。議会が「大政翼賛会化」して執行部との緊張感が緩み、監視機能が失われていたことがうかがわれる。

 そして、メディアの責任にも自戒を込めて触れなければならない。市議会で生活保護をめぐる諸問題が取り上げられた際、それを報じたり、独自に取材したりするメディアは、筆者が所属する東京新聞を含めて皆無だった。

 違法、不適切な行為をする行政当局が何よりも恐れるのは、予算や法令の議決権を持つ議会と、問題を市民に向けて報道するメディアだ。議会の多数派が問題を黙殺し、メディアも関心を持たなければ、まさにやりたい放題となる悪しき一例といえる。

 新聞社は購読部数減少に歯止めがかからず、経費削減のため取材網を大幅に縮小する傾向にある。そのことが地域の諸問題を報じる力を弱めている。東京新聞も、群馬県内の記者は筆者が8月末までその職にあった前橋支局長を含めてわずか4人だ。支局内に置かれている20年ほど前の古い社員名簿を見ると、その倍はいた。

 数があればいいというものではなく、個々の記者が問題意識を持つ必要があることは言うまでもない。しかし、現状は日々の紙面を埋める仕事に追われ、腰を据えて取材に取り組むことが困難さを増している。「権力監視」はジャーナリズムが果たすべき重要な役割だが、私企業として持続可能な安定経営がその基盤となる。経営環境が厳しさを増す中で現場の記者が苦闘していることも同時に知ってほしいと思う。

 筆者は9月1日付で東京本社出版部へ異動し、以後の取材は後任者に託した。本稿掲載の本誌発売日前日の10月4日には、国家賠償訴訟の第2回口頭弁論が開かれたはずだ。市の第三者委員会は来年3月まで月1回ペースの日程が組まれており、直近では8月21日に第4回会合があった。その席では、市の内部調査チームによる調査結果が公表され、利用者からの印鑑預かりは1989年頃、分割支給は2003年頃からそれぞれ行なわれていたことが判明した。内部調査に限界はあるとはいえ、長期間にわたり慣例化していた異常な制度運用の一端に迫ったことは評価したい。

 荒木恵司市長は昨年12月の記者会見で「生活保護行政を生まれ変わらせる」と言明した。そのためには、目に見える形での改善がなされなければならない。言葉だけに終わらせないためにも、市民とメディアが常に目を光らせる必要がある。

 ことし3月14日に第三者委員会の最終会合が開かれ、同月28日に荒木恵司市長へ報告書を提出する段取りが決まった。この日のハイライトは、第三者委が1月に市民を対象に実施した情報提供の概略が明らかにされたことだ。寄せられた情報は115件あり、特筆すべきはこのうち6件が市職員とする人物からの情報だった。

 その一つが、2018年から24年3月ごろの話として「保護係の職員による(生活保護利用者への)恫喝、罵声は日常茶飯事で、他課職員でさえ聞くに堪えない内容だった。誰も制止しなかった。自浄作用がない」と書かれていた。また、生活保護利用者を「ろくでもねぇ」などと言ってはばからない職員がいたとの記述もあった。匿名の情報提供ゆえ、真偽の確認には慎重を要する。とはいえ、内容には具体性があり、桐生市福祉課の窓口対応に大きな問題があったことを類推させるには十分なものとなっている。それだけに、第三者委員会がこの時点で真相解明と再発防止策を検討するための歩みを止めていいのだろうかという思いが募るのだ。

 一連の問題については、生活困窮者の支援へ精力的に取り組んでいる「つくろい東京ファンド」スタッフの小林美穂子さんとの共著『桐生市事件』(地平社、2025年3月28日発売)で詳述している。ぜひご一読いただきたい。

小松田健一

(こまつだ・けんいち)東京新聞事業局出版部。1968年生まれ。2022年7月~24年8月、東京新聞前橋支局長。24年6月に「地域・民衆ジャーナリズム賞2024」受賞。

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