(これまでの記事)
・ネット空間の検閲を望んでいるのは誰か(上)──政府主導の誤情報対策の罠
・ネット空間の検閲を望んでいるのは誰か(中)──独立した団体を装うメディア
事前に届いていなかった有識者会議報告書案
2024年夏、「ネットの偽情報 事業者に対策を徹底させよ」と題した読売新聞の社説(同年7月17日)を見て、我が目を疑った。
「インターネットを通じて虚偽の情報が拡散する状況は放置できない」 「政府が主導して対策の強化を図っていかなければならない」
社説は、総務省有識者会議が「SNSを運営する巨大ITなどに対し、投稿の削除などの対応を迅速に行うよう求める報告書案」をまとめたと指摘。偽情報の「削除」「排除」という単語を7回も使い、政府や事業者に実効性の高い制度に向けてはっぱをかける内容だった。
中身もさることながら、タイミングにも驚いた。
社説が取り上げた「報告書案」は前日午後5時スタートの会議で明らかにされたばかりで、全部で353ページもあった。一面と社会面でも大きく報じ、「情報空間の汚染の広がりに対し、今回の整理は妥当な内容だ。スピード感のある議論が行われた」と手放しで評価するコメントも掲載されていた。日本ファクトチェックセンター(JFC)の運営委員も務める平和博・桜美林大教授だった。
「報告書案」は、この連載で何度も触れてきた総務省「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」(座長・宍戸常寿東京大教授)がとりまとめたものだ(以下「総務省検討会」。正確な名称は「とりまとめ(案)」、最終版は「とりまとめ」だが、以下「報告書案」「報告書」と記す。有識者の構成員は「委員」と記す)。
7月16日の会議で示された報告書案は、約2週間前に示された素案から全体で8ページ増えていた。一体どこをどう加筆修正したのか、筆者は所管する総務省(情報流通適正化推進室)の職員に問い合わせたが、翌日「確認しようとしたが、わからなかった。新旧対照表のようなものがなくて……」とすまなそうな返事があり、驚いた。
しかも何と、この報告書案は「事務局から事前に届いていなかった」(複数の有識者委員)という。委員は、会議直前に総務省サイトに公開された膨大なファイルを自らダウンロードして確認していたのだ。会議冒頭で、事務局の職員が今回の会議資料は9点用意していると説明し「万が一お手元に届いていない場合がございましたら、事務局までお申しつけください」といかにも送付済みのような言いぶりだったが、実際は「ギリギリまで調整が続き、事前に送付できていなかった」(同省職員)のだ。
だが、松本剛明総務大臣は、偽・誤情報の削除などを含めて「制度整備も必要ではないかというご提言だと受け止めている」として今後の法整備に言及した(7月19日会見)。こうして、多くの委員が直前に350ページ超の文案を見せられて、一度の会議(約2時間。3名欠席、2名途中参加・退席)だけで“提言〟として既成事実化したのだった。これが「総務省の有識者会議がまとめた報告書案」とメディアに報じられた報告書案をめぐる一断面である。
この検討会は1月中旬以降の半年間で33回、一時期は週2回という異例のペースで開催された。筆者も時々会議を傍聴したが、多岐にわたる論点と大量の資料、長文の報告書案などを多忙な委員が咀嚼し、問題点を洗い出すのは至難の業だと思われた。だが、委員の一人は「そもそも委嘱をされた時点では論点整理が目的で、法整備に向けた政策提言まで出すとは聞いていなかった」と明かす。
実際に政策提言の中身を検討したのは、法学者と弁護士だけで構成された8名のワーキンググループ(WG)だ。7月16日に“了承扱い”となった報告書案のうち、WGの提言部分は別冊で「中間とりまとめ案」という表題だった。秋も当然継続するものと認識していた委員もいたが、3日後にパブリックコメントに付された報告書案からは「中間」の文字が消されていた。再開後の9月4日の会議では、一部修正された最終版が“了承扱い〟となった後、突如「今日が最終回」と宣告された。「中間」が消えた経緯について、事務局や座長から釈明はなかった。
この日欠席した委員は7名。筆者の取材に応じた複数名が「会議の後で解散を知った」と証言した。前日夜に事務局から修正版が送られてきたが、これで最後とは全く書かれておらず、解散とは思ってもみなかったという。
報告書案には多くの批判や懸念が寄せられ、パブリックコメントで寄せられた意見は1700件を超えていた。だが、玉田康人総括審議官は「総務省として、このとりまとめでご提言をいただいた総合的な対策を着実に進めてまいりたい」と意に介さない様子だった。案の定、解散から1カ月後、新たに「デジタル空間における情報流通の諸課題への対処に関する検討会」を設置。JFCの問題を追及していた奥村信幸武蔵大教授を外す一方、批判を浴びた制度案をまとめた旧検討会の山本教授らJFC関係者は全員再起用し、宍戸座長のもとでの議論を再開させたのである。
投稿取り締まり促進案への危惧
報告書案の骨格が明らかになるにつれ、楽天などネット企業が中心の経済団体「新経済連盟」などから「国による裁量がかなり大きく過度の介入になる可能性(がある)」「副作用への懸念・考慮を欠いている」などの懸念が相次いだ。論点は多岐にわたるが、ここでは、ファクトチェックや表現の自由に関わる提言に絞って、問題点を明らかにする。