「特集・軍事化される西日本」のほかの記事はこちら
有明海の海苔を口にした人は多いだろう。その生産者が軍事基地阻止、反戦、環境保護の闘いの前面に立っている。辺野古と同じ状況が佐賀に起きているのである。佐賀空港隣接地でのオスプレイ基地建設工事が着々と進んでいる。
ほんの10年ほど前まで、県や市の行政も、そして県民世論の多数も、基地建設に反対であった。しかし2018年に現知事の山口祥よし義のり氏がこれを容認し、その4年後には空港開設にすら反対であった沿岸の漁協も懐柔された。すなわち2022年11月に有明海漁協が県との「覚書付属資料」の変更を容認するという事態になり、それから政府・防衛省と県は一気に建設計画を進めた。
2023年6月13日に始まった工事は週末も続けられ、隊舎など巨大な建物が次々と姿を見せている。当初は土砂を運ぶダンプが佐賀の街をひっきりなしに走り抜けており、私はその姿が見るに耐えられず「体を張ってでも止めなければ」と、現在の阻止行動にかり立てられた。
目下、地権者による裁判、市民による「人格権」裁判、県の不当・不正な行政に対する住民訴訟、私たち「オスプレイストップ! 9条実施アクション佐賀」による現場での工事阻止直接行動と、多様な抵抗が行なわれている。しかし、地元TVニュースが伝える「年間最大約1万7000回離着陸」がいよいよ現実感をもって迫ってきている。
筆者は空港建設自体が問題になっていた1980年代初めに佐賀大学に赴任し、以来、空港とオスプレイの問題に、時に市民運動にも参加しながら関わってきたが、退職して佐賀が少し遠くなった後、この問題にむしろ強くコミットすることになった。本稿はその報告である。
政府・県の動きと市民運動
現在のオスプレイ問題以前に、空港建設(1998年開港)そのものに有明海の海苔漁民から強い抵抗があった。佐賀県が現在地に空港建設を表明してから12年後の1981年8月、空港建設予定地の川副町の臨時町議会は空港建設促進を決議しようとしていたが、反対する漁業者1500人によって議会開会が実力で阻止されている(注1)(5年後に議決)。巨大施設による漁場汚染への懸念からと思われるが、空港軍事利用の否定を謳った前述の「覚書付属資料」もまた、その本体は「公害防止協定」である。
この漁民の抵抗の拠り所となった「覚書付属資料」の合意は、空港開港8年前の1990年3月に遡る。漁業者らの、環境汚染、そして軍事利用に対する懸念から、佐賀県と有明海8漁協との間で、「佐賀空港建設に関する公害防止協定」が結ばれたが、この付属資料の中では「自衛隊との共用はしない」と明記されていた。協定の名称には「公害防止」とあるが、それとともに、戦争体験にもとづく当時の漁業者の反戦・平和の考えがその背景にあることを、西日本新聞2019年5月23日付が次のように伝えている。
なぜ、この一文が盛り込まれたのか。当時の経緯を直接知る漁協関係者がほぼ他界した中、南川副漁協の青年部長だった川崎直幸さん(69)は「空港利用客が伸びると思えず、赤字状態が続けば県は国に身売りするのではないかと考えていた」と明かす。漁協幹部の多くが戦争体験者で、軍事基地化への懸念があった。
協定書に共用否定の一文はなかったが、漁業者側の強い要望で付属資料に盛り込まれた。「この一文は悲惨な戦争を経験した先人たちの遺言。その思いを裏切るわけにはいかない」
政府が佐賀空港へのオスプレイ配備計画を持ち出したのは2014年7月、当時の武田良太防衛副大臣と古川康知事との面会においてである。席上、米軍普天間基地の沖縄県名護市への移設までの間として、米海兵隊オスプレイの暫定利用のことまで話している(日経新聞2014年7月22日付)。古川知事はその4カ月後に衆院選出馬のため辞職し、後任の現職・山口祥義氏に引き継がれることになった。ちなみに両者とも総務省の官僚出身である。