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二〇二五年一一月に行なわれたニューヨーク市長選で、政治団体「アメリカ民主的社会主義者」(Democratic Socialists of America, DSA)に所属するゾーラン・マムダニ氏が当選した。さらに同月に行なわれたシアトル市長選でも、マムダニ氏と同じく「民主的社会主義」を主張するケイティ・ウィルソン氏が当選している。マムダニ氏もウィルソン氏も民主党員だが、その左派として「社会主義」を掲げ、民主党主流派に属する現職を破って当選を果たした点に、ここでは注目したい。
この選挙結果を理解する一助として、米ギャラップ社の世論調査が興味深い。同社が二〇一〇年から実施している「社会主義」(socialism)のイメージを尋ねる調査で、「肯定的」と回答した人の割合は二〇一〇年の36%から二〇二五年の39%と、一貫して三分の一から四割程度の人が「社会主義」に良いイメージを持っていることがわかる。特に注目すべきは、最新の二〇二五年の調査で、一八歳から三四歳の若年層では「社会主義」に「肯定的」とする回答が49%にのぼり、「否定的」の46%を上回っていることである(1)。また、イギリスのYouGov社による二〇二四年の世論調査では、「社会主義」に「とても好意的」「やや好意的」を合わせると38%で、「とても否定的」「やや否定的」の合計36%を上回る(2)。
翻って、もし同様の世論調査を日本で行なったならば、どのような結果が出るだろうか。「社会主義」に肯定的な回答の割合が、アメリカ・イギリスよりもはるかに低くなるのは確実だろう。現在の日本のメディアには「社会主義」に好意的な言説がほとんど存在しないからである。そもそもこのような世論調査を行なう発想すらあるまい。
なぜ日本では「社会主義」のイメージがかくも低調なのだろうか? アメリカのように「社会主義」が再び政治的オルタナティブとしてよみがえる可能性はあるだろうか? そもそも「社会主義」とは何だろうか?
本稿では以下、日本における社会主義の受容と発展、そして衰退の歴史を振り返りながら(3)、社会主義の現在と将来の可能性について考えたい。
3 日本における「社会主義」概念の形成と変化の過程については、拙著『日本社会主義思想史序説』日本評論社、二〇二一年、第一章、参照。
一九世紀の社会主義思想と日本
近代思想としての「社会主義」(socialism)は、産業革命とともに資本主義が急速に発展し始める一九世紀初めのヨーロッパで生まれた。その頃、イギリスやフランスでは、新興の資本家たち(ブルジョアジー)が織り成すきらびやかな都市生活の光の陰で、旧来の職人・小生産者・小農民らは賃金労働者(プロレタリア)へと転落、貧困と病気にあえぎながら次々と息絶えてゆく、スラムの広大な暗黒世界が広がっていた。
こうした資本主義の矛盾を直視し、その暗黒から社会を救済しようとする一群の知識人がフランスとイギリスに現れた。サン=シモン、フーリエ、オーウェンおよびその弟子たちである。彼らはやがて「社会主義者」(socialist, socialiste)の名で呼ばれるようになり、一八三〇年代にはこの語が定着する。彼ら初期社会主義者たちの思想は多様だったが、資本主義の無秩序性・搾取性を批判し、平等・調和・協同・連帯を理念とする新しい労働組織に基づく社会を創り出そうとした点で共通する。
一八四〇年代フランスに登場したプルードンは、多くの問題意識を初期社会主義者たちと共有していたが、国家権力を否定し、自発的結社に基づく自由な連合を志向した点で独創的だった。その思想はアナーキズムと呼ばれ、ロシア人バクーニンによって都市と農村を横断するコミューンの連合と集産的所有の主張に組み替えられた後、工業化の未熟な南欧諸国とロシアに広まった。その際にロシアでは、農村共同体(ミール)の自治を将来社会の中核とする思想と結びつき、ナロードニキの運動が展開された。
一方、初期社会主義やプルードンの資本主義批判、協同・連帯の理念などを継承しながら、一八四〇年代後半に登場したのが、ドイツ人のマルクスとエンゲルスである。二人は、やがてマルクス主義と呼ばれるようになる理論体系を打ち建てた。その核心は二つある。一つは、資本主義の構造とその内在的矛盾を解明する経済学であり、もう一つは、いわゆる歴史の発展法則に階級闘争論を結び付けて資本主義から社会主義への移行(生産手段の私有からその公有=社会的所有へ)の必然性を説く唯物史観である。二人は、自ら「科学」を称する一方、それ以外の社会主義思想を「空想(ユートピア)」的・「非科学」的なものとみなし、激しい思想闘争を行なった。
こうした多様な思想的系譜に由来する各国の社会主義者たちや労働者団体の連合体として、一八六四年にロンドンで国際労働者協会(第一インターナショナル)が結成された。その理論的指導者としてマルクスが目覚ましく活動したことから、マルクス主義の影響力はしだいに拡大したものの、国際的な反資本主義運動の中で必ずしも主流の地位を占めたわけではない。例えばイギリスやアメリカでは、労働組合主義やオーウェン派を継ぐ協同組合主義の勢力が強く、それらと結びついて倫理的改革を強調するキリスト教社会主義が根を張っていた一方、マルクス主義の影響力は微々たるものだったのである。
さて、日本で最初に社会主義思想が紹介されたのは、第一インターナショナルでマルクス派とバクーニン派が激しく対立していた一八七〇年、啓蒙思想家の加藤弘之と西周によってである。彼らは、西洋の資本主義的経済制度を導入することが明治維新後の新しい国家づくりのために必要だと考えていた。そこで西洋の経済思想のうち、資本主義に反対するsocialismを、有害で危険な思想・制度として非難したのである。
一八七〇年代末から八〇年代前半にかけての自由民権高揚期、社会主義は「社会党の説」と呼ばれ、活発な議論の対象となった。多くの民権家は資本主義の発展に親和的な立場から「社会党の説」を退けたが、これに好意的な人びとも現れてくる。一八八二年に長崎で結成された東洋社会党は「社会党の説」の影響を受けた政治結社で、「社会公衆の最大福利」「平等自主」を主張、小作人の闘争を支援した。だが政府はこれを危険視し、結社禁止処分にした。
一八九〇年代になると、主にキリスト教界の人びとによる社会主義の研究が本格化する。それはアメリカの「社会福音運動」と呼ばれるキリスト教会の社会改革運動や、それと結びついたキリスト教社会主義の影響を受けたもので、組合教会(会衆派)の機関誌『六合雑誌』には、労働や貧困をめぐる社会問題そして社会主義にかんする記事が多く載せられた。同誌は一八九〇年代後半になると、片山潜・安部磯雄らキリスト教社会主義の影響を受けてアメリカから帰国した人たちを編集者・執筆陣に迎え、社会主義思想を盛んに啓蒙した。彼らを中心に、次代の社会主義運動の核が成長してゆくのである。










