防衛省が進める「もう一つの基地移設問題」がある。米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市移設計画だ。那覇軍港は、沖縄の玄関口である那覇空港から中心市街地に向けて車を走らせるとすぐ左手に見えてくる。跡地利用への期待は高いが、1974年の合意から約50年経過しても返還が実現していない。沖縄県内で代替施設を設けることが返還の条件とされているためだ。
現在の計画では、浦添市西側の海を埋め立て「T字型」の軍港を造ることになっている(本誌2月号の平良いずみ氏の報告も参照)。
移設先となる浦添市の市長選が2月9日に投開票され、軍港受け入れを容認する現職の松本哲治氏が4選を果たした。普天間飛行場の名護市辺野古移設と異なり、県や那覇市、浦添市はそろって容認の立場を取っている。一方で県民・市民レベルでは反対の声も根強い。
県内移設条件が足かせ
米陸軍が管理する那覇軍港は沖縄の日本復帰以前から、物資集積や輸送拠点の役割を担ってきた。ベトナム戦争期には那覇軍港から兵士が派遣されるなど、重要な後方支援拠点だった。1968年には米原子力潜水艦が入港した際に放射性物質コバルト60が検出される問題も生じた。
軍事機能の維持を条件とした返還合意には当時から批判の声があり、移設先の選定は難航した。返還合意が決まった当時、琉球新報は「返還ではなく空手形をもらったようなものだ。意味がない」との平良良松那覇市長(以下、肩書きは当時)の言葉を伝えている。
1995年5月の日米合同委員会で移設先が浦添ふ頭地区内と決まった際、浦添市は「西海岸開発事業に著しい障害になる」と強く反対した。だが、1999年に稲嶺恵一知事が政府案の受け入れを表明し、2001年に儀間光男浦添市長も受け入れを表明した。
2013年には、移設反対を公約に掲げた松本氏が浦添市長に当選したが、2015年に「市益の最大化を図り、本市の持続的発展のため受忍すべきと決断した」と公約を撤回した。玉城デニー沖縄県知事は2020年、那覇軍港の先行返還を要請したが、政府は受け入れなかった。県内移設条件が足かせとなって基地の返還が実現しないのは、普天間飛行場と共通する問題だ。
「現在の機能維持が目的」?
那覇軍港の代替として浦添西海岸沖に造られる軍港の面積は約49ヘクタールとなる予定だ。防衛省によると、代替施設の周囲約50メートルは米軍提供水域となる。事務所や倉庫のほか、車両の付着物を洗い落とす洗浄ラックや冷蔵コンテナへの電力を供給する冷蔵用電気出力を整備する。