「特集・軍事化される西日本」のほかの記事はこちら
経済の低成長、そして少子化と超高齢化の進展がつづく中、日本の国家財政の低迷は必然といえよう。社会福祉や医療・教育などに関わる予算が厳しい削減圧力にある中で、防衛予算もその例外になるはずはない。ところが、福祉など生活に不可欠な予算に比して、現在の防衛予算は「倍増」の政治的な掛け声のもと、野放図と言える状況にある。
実際、近年の防衛費の推移(下図)を見てみると、2012年までは漸減状態が維持されていたことがわかる。それが、第二次安倍政権が発足して以降、減少傾向が反転して右肩上がりとなり、そして岸田政権下の安保三文書策定により、爆発的とさえ言える防衛予算の急激な増額が始まった。このグラフを見て「異常」と感じない者はいないだろう。各省庁の予算をめぐっては、総額を削減していくシーリングや、新規事業は財源がなくては立ち上げられないこと等、さまざまな制約が課されている。その一方で、憲法9条という最大の制約を超越してしまった防衛費については、いまや「聖域」扱いされ、何の歯止めも利かない状態になっている。

繰り返すが、高齢社会の進展にともない、社会保障関係の国庫支出は必然的に増加する。その自然増の金額は2015年まで「年間1兆円程度」と国会等でも政府は答弁していたが、安倍政権下の2016年度の「骨太の方針」で「5000億円程度に圧縮」とされた。2025年度予算案に関しては、増額は4400億円となっている。
また、ここで想起しておきたいことは、かつては教育関連の予算額が防衛予算を遙かにしのいでいたことである。それは「ユネスコ憲章」前文にある「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」「文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、かつすべての国民が相互の援助および相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である」という理念に則っており、さらに、日本国憲法前文および第9条の平和主義の理念にも整合する。ところが、数年前には防衛予算は教育予算に比肩するようになり、2025年度予算案にいたっては、教育予算5兆4029億円に対して、防衛関連予算は8兆7005億円(米軍関連経費含む)と、完全に凌駕するに至った。
防衛費を増加させる枕詞
2025年度の防衛省当初予算案の冒頭は、ここ十数年、「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面しているという基本認識の下」という表現から始まる。
だが、戦後において、本当に現在が「最も厳しく複雑な安全保障環境」にあるとの評価は妥当であろうか。冷戦期の、たとえば朝鮮戦争やベトナム戦争が起きていた当時、あるいは米ソ対決による緊張関係が高まっていた当時に比べて、現在がそこまで「厳しく複雑」なのか。