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繰り返される軍事演習
軍事は、地域の暮らしとコミュニティを破壊する。
大分には西日本最大の陸上自衛隊日出生台(ひじゅうだい)演習場がある。1899年から旧陸軍、敗戦直後は米軍、そして1957年から陸上自衛隊により使用されている。1987年には県民の反対の声を無視して日米合同軍事演習が強行された。1999年、沖縄県道104号線越え155ミリ榴弾砲実弾砲撃演習の移転が強行された。
日出生台とその周辺地区では、演習場外への砲弾の着弾や榴弾砲牽引車両転落事故など、さまざまな事故が起きてきた。さらに、米軍車両の一般道への逸脱、米兵の外出に対し、住民は不安な生活を強いられている。演習の際には数十キロ離れた場所まで砲撃音が響くこともある。まさに戦争と隣り合わせだ。
2023年は2月と10月、日米による共同演習が2度にわたって行なわれた。2024年の共同演習の際には訓練開始前からオスプレイが飛来し、深夜に1時間以上も上空を飛び回った。今年は初めての日英の共同訓練(自衛隊700人、英軍100人参加)が、そして今回で16回目となる米軍155ミリ榴弾砲実弾砲撃訓練が海兵隊430人参加のもと行なわれる。過去最大規模である。これは、1999年当初に交わされた「米兵の参加は300人強まで」という地元との使用協定を破って行なわれることになる。演習で使われる兵器も、小火器や白りん弾、ドローンの飛行、ハイマース搬入など、なし崩し的に拡大の一途をたどっている。
地場産業である畜産業も打撃を受けている。演習により、餌となる草が採取できない事態が生じており、死活問題となっている。現在、地区には防衛省が設置した赤い境界石があちらこちらにある。移転した人びとが住んでいた跡だ。
日出生台だけではない。大分市にある大在埠頭では、訓練のたびに米軍車両が陸揚げされている。また、演習場につながる一般道も交通規制がなされる。民間の大分空港ではオスプレイの緊急着陸や自衛隊の統合演習も行なわれた。
このような軍事訓練が平時から行なわれるようになれば、有事には当然、攻撃目標となるだろう。私たちの恐怖と不安は増すばかりだ。
「寝耳に水」の大型弾薬庫建設計画
2023年2月。陸上自衛隊大分分屯地(通称:敷しき戸ど弾薬庫)に、長射程ミサイル用の大型弾薬庫2棟を建設する計画が明らかになった。
この分屯地は国道10号やJR豊肥本線大分大学前駅のすぐ東側にあり、周辺5つの小学校校区内に4万人が暮らす住宅密集地である。鴛野小、敷戸小をはじめ、中学校や幼稚園、保育園、大分大学、病院、介護施設、商業施設もある。大分駅、県庁、市役所までわずか6キロ、半径10キロには大分市の大部分が入る。当然、多くの懸念の声、反対の声が上がった。
だが、2023年末、建設は始められた。この年8月に発足していた「大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会」(以下、「市民の会」)が要求していた住民説明会が着工の直前に開かれたが、開催予定時間はわずか50分。住民からの不安や疑問が噴出し、1時間延長されても、防衛省側の説明に住民が納得することはなかった。
そして、この説明会や市民の会による抗議の記者会見を無視し、当初の2棟に加えて7棟の建設計画が発表された(計9棟)。「丁寧な説明」など皆無である。