「人権」が忌避される世の中で──ある自治体の市民と市長の取り組みからの考察

小林美穂子(一般社団法人「つくろい東京ファンド」スタッフ)
2025/02/05

 この国には、人権アレルギーの人がいる。

 「人権」という二文字が会話や文中に出てきただけで戸惑い、あるいは警戒して身構え、嫌悪感を露わにし、それ以上の会話を拒絶する人びとだ。

 「人権を口にする人=声高に正義を叫ぶ偽善者」という解釈が形成されつつある昨今、私は人権という概念を抜きにどう社会に発信し、理解を求めるべきか分からなくなる。

 私は生活困窮者の支援をしている。私たちが日々出会うのは、社会の厳しい規範や、細いレールからこぼれ落ちた人たちだ。その人に非があるわけではなく、社会システムの欠陥によって量産された犠牲者だと感じている。多種多様な困難を抱えた人たちが少なくないし、国籍、民族も多様である。

 目の前の貧困を放置することは、いずれ社会にとってマイナスになるから。多様性は国を豊かにするから――。一人ひとり顔のある人たちの命や人生を、合理性や社会にとってのメリット・デメリットという文脈で話さなければならないことに、私も同僚たちも疲弊している。

自己責任論やヘイトが人権を凌駕する

 人権の概念が忌避される代わりに、跋扈するのはヘイトやバッシング、そして恐怖と憎悪をばらまき、伝染病のように広がるデマだ。無根拠で悪意にまみれたデマは攻撃の矛先を自分より脆弱な立場に置かれた者に向ける。大衆の不満や憎悪に後押しされて、福祉サービスは劣化し、やせ細る。福祉事務所による苛烈な人権侵害が表面化したり、人びとが物価高騰に喘ぐ中にもかかわらず生活保護費の引き下げ案が持ち上がったりと、もはや憲法も法律も形骸化したようなディストピア前夜だ。税金で食っていて贅沢いうな。国から出ていけ。正論が嫌われ、荒すさみきった言葉が飛び交う世論に、私は心底疲れていた。そんなときに東京・国立市を知った。

 出会いは2024年11月。

 シンポジウムで国立市役所の福祉課長と一緒に登壇したことがきっかけだった。2018年に発覚した国立市の深刻な事務懈け怠たい、その対応や分析、再発防止策が発表されるのを、私は心の中ではほんとかな? と半信半疑で聞いていた。なにしろ私の2024年は、生活保護費1日1000円窓口支給に始まり、満額不支給、ハンコ無断押印や、恫喝、威圧など、パンドラの箱を開けたかの如く溢れ出る群馬県桐生市の生活保護問題に明け暮れていた。行政への不信感はパッツンパッツンに膨れ上がっていて爆発寸前だ。シンポジウムから帰宅後、国立市のウェブサイトを読み漁った。驚いたことに、国立市が行なってきた数々の取り組みから浮かび上がったのは「人権」の二文字だった。取材を申し出た。

国立という街

ここから有料記事

小林美穂子

(こばやし・みほこ)一般社団法人「つくろい東京ファンド」スタッフ。群馬県出身。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」コーディネーター。1968年生まれ。ホテル業、事務機器営業、工業系通訳、学生を経て現在、生活困窮者支援を行なう。

latest Issue

Don't Miss