気候変動や戦争・内戦、世界的な人口増加などによって、食糧危機が現実の課題になっている。FAO(国連食糧農業機関)の2023年の報告書によると、人間活動に由来する2酸化炭素排出量のうち約3割は食料システムに由来しているとされる。環境への影響を低減しながら世界の食料システムを持続可能なものに回復するにはどうすればよいのか。食政策センター・ビジョン21代表の安田節子さんに聞きました。
反省と危機感──EUのF2F戦略
──「食料システム」という言葉が聞かれるようになったきっかけの一つに、2021年にニューヨークで開かれた「国連食料システムサミット」があります。あの時、グテーレス国連事務総長を筆頭に「持続可能な農業」「持続可能なシステム」が叫ばれたものの、実際には世界の多くの農業団体やNGOなどがサミットへの参加をボイコットしました。サミットは、世界の食料システムが本当の意味で持続可能なものになるのかが問われたのだと思います。まず、その振り返りからお願いします。
安田 国連食料システムサミットを理解するために、まず、EUの「Farm to Fork(農場から食卓まで)戦略」(以下、F2F戦略)からお話しましょう。なぜなら、サミットは、このF2F戦略に対する対抗策が盛り込まれているからです。
EUのF2F戦略は、生産から加工、輸送、消費にいたる一連のフードシステムを、公正かつ健康的、そして環境に配慮したものにすることを目指して2021年に発表されました。EUは2019年に「欧州グリーン・ディール政策」を打ち出しており、F2F戦略は、これを実現するための目標が掲げられたものです。具体的には、2030年までに、化学農薬の使用とリスクを50パーセント減らすこと、有機農業を25パーセントに拡大すること、家畜や養殖の抗生物質を50パーセント削減し、化学肥料の使用を少なくとも20パーセント削減することなどが掲げられています。
この戦略の背景には、これまで推し進められてきた工業的な集中農業に対する人々の危機感があります。
まず挙げられるのが、農薬の大量使用を続けてきた結果、ミツバチをはじめとし、虫や鳥などがいなくなったことです。また家畜やニワトリの大規模密飼いによる免疫力低下のため、薬剤や抗生物質が多投されるとともに、豚コレラや鳥インフルエンザといった家畜伝染病が大規模に発生するようになりました。
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世界中で、ミツバチが消えてしまう現象が1990年代から報告されはじめました。ミツバチは、多くの農作物の花粉の交配を担っており、実りに不可欠の生き物です。ミツバチがいなくなることは、農業や食料生産にとって大変な事態なのです。
その原因として複数の説が唱えられてきましたが、2010年以降、世界中で使われている浸透性と神経毒性が特徴の殺虫剤「ネオニコチノイド系農薬」が原因だという説に、ほぼ決着しました。農作物に使用されたネオニコ農薬は花粉や蜜にも浸透し、それを摂取したミツバチの神経中枢に作用して、ミツバチは方向感覚を失い、帰巣できなくなったのです。そして働きバチを失った巣は崩壊してしまうのです。さらに、こうしたネオニコ系農薬が食べものに残留し、それがとくに子どもの脳神経に影響する可能性があること、発達障害の増加と農薬の増加が相関するという研究の発表は衝撃を与えました。
ヨーロッパでは強い危機感を持った市民らが、化学農薬の使用を止めよう! と声を上げていきました。EUには、「欧州市民イニシアチブ」といって、EUの政策に対して、加盟国中最低7カ国以上、合計100万人以上の署名を集めれば、市民が欧州委員会に対して立法を提案することができる制度があります。必ず立法化されるわけではありませんが、欧州委員会はきちんと議論・検討し、その過程も公表する必要がある、いわば直接民主主義のような制度です。人々はこの制度を使って、「Save Bees and Farmers!(ミツバチと農家を救え)」というキャンペーンをはり、除草剤として大量に使われてきた農薬グリホサートの禁止を求め、2035年までに段階的に化学農薬を禁止し、生物多様性を回復し、この移行期に農家を支援する法的措置をするよう求めました。その結果、EU委員会で審議されることになりました。加盟国の中にはすでに規制を表明したところもあります。
また、生産性と効率を重視する工業的大規模生産システムは、家畜やニワトリを生命あるものとしてではなく工業製品のように扱い、屋外から隔離し、狭い空間に詰め込みます。その結果、ストレスで免疫力が低下するため、恒常的に抗生物質や薬剤が投与されます。こうした肥育に、動物福祉(アニマルウエルフェア)の観点から批判が高まりました。
こうした声の高まりを受けて、F2F戦略はEUのフードシステムを持続可能なものにするために打ち出され、これを国際基準にしていくことが掲げられたのです。