スーダンの「終わらない戦争」

栗田禎子(千葉大学大学院教授)
2025/01/05
ハルツーム北部で双眼鏡で最前線を眺めるスーダン軍兵士。スーダン戦争は2023年4月、ブルハーン率いる国軍と、ダガロ司令官が率いる準軍事組織(RSF)との間で勃発した。国連によると、これまでに数万人が死亡し1100万人が避難を余儀なくされた。2024年11月3日、AFP/アフロ

 ウクライナにせよガザにせよ、昨今の世界ではいったん始まった戦争はなかなか終わらず、膨大な数の人命を犠牲にしつつ、いつまでも続くという現象が観察される。

 2023年4月にスーダンで始まり、当初、市民の多くは「2、3日で終わる」と思っていた戦争(国軍と準軍事組織との間の「武力衝突」)も、瞬く間に全土を舞台とする全面戦争に発展し、これまでに数万人以上が死亡、人口の約3分の1にあたる千数百万人が国内外で避難民化するという異常事態を引き起こしながら、いまだ収束の兆しを見せていない。

 現在に至るまで国軍と準軍事組織(「即応支援部隊」RSF」)の力はほぼ拮抗しており、首都ハルツームをめぐっても激しい攻防が続いている。ブルハーン将軍率いる国軍側は紅海岸のポートスーダンに政府機能を移すことを余儀なくされ、またやはり激しい戦闘が続く西部のダルフールや、ハルツーム南方のゲジラ地域等では、RSFによる住民殺戮、ジェノサイドが起きているとも報じられる状況である。

 これまでに米国・サウジアラビア等による和平の働きかけが断続的に行なわれてはきたが、停戦は実現していない。

 いったい何が起きているのか、そして、これは何のための戦争なのか? また、国軍とRSFの戦争が終わらない背景には、当事者だけでなく、実は国際社会にも「戦争を終わらせようとする意思が欠如している」ことが指摘される(スーダンのマルクス主義者で政治アナリストのシャフィーウ・ヒズルによる分析)のだが、それはなぜなのだろうか?

革命を頓挫させるための戦争

 スーダンは1989年のクーデタ以来、30年間にわたって、バシール独裁体制のもとに置かれていた。軍事政権であると同時に「イスラーム主義」を掲げる同体制のもとで、民主主義の欠如と人権抑圧、国内の低開発諸地域(文化的には非アラブ・非イスラーム地域と重なる)に対する武力弾圧(「南北内戦」やダルフール危機)等の深刻な事態を経験してきた国である。

 だが、2018年末から市民による民主化要求が勢いを増し(「12月革命」)、青年や女性を中心とするデモや労組によるスト、大規模抗議行動が長期にわたり展開された結果、バシール政権は19年4月に崩壊するに至った。

 いま起きている戦争は、一言で言えば、この「12月革命」、市民による民主化運動を潰すために、バシール政権(「旧体制」)を支えていた勢力(国軍およびRSF)が引き起こし、現在に至るまで続けているものと捉えることができる。

 国軍は軍事政権を支え、政権による南部(現在の南スーダン)等の低開発諸地域に対する弾圧を担ってきた存在であり、また長く続いたバシール体制下で、軍上層部にはイデオロギー的にも政権に近い「イスラーム主義」的傾向の持主が登用されてきた経緯がある。

 他方、RSFも、その原型はバシール体制が2003年以降(やはり低開発地域であると共に文化的には非アラブ的要素も残る)西部のダルフール地方の住民に対する弾圧を強化する過程で、現地のアラブ系部族を動員して作り出した「民兵」組織であり、ダルフールにおける「ジェノサイド」の実行部隊であると共に、バシール政権末期には首都ハルツーム等における治安維持、デモ弾圧にも投入されるようになり、「即応支援部隊」という正式の組織に格上げされた。その後、(バシール政権が湾岸アラブ諸国の要請を受けてイエメン軍事介入に参加した際にはRSFが派遣されるなど)海外での軍務も経験し、正規軍に匹敵する兵力を備えるに至る。

 今回の戦争は、(バシール政権崩壊後数年間の紆余曲折を経て)2023年4月に実施されるはずだった最終的「民政移行」(軍は政治から手を引き、完全に文民から成る政府が発足することが予定されていた)の直前に開始されており、直接のきっかけは国軍とRSFの組織統合をめぐる対立と説明されることが多いが、両者は共に旧体制を支え、民衆に敵対してきた存在であって、その真の目的は「戦争」という異常事態を作り出すことにより民政移行プロセスを断ち切り、革命を頓挫させることにあったと見るべきだろう。

 2019年春のバシール政権崩壊後も、政権を支えた勢力は旧体制の温存を図り、軍部は権力の座にとどまりつづけようとしたのだが、民衆はこれに抗議して(国軍・RSF双方による苛酷な弾圧にさらされつつ)果敢な抵抗を続け、結果的に同年夏、革命を担った市民も参画する形で、「軍民共同」で移行期の政治にあたる枠組みが成立した。

 これに対し、2021年秋に軍はクーデタという手段に訴え、文民首相を拘束し、政権から革命勢力を排除して再び権力を独占することをめざした。だが、市民はこれにも毅然として立ち向かい、クーデタを糾弾する粘り強い抗議行動を1年以上にわたって展開した。その結果、最終的に2023年4月をもって完全民政移行するという取り決めが成立するに至ったのである。

 このように見てくると、現在の事態は、「12月革命」開始以来、デモへの苛酷な弾圧によっても、クーデタによっても、民主化を求める市民のエネルギーを封じ込めることができなかった「旧体制」勢力が、ついに「内戦」という非常手段に訴えることで革命を最終的に葬り去ろうとしたものと捉えることができる。

錯綜する構図

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栗田禎子

くりた・よしこ 千葉大学大学院教授。専門は歴史学・中東研究。主要著作に『中東革命のゆくえ――現代史のなかの中東・世界・日本』、『中東と日本の針路』(共編著)、論文「『アラブの春』の世界史的意義」(『岩波講座 世界歴史24巻)など。

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