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イラン戦争の開始以来、あきらかになったことがある。声明を発し、世界的な議論を巻き起こす「知識人」の姿が、みえなくなったことである。湾岸戦争やイラク戦争、対テロ戦争の時代と比較すればよい。コントラストはあざやかだ。
だからといって、知に携わる人びとが、現代の支配的趨勢に抵抗し、分析し、声をあげることをやめたわけではない。むしろ逆である。そうした声は、たとえば戦争下のレバノンから、ブラジルから、インドから、ニューヨークの真ん中まで、地理的障害を軽々と越えて届く。さらに、著名大学教授からジャーナリスト、アクティヴィスト、元国家諜報部員、伝説的な元外交官、投資家、そして怪しげなインフルエンサーなどなどが、ジャンルや発言主体のステイタスをもまた軽々と越えて、情報を交換し、対話し、議論している。日々更新されるそうした交通が、オルタナティヴな知の新地平を構成しているようなのだ。そしてその舞台がウェブであり、「ポッドキャスト」である。
コロナ禍とウクライナ戦争を通じて、現在の配置が形成されたようにみえるが、その前史はよくわからない。もちろん、オルタナティヴ・メディアの歴史は、印刷の歴史と同じくらい古いだろう。ただ、現代に直接つながる系譜を直感的にたどるなら、グローバルジャスティス運動におけるインディメディアの登場あたりが画期だったのかもしれない。それ以降、下からの知の場を構築しようとする動きは、主流メディアがますますグローバル・オリガーキーの広報機関と化していくなかで、実質的に、人びとにとっての「知る機会」、そして自由な討議・考察・表現の機会となってきた。
それが近年、大規模な大衆運動の背景をなしてきたことも記しておこう。記憶にあたらしい例でいえば、2024年アメリカのいわゆる「キャンパス・インティファーダ」――ガザ支援の大規模な学生運動――の背景には、ソーシャルメディア上で配信される現地パレスチナ人ジャーナリストらの直接報告があったといわれている。若い世代は、現実を極限まで歪曲するほかなくなった主流メディアではなく、インスタグラムやTikTokを通じて、リアルタイムで爆撃下の現実を目撃したのである。もし「オールド・メディア」と「ニュー・メディア」の対立が実質的に存在するのだとすれば、それはこのような事態を指しているはずだ。
こうした、いわば「知的インフラ」の根本的変化にともなって、世界の知的布置もまた大きく変化してきたようにおもう。それを概観する余裕はないが、ここで注目したいのは、いまの世界的苦境に立ち向かう声の主たち、とりわけ広い影響力をもつ論者たちの変容である。
そのひとりが、経済学者、デヴィッド・グレーバーにいわせれば「この半世紀で最も偉大な経済史家」であるマイケル・ハドソンである。初耳のかたはYouTubeで検索してみてほしい。その影響力の強さと広がりはすぐにあきらかになるはずだ。筆者がイラン戦争以前からポッドキャストに注目しはじめたのも、もともとかれが頻繁に登場しているからであった。そこでは、諜報機関の元エージェントや元軍人、元政府高官、あるいは軍事アナリスト、地政学者、政治学者らと並んで、このラディカルな異端派経済学者が深い敬意をもって遇され、その分析はグローバルな批判的言論の一部に取り込まれていった。
日本では、いまだマイケル・ハドソンはほとんど知られていないといってよい。数少ない翻訳書も、ほとんど入手不可能である。しかし、おそらく、混沌の渦へと落ちこんでいく現代世界に対して最もクリアな見通しを与えてくれる批判的知識人のひとりが、マイケル・ハドソンであることはまちがいない。
英語圏を中心に近年むしろ存在感を増しているからといって、気鋭の新人というわけではない。それどころか、1939年生まれだというのだから、すでに80代半ばである。ふつうなら、この世を去っているか、そうでなくとも知的創造力や影響力が衰えていておかしくない年齢だ。ところが、かれはいま、世界史を負債から読み解く負債史3部作の第3作の公刊を目前にしている。その内容の一部はすでに知られており、多くの読者の期待を大きくかき立てている。その断片だけからも、ちょっとびっくりするような中世から近代にかけての世界金融史が展開されそうな気配なのである。
要するに、かれは長年「知る人ぞ知る巨人」だったわけだ。一般的にスポットのあたるきっかけの一つは、まず2008年の世界金融危機の予見ではないかとおもう。しかし、決定的だったのは、まちがいなく、先ほどもふれたデヴィッド・グレーバーの『負債論』の公刊(2011年)である。『負債論』は、現代資本主義分析と、古代の有利子負債の起源にかんする分析の両輪において、ハドソンの影響を深く受けている。そしてその影響を隠すこともなく、むしろグレーバーは、この知られざる経済学者の存在を広く知らせる役割を買って出た。ハドソン自身も、感謝をこめてそう述べている。
この短文で、かれの業績全体にまで立ち入る余裕はないので、次回以降、あらためて論じる機会を設けたい。ざっくりいって、かれの仕事がどうして現代世界にとってそれほど重要な意味をもつのかといえば、まず、ドル基軸通貨体制の世界史的意義とその解体の地平を、きわめて早い段階で見きわめていたからである。もう少し敷衍すれば、かれは「資本主義の金融化」という契機をだれよりも徹底して追究した経済学者の一人であった。そしてそこから、現代の脱ドル化、BRICS、中国経済の台頭、すなわち「ポスト・アメリカ」なるものの内実と意義を、いちはやく、しかも文明の黎明にも広がっていく長期的視野から鋭く位置づけていた。その理論的立場は、きわめて独自としかいいようがない。もう少し筆者に知識があれば、なにか適切な知的形象を引きあいに出せるのかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。あえていえば、マルクスとケインズの狭間に位置しながらMMTの形成に貢献した、といったところだろうか。もっとも、当人はむしろ古典派経済学の継承者を自任するだろう。ハドソンにとってのマルクスも、基本的には古典派経済学者としてのマルクスである。
しかし、ハドソンのこの捉えがたさ、そして独特の知的営為に深みと幅を与えているのは、くり返しになるがかれの視野が近現代にとどまっていないことだ。先ほど紹介したように、グレーバーはハドソンの研究を、この半世紀で最も創造的な古代経済史への寄与であると評した。ハドソンは1980年以降、考古学者や人類学者、そして主としてMMT派の経済学者たちを集め、古代オリエントの経済研究に没頭していく。この研究があげた数々の成果の一部が、やがて『負債論』へと流れ込んでいくのである。おそらく、この「半世紀」という評価には、カール・ポランニーの存在が意識されているとおもうのだが、そういう意味では、ハドソンはポランニーの後継者でもある。
しかし、マイケル・ハドソンを知りはじめて、おどろくのは知的内容だけではない。その経歴もまた、きわめて特異なのである。筆者は、かれを、ある意味で20世紀後半という時代を体現する人物と呼んでもよいのではないかとおもうのだが、どうだろうか。今回の残りでは、その一端を紹介してみたい。
ハドソンはミネソタ州ミネアポリス(!)に生まれている。ハドソン自身の言によれば、当時のミネアポリスは、トロツキズムの影響の強い労働運動によって特徴づけられる、「世界で唯一のトロツキスト都市」だった。父親はその指導者の一人で、両親ともに、メキシコ亡命中のトロツキーと「いっしょに仕事をしていた」という。実は、ハドソンの名づけ親もトロツキー本人である(!)。さらに、グレーバーがひどく興味を示していたエピソードらしいのだが、トロツキーの暗殺に用いられたアイスピックは、ハドソンのおばの所有物だったという。
このような環境だから、かれは未来の「革命指導者」としての期待を担って育つのだが、十代のハドソン自身は政治にさして関心を示さず、物理学・化学・音楽に熱中する。1960年、トロツキーの妻ナタリアが死去した際には、遺言執行人からトロツキーの著作権が移譲される。さらに、当時文通していたジョルジ・ルカーチの著作権も譲り受け、出版社の立ち上げを夢見て「ポケットに15ドルだけ」を持ってニューヨークへ向かった。この話だけでも十分驚きなののだが、それから先がまたおもしろい。かれは出版事業は早々に放棄するのだが、一方で大きな転機をえることになる。ニューヨークでマルクス『剰余価値学説史』の翻訳者テレンス・マッカーシーと出会い、それをきっかけに、経済学者を志すのである。マッカーシーからは、『学説史』に登場するすべての文献を読めと助言されたらしい。それを忠実に実行に移して以来、古典派経済学の強力な擁護者となっていく。
さらにおもしろいのは、ここから先のかれの経歴である。ニューヨーク大学で経済学を学びながら、生計のために貯蓄銀行信託会社に就職したハドソンは、大学の教科書とは大きく乖離した銀行の実態を間近に観察する。3年後にはチェース・マンハッタン銀行に移り、国際収支のエコノミストとして石油業界の国際収支を担当する。さらにデヴィッド・ロックフェラーの依頼で報告書を執筆し、エコノミストとして最初の注目を浴びる。
国際収支の調査を通じて、ベトナム戦争の戦費増大がアメリカの金本位制離脱を招くと予見したかれは、ニクソン・ショックの直後、1971年9月に一冊の本を公刊する。『超帝国主義――アメリカ帝国の経済的戦略』(日本語訳は『超帝国主義国家アメリカの内幕』広津倫子訳、徳間書店)である。これはいまや、この分野に関心をもつ者であればだれもが依拠せざるをえない現代の古典であり、危機の渦中の米政府が参照したとされることもある「歴史的文書」でもある。本書は、金本位制離脱後のアメリカが「負債帝国主義国家」としてむしろ世界支配を強化するという見通しを示し、広く注目を集めた。以後、保守系シンクタンクのハドソン研究所でハーマン・カーンに見込まれてナンバー2となり、さらに株式仲介業、各国政府機関のアドバイザーなどを歴任する。
かれの知の特異性は、このように、ラディカル左派と、ウォール街や保守系シンクタンクといったエスタブリッシュメントの中核付近とを往復した経歴に、一つには由来している。エスタブリッシュメントの外部にいるだけでも獲得しえない情報と権力装置のインフォーマルな力学を熟知できる立場にありながら、帝国主義的支配という批判的フレームでそれを分析する反エスタブリッシュメント的視点もかれはもちえていた。つまり、戦争と通貨システムの関連を、国際収支の会計計算を通じてつぶさに観察し、帝国主義の大きな視点から分析できた点にこそ、かれの議論の強みがあった。
今回は、近年のハドソンの分析そのものにはあまりふれられなかった。もちろんかれは、今回のイラン戦争についてもさまざまに論じている。とりわけかれは、この戦争を「第三次世界大戦」と明確に位置づけているのだが、そのあたりはまた別に論じなければならない。次回は別のテーマをとりあげたいのだが、もしかすると今回の続編になるかもしれない。いずれにしても近日中に、このつづきは書くつもりである。




