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もう中国に何を言ってもいいのか
日本の「戦後」が、連合国側の発したポツダム宣言を受諾し無条件降伏したことで始まったことはさすがに広く知られているが、連合国の欠かせないメンバーに中国がおり、その連合国が戦中United Nationsと呼ばれていて、そのまま国際連合の原型となったことを、戦後80年を超えた今、誰もが知っているわけではない。
そして敗戦を終戦とごまかし、中国が主要な戦勝国の一員であったことを直視せず、アメリカに許されてその庇護下で平和と繁栄が得られたという言説が繰り返されてきた日本では、中国が日本より貧しかった時代こそ、侵略加害を反省する声が左派から穏健保守まであったものの、中国が経済大国となった今や、日本のほうがいまだに政治的には西洋流の先進国だという優越意識なのか、ひたすら中国をあしざまに言ってかまわないかのような思い上がりが、右派ばかりでなく一部のリベラルや左派の間にさえ見られるようになった。
中国が日本軍による甚大な被害をこうむりながらも降参せず連合国の一角を占めつづけることがどれだけアメリカやイギリスなどにとって重要だったかは、のちにハーバード大学教授そして駐日大使として日本における反共プロパガンダの著名な担い手となった、戦時中の若きエドウィン・ライシャワーもよく理解していた。西洋の帝国主義からアジア諸国民を解放する戦争だと大日本帝国が喧伝し、タイが日本との同盟を余儀なくされた中で、アメリカは現に日系人のみを強制収容しており、太平洋戦争がその実、白人至上主義体制をアジアで維持するためのアメリカの「人種戦争」(race war)だとの批判をかわすために、中国が連合国側で抗日戦争を戦いつづけることが不可欠だったのである。
そうでなければ、中国がなぜ国連安全保障理事会の常任理事国になり、国民党政権が中国本土を実質的に代表できなくなった1949年以降もこれは変わらなかったのか、さらに1971年からは中華人民共和国がこの座を引き継いで維持しつづけたばかりか、今日に至るまで国連中心主義を根幹に、G7のように西側先進国が国際秩序を自分たちだけで決めようとする代替枠組みを拒否してきたかは、理解できないだろう。
戦争放棄は天皇免責とのバーター
日本が連合国による占領統治下にあった際、アメリカが主導権を独り占めにして日本の「戦後」を決める意図と、それを警戒し、関与を強めようとする他の連合国を含めた極東委員会の間の駆け引きがあった。対日安保理の性格を持つ極東委員会では、アメリカ、イギリス、ソ連、そして中国が拒否権を持っていた。日本国憲法はそうした政治状況の中でアメリカが成立を急いだものだ。
パリ不戦条約のルーツ、また幣原喜重郎やマッカーサーの個人的な役割を吟味することも重要だが、9条の成り立ちを考えた時に、1条における天皇制の存続(象徴天皇制だったとしても)との抱き合わせであった事実を踏まえておくことが欠かせない。1942年の段階ですでに先のライシャワーは、戦後日本をアメリカの極東における「満州国」とするために傀儡の「溥儀」として天皇は最適であり、このため天皇を戦時プロパガンダの攻撃対象とするのは避けるべきだとのメモを国務省に残していたことが(その実際の影響力はさておき)知られているが、占領統治期には日本の「赤化」を阻止するために、天皇を免責し天皇制を存続させることが早々にアメリカの方針となったわけである。
しかし誰も戦争責任を負わないのでは中国、ソ連や英連邦などの極東委員会の諸代表の納得が得られない。そこで軍部がすべての責任を負う形で、徹底的かつ恒久的な武装解除として9条が1条のバーターとして成立するところとなった。なおマッカーサーは、憲法成立段階では中華民国を資本主義陣営の反共の砦として想定しており、加えて沖縄に基地があれば、本土は「極東のスイス」となって差し支えないと考えていた。






