「叛‐地政学」的な想像力
台東の部落に来ると、いつも不思議な既視感とともに、言葉にならない懐かしさのようなものがこみあげる。散在する古い日本風の木造家屋、高齢者たちのことばに美しく残る日本語の響き、私の田舎の祖父母たちの佇まいを思い出させる柔和で謙虚な微笑み。さらに私の記憶には、青年時代にメキシコの平原で親しく触れ合った先住民プレぺチャ族のの皺深い貌の影さえ呼び出されてくる。けれどここは台湾の南部。ピナスキ村は、台東の街の中心から太平渓(川)をわずかに遡ったところにある、原住民・卑南族(プユマ族)が住む七○戸ほどの集落である。
台湾ではと呼ばれる緑豊かなアカギの美しい並木道を抜けると、綺麗に区画整理されたプユマ族の村が広がる。これよりさらに北にあった高台の集落から、日本統治時代にこの場所に部族ごと移ってきてからおよそ一○○年。いまも住民は強い文化的結束力を保ち、伝統的な歌や踊り、工芸品の製作、部族の言語の継承などに力を注いでいる。村の広場の裏手にはバラクァンと呼ばれる素朴な草葺きの成人小屋があり、プユマ族の青年は一定の年齢に達するとこの小屋で数カ月共同生活しながら、祭司らの指導のもと部族のしきたりを学ぶのだという。
私の訪問はちょうど部族の豊年祭にぶつかった。上半身裸になった少年たちによる相撲を楽しみ、月桃の葉に包んだ粽と豚肉を肴に冷えた「小米酒」(粟酒)を美味しくいただく。土俵の砂が荒々しく舞い飛ぶ相撲を傍らで見ていた私に、長老の一人、林志興老師がハレの日に着る華麗な色彩の民族衣装に身を包んで、にこやかに話しかけてくる。私はプユマ族が豊年祭の行事として守ってきた相撲の由来を、人類学者でもある林老師に訊ねてみる。中国の伝統相撲「」や韓国のシルム、モンゴル相撲ブフなどとさまざまに共通する要素があって、その大元の起源は一通りではないだろう。けれども、日本統治時代に日本人が原住民族の「日本化」のために導入した大和式「相撲」の影響がもっとも大きい。そのスタイルが、戦後の部族社会のなかで再土着化しながら変容していまの形になった。さらにいえば、台湾から太平洋諸島にあまねく同種の身体格闘技は存在していて、オーストロネシア民族の身体文化の奥底に相撲的な所作がもともと備わっていたこともまちがいないだろう……。そのように語りながら林老師はプユマ語で「マレブレブ」とつぶやいた。相撲をさす部族語であるが、子供たちが髪の毛を摑み合って倒し遊んでいた原住民の古い遊戯をさす言葉に通ずる語らしい。この音を発声する老師の目は、どこか彼方を、はるか海の彼方を望んでいるような風情があって、私はとりわけ印象づけられた。




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