※これまでの記事
【第1回】差別と排除のなかで置き去りにされる少女たち
【第2回】「少女を守る」と胸を張るおじさんたちが守りたいもの
【第3回】「家族の助け合い」という言葉が隠すもの
【第4回】メディアはどっちを見てる?
【第5回】怒鳴る相手が違う
【第6回】世界各地の実践と議論に学ぶ
【第7回】罰せられるべきば買う者たち
【第8回】買春男の評価なんていらない
【第9回】生き抜くためのシスターフッド
【第10回】買春処罰だけでは足りない
【第11回】性風俗という暴力
【第12回】続・性風俗という暴力
人権よりもビジネス
法務省の「売買春に係る規制の在り方検討会」ではことし4月、買春処罰導入に反対する立場から、性風俗店の顧問弁護士である若林翔氏が意見を述べた。
若林氏はまず第一に、買春処罰の導入により客が委縮したり、性風俗そのものが違法化されたりすれば、2兆~5兆円もの経済的打撃が生じると主張し、「215万人の女性が職を失う」と訴えた。性売買を女性の人権や尊厳にかかわる問題ではなく、ビジネスとして捉えている。
若林氏は、法務省検討会に提出した資料で、風俗店の開業に必要な性風俗関連特殊営業の警察への届出件数が2024年末に3万3890件であり、「届出を出していないエステ・料亭等の実質的な風俗業種も含めると、さらに多い可能性」を示している。マッサージ店や料亭として営業しながら実際には性売買で利益を得ている違法の業者がいることを認識しているということだ。
女性の人権の観点から見れば、それほど多くの女性が性を買われる状況に置かれていることこそが問題だ。
若林氏は検討会で、買春処罰や規制強化に対する懸念を示しているが、自身について「性風俗関連法務累計相談件数約5万件」「累計顧問先店舗数約1000店舗」と紹介しており、長年にわたり性売買業者側の法務を担ってきた人物である。その知見が「性産業運営側」の視点から形成されていることに注意すべきだ。
性売買は「欲求」にもとづく?
若林氏は、性売買を「契約」や「労働」の問題として整理し、「性風俗を含む売春は人間の根幹的な欲求にもとづくものであり、決して無くなることはない。犯罪化は地下化を招くだけ」と主張する。「売春は人間の根幹的な欲求にもとづく」とは驚きだ。「買春」ならまだわかるが、買春も性暴力同様「人間の根幹的な欲求にもとづくもの」ではなく、支配欲によってなされ、加害者の性的自律や自己コントロール力の習得、社会の認識の変化や法制度で抑止できるものだ。
性を売ることや買うことを「人間の根幹的な欲求にもとづくもの」であるという認識を持ち、それが政府の検討会で堂々と言えてしまうほど、この国では性売買を当然のものとする認識が広がっている。若林氏は、性売買を成立させているジェンダー不平等や男性需要、女性差別構造を捉えていない。「買う側」の権力性についても言及しない。
性売買は単なるサービス取引ではない。主として男性が経済力を用いて女性の身体へアクセスする構造の上に成立している。なぜ買う側の多くが男性なのか。なぜ若い女性に需要が集中するのか。なぜ女性の貧困が性売買に接続しやすいのか。ジェンダー不平等や女性差別の問題と切り離して考えることはできない。
性売買は、個人間の契約として成立しているのではない。女性を男性の消費対象として扱う女性差別構造の上に成立している。それにもかかわらず、日本では長年、性売買が「産業」や「仕事」として語られ、女性を買う男性の存在は不可視化されてきた。ここに、日本社会における構造的暴力の根深さがある。
性売買を個人間の契約や労働として捉えることにより、性売買が持つ「男性による女性身体の消費」の側面は見えにくくなる。実際、日本社会では長年「売る女性」のみが社会的非難や取締りの対象となってきた。現在、法務省検討会で「買う側」規制が議論されている背景には、まさにその非対称性への問題意識がある。
若林氏の資料では、成人による合意や自己決定が重視されている。しかし、女性の人権の観点からは、「合意」が存在することと、「自由で対等な選択」が成立していることは同じではない。
性売買はセーフティネットにはなり得ない
日本社会では、女性たちは依然として賃金格差や非正規雇用、シングルマザーの貧困、家庭内虐待、性暴力、居場所喪失など、構造的な不平等の中に置かれている。現在の歌舞伎町でも、ホストクラブによる高額売掛、精神的支配、若年女性の孤立などが深刻化しており、「他に生きる選択肢が極めて限られた状況」の中で性売買に流入している女性が少なくない。
新宿・歌舞伎町の現場では、虐待、貧困、家に帰れない状況、障害、精神的不調、ホストやメンズコンカフェによるグルーミングなど、複合的な困難を抱えた少女や若年女性が性売買に流入していることをこれまでの連載でも伝えてきた。そのような現実を前提に考えるならば、形式的な同意だけをもって完全に自由な契約関係とみなすことはできない。
女性の人権の立場から重要な点は、「なぜその選択に追い込まれたのか」「どのような社会条件がその選択を生み出しているのか」を問う視点である。
若林氏も、検討会で「性産業従事女性」384名への調査結果として、働く動機が「生活費のため55.5%、借金のため28.9%、貯金のため24%」であったと示した。生活に困って性売買に関わる女性が多くいる事実を認識しているということだ。若林氏はこれをもって、買春の犯罪化によって「守るはずの女性を貧困化させる本末転倒な結果になる」と主張するが、買春処罰と同時に、女性の非処罰と、生活に困窮している女性の脱性売買支援を他国のように充実させれば良いのではないか。「地下化」の懸念についてもこれで対応できる。性売買に女性を誘導する構造を温存させようとする人々は、福祉の充実を訴えず、「福祉の代わりに性売買がセーフティネットになっている」と主張する。これは2014年に私が『女子高生の裏社会』(光文社新書)などで福祉の機能不全を指摘し、性売買業者や買春者らが、衣食住や仕事、関係性の提供を搾取の手段として女性や少女に近づくことを可視化する文脈で「福祉は性産業に負けている。性風俗は〝偽〟のセーフティネットとなっている」と主張した。性売買のセーフティネット論は、それに危機感を持った業者が言い換えて広めた言説だ。
必要なのは脱性売買支援であり、性産業の維持ではないはずだが、女性を商品化して得た金で雇われる業者側の人物はそのような主張はしないだろう。
都合よく使われる「女性の自由意志」
若林氏は、女性を性売買に誘導する構造的背景には目を向けず、「本人による選択」を前面に出す。
支援においても、本人の「自己決定」が重視される一方で、その言葉が「本人が選んだことだから」と支援の不足を正当化する方向に使われることもある。しかし、他に選択肢が保障されていないなかでの選択を、単純に「自由意思」として捉えることはできない。性売買の問題は、その典型である。必要なのは、「本人が選んだことだから」と突き放すことではなく、別の選択肢を選べる環境を整えることだ。
コロナ禍以降、性売買をすることでその日の宿や食事を手に入れる生活を続ける14、15歳の少女たちが「うちにはこれしかできることないし」「周りもみんなやってる」と語る状況が広がっている。しかし、少女たちの身体には無数の自傷痕があり、「平気だよ」と語ること自体が、傷つきや諦めの中で生き延びるための適応となっている。その少女のなかにはすでに成人した人もおり、18歳未満だから守らなければならないのではない。未成年の少女たちが性売買を「仕方のないこと」と語るのは、自分が成人後に性売買から抜け出す未来が描けないからだ。
成人した性売買女性の多くが少女時代や若年期からの性売買を経験しており、出会う少女たちと同じ背景を抱えている。今の時代、無理やり連行されたり脅されたりして性売買を強要されることのほうが少なく、多くの女性は自分の「選択」として性売買を行なっている。表面的には「自己決定」に見える場合でも、その背景には構造的な暴力、孤立、貧困、支配関係や、性売買を搾取や人権侵害として認識しない社会における文化的暴力が存在しているのである。
違法組織や海外出稼ぎが増える?
業者は自身が捕まらないよう注意を払っている。だが、だから安全だとか優良な店だとは言えない。性風俗店ではあらゆる暴力行為が「サービス」として正当化されていることは、これまでの連載でも伝えた通りだ。性売買の現場では、女性たちは常に危険と隣り合わせに置かれ、自分の感覚や傷つきを切り離しながら「解離」を繰り返して生き延びている人も多い。店は、女性の人権保障ではなく、客が安心して女性を買える仕組みとして機能している。
若林氏は、買春処罰や風俗規制の導入により、「反社会的勢力による売春組織の拡大、18歳未満を使う売春組織が増えるおそれ」を根拠なく主張する。今もそうした勢力は堂々と活動しているし、警察がそれを取り締まらないことが問題だ。何より、反社会的組織がバックにいなくなれば安全ということはない。風俗店が暴力団と関係を断っていることをアピールするのも、クリーンなイメージを業界に植え付けて、「サービス」として行なわれる直接的な暴力から目を背けさせる常套手段だ。
若林氏は、買春処罰によって「海外出稼ぎ売春」が急増するとも主張する。すでにコロナ禍以降、日本の経済力が下がり、若年女性の貧困が深刻化する中で海外に日本女性が売り飛ばされる事例増加の現実はある。
若林氏は「日本での売春・買春が犯罪化すれば、海外での売春がさらに加速する」と主張するが、海外への「出稼ぎ」や人身取引が深刻化しているのは、日本では経済的な自立が難しく、福祉が充実していないことが原因だ。そして、人身取引されて海外で保護された女性に対する被害者支援も行なわれていないに等しい。そうした女性たちを、性売買に縛り付けるのではなく、そこから脱出できるように支えるべきである。
性売買の現場では、被虐待経験、家出、生活困窮、精神的不調、障害、外国籍など、複合的な困難を抱えた人が多く存在している。性売買をめぐる制度は、搾取されやすい立場に置かれた女性たちの現実を基準に構想される必要がある。日本では、「自己選択」を中心に性売買を「ビジネス」として合法化した結果、多くの女性が性売買を強いられている。
性売買では若年女性に需要があるため、年齢が上がるとより過激な「サービス」に応じさせられたり、心身ともにボロボロの状態で店から追い出されたりもする。女性たちを使い捨てにし搾取する仕組みを温存させることは、女性の人権が守られる社会とは程遠い。
性売買構造を支える「文化的暴力」
日本社会では長年、性売買の問題が、構造的な暴力やジェンダー差別の問題としてではなく、「女性の非行」や「自己責任」として扱われてきた。その結果、女性たちを性売買へと誘導する社会構造には十分に目が向けられてこなかった。一方で、「買う男性」は長年、不可視化されてきた。
児童買春ですら、日本では30年以上、「援助交際」という言葉で語られてきた。そこでは、少女に対する性搾取が、「援助」や「交際」という言葉によって曖昧化され、少女たちが主体的に男性を利用しているかのような物語が流通してきた。現在も、「パパ活」という言葉によって、中年男性が若い女性を買う行為が、あたかも対等な関係や女性側の主体的選択であるかのように表現されている。
日本では、買春が男性文化の一部として共有されてきた。検討会でも国会でも、外国人による買春が問題視されているが、買春者の多くは日本人である。買春を容認する文化を、日本社会そのものが作ってきたのである。問題は単なる個人の選択ではなく、「女性を買ってよいものとする社会構造」そのものにある。若林氏の主張では、こうした性売買の実態には触れられず、「合意」や「選択」が強調されることで、その構造的背景が相対的に不可視化されている。
買春処罰は単なる道徳規制ではない。景観や社会の風俗を守るために性売買女性を路上から排除するためのものであってもいけない。「女性の身体を金銭で買うこと」を当然視しないという人権規範を形成するために必要だ。
性売買における直接的暴力の実態に加え、性売買を支える構造的・文化的暴力を見つめなければならない。



