開かれた問いの行方
佐喜真彩『生き延びたものたちの哀しみを抱いて――軍事化に抗する沖縄のフェミニズム文学』(勁草書房、2025年12月)は、サバイバー(survivor)の日本語訳としてどういう言葉を選び取ることができるか、という問いからはじまる。そして、この問いの意図が説明される過程で、より微細な問いが重ねられていくことになる。破壊的な出来事をくぐり抜けた人々は、自らの生を肯定することができるのか。それとも自らの生に対して後ろめたさを感じるのか。破壊的な出来事をくぐり抜けることができず、出来事のなかに沈んでしまった命に対して、サバイバーは、そして出来事の外部にいた人々はどのように向き合うことができるのか――。
これらの問いに対し、佐喜真は自分自身の家族の記憶をたぐり寄せることで応答しようとする。その記憶は、近代以降の沖縄を生きることが移動、越境、多言語、犠牲、加害、被害の網の目をくぐりぬけることによってしか成立しなかったという現実を読者に突きつける。そして、そのような体験を生き延びたもの、喪われたものが数限りなく存在してきたことを示す言葉の連なりが一つの問いとして開かれる。佐喜真は、サバイバーの訳語として「生き延びたものたち」を選び取る。そこには「語りえぬ記憶を単に罪責感に閉じ込めてしまうのでもなく、かといって道徳的に安易に『理解』してしまうのでもなく、未来への呼びかけとして彼/彼女らの遺した言葉の断片を聞き取りたいという願いが込められている」(xi頁)。本書は、「生き延びたものたち」に寄り添い、「生き延びたものたち」の哀しみのなかに潜む、生き延びられなかったものたちの記憶に触れようとする一冊なのである。
「沖縄文学」の枠組み
佐喜真は、「筆者の専門は沖縄文学研究であり、歴史学や社会学の訓練は受けていない」(45頁)と説明している。しかし本書がいわゆる「沖縄文学研究」の射程を越えて書かれていることは一読して明らかである。では「沖縄文学」とは、そして「沖縄文学研究」とはどのようなものなのだろうか。ここではまず、「沖縄文学」という領域の成立過程を確認することからはじめたい。
琉球処分以後、沖縄の人々は日本語を習得していった。近代的な思考や論理を身に付けるためには日本語の習得が不可欠であり、沖縄の知識人たちは日本語を積極的に学び、使いこなしていった。やがて沖縄の人々は、短歌や詩など、日本語による文学表現を生みだすようになる。琉球処分から30年以上が過ぎた明治40年代に入ると、短編小説も発表され、中央文壇で評価された。近代沖縄における日本語文学出発の遅れと作品の少なさは、沖縄の人々が日本語を表現言語とし、書き手となることが困難に満ちた営みであったことを示している。
それでも日本語のリズム、抒情は徐々に沖縄に根付き、詩歌、小説という形式も次第に受け入れられ、独自の言葉の命脈を形成していった。しかし戦争の時代に突入すると、日本語は皇民化教育の言語としての性格を剝き出しにする。教育勅語や戦陣訓、軍歌などが沖縄の人々を戦地に送り出す役割を果たしたことも直視されなければならない。植民地的状況に置かれた沖縄に対して、日本語は情動を絡め取る言語的暴力を振るったのである。
戦後を迎えると、米軍の存在や沖縄の人々のあり方を照射する文学活動がはじまる。1953年に創刊された『琉大文学』はその最たるものであった。同人たちは米軍による検閲をかいくぐりながら雑誌を発行し、前世代の文学に対する批判を展開した。こうした批判を一つのきっかけとして、「沖縄文学」は沖縄の現実、歴史、文化に向き合う姿勢を持ちはじめる。大城立裕は「カクテル・パーティー」(1967年)で米琉親善の欺瞞を暴き、沖縄の加害の記憶にも踏み込んだ。大城は、沖縄初の芥川賞受賞作家となった。その後、基地の町の生活を少年の視点で描き、沖縄の言葉を駆使して独自の文体を構築した東峰夫「オキナワの少年」(1971年)も芥川賞を受賞した。
1972年5月15日、沖縄の施政権は日本「復帰」を果たす。しかし基地や米兵は変わらず書くべき存在でありつづけていた。沖縄の老人を射殺する白人米兵の心情を一人称で書き切った又吉栄喜「ジョージが射殺した猪」(1978年)などが生まれ、女性作家たちも優れた作品を発表しはじめていた。その後、目取真俊、崎山多美らが登場し、佐喜真が注目した「1990年代以降の軍事化に抗うフェミニズム文学作品」(40−41頁)が生み出されていったのである。
一方、「沖縄文学研究」は、「復帰」後の「沖縄文学」に伴走すると同時に、散逸していた戦前の文学作品を収集し、その文学活動の全貌を明らかにしようとしていた。特に大きな画期となったのは、詩歌、小説、戯曲、証言、評論、紀行、文学史を網羅した『沖縄文学全集』(国書刊行会、1990年〜)の刊行である。全集刊行によって「沖縄文学」のテクスト分析が可能となり、琉球大学を中心として、「沖縄文学」を教え/学ぶカリキュラムが構築されていった。
しかし「沖縄文学」が研究と教育の制度のなかに組み込まれたことで生じた問題もある。特に、日本近現代文学の領域において発展してきた「沖縄文学研究」では、ともすると個別の作家、作品の解釈に重点を置くあまり、作品が形成される上で欠かすことのできない沖縄をめぐる歴史や地政学の考察が置き去りにされることがある。私自身も日本近現代文学研究の領域で「沖縄文学研究」を進めてきた一人として、この状況については忸怩たる思いがある。沖縄の歴史経験、言語的なゆらぎ、そもそも言語化されることのなかった問題の多くが見落とされ、テクスト分析の俎上にすら載らないことは決して珍しくない。沖縄と、沖縄以外の植民地文学との重ね合わせによって「沖縄文学」を捉えようとする比較文学的試みも複数登場してはいるものの、そこで用いられる概念や構造についてはより精緻に深めていく必要があるに違いない。
死政治からの脱却の模索
ふたたび、佐喜真の『生き延びたものたちの哀しみを抱いて――軍事化に抗する沖縄のフェミニズム文学』に戻りたい。本書では、沖縄の植民地的状況においてもたらされた病、暴力、共同体の問題が文学テクストの読解によって具体化され、掘り下げられる。しかしこのような大きな問題に取り組もうとすれば個別のテクスト分析で間に合うはずはなく、沖縄の歴史的状況や米軍の占領統治の手法、冷戦構造との関連、植民地主義下で生じる問題を扱った理論の検証や活用を精緻に行なう必要が出てくる。
本書を開いて、まず驚かされたのはその構成である。本書は、序章、第1章、補章、第2章、第3章、第4章、終章の7つの章で構成される。そして全体の半分近くを、序章から補章までが占めているのだ。これは、博士論文を元にした書籍であったからこそ可能となった構成である。学術誌や雑誌に掲載される「沖縄文学研究」の論文としての体裁を取ろうとすれば切り詰めなければならなかったに違いない前提が、本書の前半で広く、深く考察されている。
まず、序章では「死−世界」についての考察がある。沖縄は、沖縄戦から米軍占領期、そして「復帰」後から現在に至るまで、幾度も「世替わり」を経てきた場所である。しかしそれぞれの時代は断絶しているのではなく、連続性を有している。戦争、占領、復帰後のどの時代も、実質的に「戦後」とは呼べない状況にあった。佐喜真はそれを、目取真俊によるエッセイ集『沖縄「戦後」ゼロ年』(2005年)の考察や、沖縄に駐留する米軍が関わってきたアジアの戦場との結びつきを通して示し、アシル・ンベンベが示した植民地における死政治(necropolitics)の統治形態を補助線として考察を深める。死を管理・統制する政治に対する批判的考察の系譜として、佐喜真は1960年代末に沖縄の知識人たちが提唱した「反復帰論」をたどり直し、沖縄戦の最中に「集団自決」を到来させてしまった共同体の構造に対する批判の重要性に立ち返る。これらは、死の共同化を断ち切り、国家とは異なる共同体のあり方を目指す思想だった。
さらに佐喜真は、こうした沖縄の思想的水脈をジェンダーの視点をもって捉え直すことを試みる。「集団自決」の現場では、女性たちが潜在的な性暴力被害者として想定され、家父長制の論理にもとづく男性の意志と女性の貞操観念が交錯した結果、男性が行為者となって女性と子どもに手をかける事例が多発したことがすでに明らかとなっている。つまり、死政治はジェンダーと深く結びつき、家父長制や女性同士の分断を含む統治のシステムとなっていたのである。そしてその構造は、戦後にも引き継がれていった。
序章に続く第1章「再編される「慰安所」システム――米軍占領下における女性間の分断と連帯への萌芽」と、補章「うないを新生させる――80年代以降のフェミニズム運動」は、序章で示された沖縄をめぐる死政治の構造をジェンダーの視点から捉え直し、その出会い直しの実例を見るという極めて刺激的な役割を担っている。特に第1章は、1995年に沖縄で起きた米兵による少女暴行事件と、それに「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」がいかに寄り添い、行動を起こそうとしたかを起点として展開され、それが米軍占領期の沖縄の女性/婦人運動とどのような関係にあるかを明らかにするものとなっている。現在の沖縄で起こる事件、事故、そして、それに応答しようとする社会運動を、点としてではなく、歴史を貫く線として見ようとする視点がそこにはある。
不可視化された者との出会い直し
植民地の構造を直視し、「沖縄文学」を新たに思考し直そうとする佐喜真の論点は、本書の後半でさらに深められる。第2章では目取真俊の長編『眼の奥の森』(2009年)が、第3章では同じく目取真の短編「群蝶の木」(2000年)が取り上げられ、第4章では崎山多美の中編「月や、あらん」(2012年)が論じられる。この3つのテクストには、「沖縄において他者化され、その記憶から忘却されてきた戦時性暴力被害者」(40頁)が登場する。佐喜真がもっとも重視する、沖縄という共同体のなかで不可視化され、追悼/哀悼の対象となってこなかった人々が、佐喜真によるテクスト分析を通して呼び戻されるのである。
『眼の奥の森』の分析に先立ち、佐喜真が呼び込むのはフランツ・ファノンが『地に呪われたる者』で触れた「植民地戦争性精神病」の症例である。そしてそれは単に理論として引用されているのではなく、精神の傷のありかを、夢や、筋肉の痙攣に見いだすまなざしを研ぎ澄ます役割を果たしている。植民地戦争がもたらす傷を、武装闘争とは異なる方法で受け止める可能性を佐喜真は探ろうとする。『眼の奥の森』は、米兵によって輪姦された村の少女・小夜子に思いを寄せていた少年・盛治が対抗暴力を発動させ、米兵の一人に傷を負わせる事件からはじまる物語である。当事者の小夜子は無論のこと、この事件にいくらかでも関わった人々は、出来事から60年以上経っても悪夢に取り憑かれている。そこに「植民地戦争性精神障害」を見いだすことは難しくない。しかし、佐喜真の分析の独自性は、盛治が盲目となることへの注目にある。米軍の暴力を模倣しつつ広がり、激化する、沖縄の共同体における視線の暴力の連鎖から、盲目の盛治は次第に身を引いていく。佐喜真はそこに、断絶や分裂を生じさせる構造からの脱却を見ようとする。
「群蝶の木」の分析では、当事者の身体に生じるトラウマ的症状が非体験者にいかに受け渡されていくかが問われる。「群蝶の木」では、戦後世代の義明が、沖縄戦時に日本軍の従軍慰安婦とされ、戦後は米兵相手の旅館で働かされた沖縄女性ゴゼイに接触し、二人それぞれの視点で物語が進む。ゴゼイの心中は、共同体の成員に届くことのない、閉じた語りとして展開される。そのため、ゴゼイの体験や記憶は正当に継承されないままとなっている。佐喜真は、共同体の「字史」を執筆する男性や、戦後世代の義明、そしてゴゼイが抱く「後ろめたさ」の感覚に注目しようとする。
特徴的なのは、佐喜真がテクストのなかの「字史」ではなく、実際に沖縄で編まれた70年代以降の『沖縄県史』や『那覇市史』を取り上げ、そこに何が書かれ、何が書かれていないかを見ようとしている点である。当初欠落していた「慰安婦」や「朝鮮人」に対する視線は、80年代には断片的に見られるようになる。そして、佐喜真が第1章の補章で触れている通り、90年代の沖縄におけるフェミニズム運動は「慰安婦」の記憶と対峙しようとしていた。佐喜真はこうした歴史文脈を踏まえ、2000年に目取真によって書かれたこの短編に、沖縄における地域史や、共同体の語りからこぼれ落ちてきた人々と沖縄の人々との出会い直しを見いだそうとする。義明とゴゼイはすれ違いつづけるが、佐喜真は、二人の身体感覚の描写を細かく拾い上げ、身体が接触する瞬間に伝播するものをつかみとろうとしている。
崎山多美「月や、あらん」をめぐっては、テクストの外部に位置づけられる物語がある。それは、崎山自身の母が子どもの頃に宮古島で聞き取った「従軍慰安婦」女性の声の「真似伝え」をめぐるエピソードである。崎山が母との最後の時間に聞き取った声が崎山の身体に宿り、崎山が執筆した小説のなかに響いているのである。
「月や、あらん」は、行方をくらました編集者・高見沢了子の仕事を引き継ごうとする「わたし」をめぐる物語である。高見沢了子は、元「慰安婦」について書かれた原稿を持ち込まれ、その原稿の裏取りをするために朝鮮人の元「慰安婦」女性を探し出す。彼女との出会いをきっかけに、高見沢は自分自身を変容させる試みを重ね、最後には人としての姿も失っていく。佐喜真は、どのような力がこうした高見沢の変容をもたらすのかを重視する。そしてサイードの『フロイトと非−ヨーロッパ人』を参照しながらアイデンティティの裂け目や瑕疵を見いだし、そのような裂け目によって導かれる破綻こそがより根源的な他者との出会いの場を開いていることを見事に示してみせる。
佐喜真は、一貫してテクストの裂け目や傷に眼を注ぎつづける。それらは血を流す生身の痛みとしての傷であると同時に、その裂け目のなかに何かを呼び込み、新たなかたちの関係性を築こうとする可能性を秘めたものでもある。「追悼/哀悼はそのまま闘いとなる。そして、その抗う主体は、血縁や地縁による共同体ではなく、不可視化された人々や他地域の軍事化に抗う無数の人々を含む新たな共同性なのだ」(130頁)と佐喜真は言う。そのような共同性の到来を招き寄せる力が、本書を構成する言葉の端々にまで宿っている。







