【Web先行公開】比較のなかの国旗損壊罪

山元 一(青山学院大学教授、慶應義塾大学名誉教授)
2026/07/09
Red disc of the Japanese flag painted on a rough white brushstroke against a dark textured background.

はじめに

 6月30日、国旗損壊罪創設法案は衆議院本会議で可決され、参議院に回付された。

 その内容は、「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の拘禁刑又は20万円以下の罰金に処する。」(2条1項)というものである。

 そして、「前項の方法に該当するかどうかの判断は、行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案して行うものとする。」(同条2項)とされている。

 また、「適用上の注意」として、「この法律の適用に当たっては、表現の自由その他の日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と定められている。

 ここで問題となるのは、単に方法として、人々に著しい不快な感情を抱かせる仕方で、「国旗を傷つける行為を処罰の対象としてよいか」ということにとどまらない。国旗を焼く、破る、汚すといった行為は、多くの場合、国家や政府に対する強い抗議、すなわち政治的表現として行なわれる。したがって、このような行為を刑罰の対象にすることは、国家に対する激しい批判的表現をどこまで許すのかという、表現の自由の核心に関わる問題にかかわる。

 本法案を推進してきた人々は、〈他国において国旗損壊行為が処罰されているのに、日本にそのような規定が存在しないのはおかしい〉 と主張してきた。確かに、外国の法制度を参照すること自体は珍しくない。しかし、フランス語に Comparaison n’est pas raison という表現がある。これは、「比較したからといって、それだけで根拠になるわけではない」という意味である。

 外国に同じような制度があるというだけでは、その制度を日本に導入する理由にはならない。その制度がどのような歴史的背景のもとで作られ、裁判所によってどのように適用され、他の人権保障とどのようなバランスを保っているのかを見なければならない。

 そこで本稿では、アメリカ、ドイツ、フランス、そしてヨーロッパ人権裁判所の事例を手がかりに、国旗損壊行為を処罰することの意味を考えてみたい。

アメリカ憲法と国旗

 アメリカ憲法との関係で国旗を考えるときに真っ先に思い浮かぶのは、アメリカ連邦最高裁判所が下した2つの判決、バーネット判決(West Virginia State Board of Education v. Barnette, 319 U.S. 624 (1943))とジョンソン判決(Texas v. Johnson, 491 U.S. 397 (1989))である。

 バーネット判決は、ウェスト・ヴァージニア州教育委員会が公立学校の生徒に国旗敬礼および忠誠宣誓を義務づけたことに対し、宗教上の理由からこれを拒否したエホバの証人の信者である生徒とその親が訴訟を提起した事件である。

 連邦最高裁は、3年前に同種の強制を合憲としたゴビタイス判決(Minersville School District v. Gobitis, 310 U.S. 586 (1940))——同判決の後、各地でエホバの証人に対する迫害が頻発していた——を明示的に変更し、国旗敬礼および忠誠宣誓の強制は、国家が特定の思想ないし信条の表明を強制するものであり、表現の自由に反するとして、違憲とした。

 ジョンソン判決は、まさに国旗損壊行為を処罰するテキサス州法の規定についての判決である。被告人であるジョンソンは、1984年に同州ダラスで開催された共和党全国大会に抗議するデモの一環として星条旗を焼却し刑事罰に問われたが、連邦最高裁は、国旗焼却行為は政治的メッセージの伝達行為であって、憲法の保障する表現の自由の保護範囲に含まれ、その処罰は許されないとして、有罪判決を破棄した州裁判所の判断を維持した。

 本判決を受けて、連邦議会は1989年国旗保護法を制定したが、同法も違憲とされた(United States v. Eichman, 496 U.S. 310 (1990))。

 バーネット判決が下されたのは、1943年6月1四日であるが、この日は、1777年に星条旗がアメリカの正式な国旗として制定されたことを記念する「国旗の日(Flag Day)」であった。1943年6月のアメリカは日本と戦争中であり、1942年6月のミッドウェー海戦、1943年2月のガダルカナル島からの日本軍撤退を経て、太平洋戦争の主導権はアメリカ側へ移りつつあった。アメリカが日本に対して最終的に勝利するには,なお数多くの貴重なアメリカ人兵士の生命が犠牲にならざるを得ないことが予測される状況にあった。

 戦意を高揚するために国旗が用いられたこと自体は、普遍的な現象である。日本においてこの当時日の丸が出征や戦意高揚のために広く用いられていたのに対し、アメリカにおいてこの戦争は、日独らの市民の思想の自由を否定する全体主義体制との「自由という理念」を賭けた戦争として位置づけられていたため、国旗はその象徴でもあった。

 バーネット判決からは、たとえ戦時下であっても国家が市民の内心や思想を統制してはならず、むしろ国として思想の自由を守る姿勢を明確にすることによってこそ、この戦争を遂行する大義を持ちうる、という考え方を読み取ることができる。この考え方は、政治的意見の表明である国旗損壊行為を処罰することは〈自由の国アメリカ〉というアイデンティティーを致命的に傷つけると考えるジョンソン判決の思想と深く結びついている。

全体主義体制の否定の象徴としての国旗――ドイツ国家象徴の保護

 バーネット判決が自由の敵として念頭においていた全体主義体制の一つであるドイツは、ナチス体制の崩壊後、ナチス時代の鉤十字旗を改め、民主的伝統を示す黒・赤・金の三色旗を連邦旗として復活させ、これを基本法(憲法)に明記した(22条。現行22条2項)。その上で、ドイツ刑法90a条は、「国家およびその象徴の冒涜」に対する処罰を定め、公然と、集会において、または頒布物により、連邦や州の国旗等を誹毀する行為に対して、3年以下の自由刑または罰金を科す規定を有する。

 このような明文でかなり厳しい規定を有するドイツでは、国旗損壊行為はいかなる場合でも処罰の対象とされるのであろうか。

 ドイツ連邦憲法裁判所が1990年3月7日に下した国旗決定(BVerfGE 81, 278)は、反軍国主義的な文集の裏表紙に用いられた、国旗への放尿を含むコラージュを理由とする有罪判決を、芸術の自由(基本法5条3項)の侵害に当たるとして破棄した。本決定で問題となったのは、基本法上、表現の自由(5条1項)とは別に保障された芸術の自由である。表現の自由が「一般的法律」等による制限の留保に服する(5条2項)のに対し、芸術の自由は留保なしに保障されている。

 本決定において重要なのは、国家象徴の保護が認められる理由と、その保護に限界が画される理由とが、同じ根拠に由来していることである。すなわち、連邦旗は、「自由な国家としての連邦共和国」が立脚する「自由で民主的な基本秩序」を象徴するものであるから、憲法上の保護の対象となりうる。しかしそれと同時に、その国家が「自由な国家」であるからこそ、〈国家象徴の保護〉を盾にとって国家に向けられた厳しい批判を免除してはならない、とされたのである。

 アメリカとドイツに共通する考え方として、国旗は一体何を象徴/尊重しているのか、ということが真正面から問われ、その意義が処罰を限定する根拠となっていることが、何よりも重要である。

裁判所による処罰範囲の限定――フランスの判例法理

 フランスにおいて、一般に共和国の理念である自由・平等・友愛を象徴するものとして捉えられてきた三色旗が憲法において国旗として明文化されるのは、第四共和制憲法2条(1946年)である。本規定を継承した現行第五共和制憲法は、「国旗は、青・白・赤の三色旗である。」と規定している(2条2項)。

 2003年になってはじめて、「公権力により組織され、またはその規制の対象となる集会やイベント」における国旗侮辱行為を軽微な罪とする法律が導入された(刑法典433-5-1条)。その後、2010年には、首相の定めた規則(デクレ)によって、公序を乱すおそれのある状況において、三色旗を侮辱する意思をもって公共の場所等で行なわれる国旗損壊行為が処罰の対象とされるに至り、私的な場所で行なわれたものも含めて、その画像記録の流布行為も処分の対象とされるに至った(刑法典R・645-15条)。

 前者について、憲法裁判を行なう憲法院は、同法の規制が表現の自由を侵害するとはしなかったが、同法が合憲であるための条件として、創作的行為に基づくものや私的な発言等は適用の対象外とされなければならず、また、公的組織のイベントや法的規制が課されるスポーツ・娯楽・文化イベント以外には適用されないと解釈しなければならない、とした(Cons. const., déc. n° 2003-467 DC du 13 mars 2003, Loi pour la sécurité intérieure、 cons. 104)。

 後者については、フランスの最高行政裁判所である国務院が2011年7月19日の判決において、1789年人権宣言10条および11条、ならびに加盟国に共通する表現の自由保障の基準であるヨーロッパ人権条約10条の趣旨を踏まえ、その制限が許されるのは「民主的社会において、とりわけ公序の維持のために必要な措置である場合に限られる」とした。

 さらに国務院は、「この規定は、その行為を通じて政治的・哲学的な思想を表明しようとする意思に基づく行為や、芸術的創作として行われる行為を処罰対象とするものではない。」として、かなり厳格な解釈を示している(CE, 19 juill. 2011, Ligue des droits de l’homme, n° 343430)。

国王夫妻の写真の焼却――ヨーロッパ人権裁判所による救済

 ヨーロッパ人権条約が取り扱った事件に興味深いものがある。国旗ではなく国の象徴的存在である国王夫妻の写真の焼却行為に対して刑事罰が課された事件がそれである。

 スペイン憲法裁判所は当該行為を行なった者に対する王室侮辱罪による下級審の有罪判決を支持したが、ヨーロッパ人権裁判所は、2018年3月13日判決において、「この種の行為は、不満の象徴的表現、すなわち抗議として解釈されるべきである。申立人らが演出したこの『イベント』は、公共的関心事項に関する議論、すなわち君主制についての議論の文脈において意見を表明するための手段であった。」とし、このような行為について拘禁刑を課すことは、「民主的社会において必要のない、表現の自由への介入」だとして、同条約違反を認定した(ECtHR、 Stern Taulats and Roura Capellera v. Spain、 nos. 51168/15 and 51186/15、 13 March 2018, §36)。

アメリカとヨーロッパの比較

 以上の例をまとめると、次のようになる。アメリカでは、国旗損壊行為の処罰は、政治的表現の自由を侵害するものとして許されていない。これに対して、ヨーロッパ、すなわちドイツ、フランス、そしてヨーロッパ人権条約のもとでは、国旗や国家象徴を保護する刑罰規定が存在すること自体は否定されていない。

 しかし、そこでは裁判所によって、処罰範囲に厳しい限定が加えられている。政治的な抗議や芸術的表現行為については、たとえそれが激越で、強い不快感を与えるものであったとしても、表現の自由の保護を受けうるとされているのである。

 さらに、この問題はヘイトスピーチ規制のあり方とも深く関わっている。アメリカでは、ヘイトスピーチ規制についても、表現の自由に対する侵害に当たる規制であるとして原則として法的規制の対象とならない。

 これに対して、国旗損壊行為の処罰を認めるドイツやフランスでは、ユダヤ人差別言論やホロコースト否認を中心として、ヘイトスピーチに対しても厳しい刑罰が課されている。たとえば、ドイツやフランスで、「強制収容所のガス室は、ユダヤ人の作り話だ」などと公然と発言すれば、刑事罰の対象となるのである。

 つまり、ヨーロッパでは、国家象徴だけが一方的に厚く保護されているわけではない。国家象徴の保護と同時に、差別や憎悪の標的となるマイノリティの尊厳を守るための法的規制も存在している。この点を抜きにして、国旗損壊行為に対する処罰規定だけを取り出して、「外国にもある」と主張するのは、比較法の使い方として大きな問題がある。

日の丸と法的規制

 これに対して、日本はどうだろうか。

 これまでの日本は、むしろアメリカに近い位置にあった。すなわち、自国の国旗損壊行為は特別に処罰の対象とされてこなかった。他方で、ヘイトスピーチについても、2016年にヘイトスピーチ解消法が制定されたとはいえ、刑罰を伴う強い規制が導入されたわけではない。日本のヘイトスピーチ規制は、ヨーロッパ諸国と比べれば、なお微温的なものにとどまっている。

 そのような状況のもとで、日本が国旗損壊罪を創設しようとするなら、重大な不均衡が生じる。日本に住むさまざまなマイノリティに対する憎悪的な差別言論をほとんどフリーパスにしたままで、国旗に対する攻撃だけを自由刑を含む刑罰の対象にすることになるからである。

 それは、現在の国家や政府、あるいは現在の社会状況に好意的な人々の感情を優先して保護し、差別的言論のターゲットとなるマイノリティの尊厳や安全を後回しにするものだ、と評価されてもやむをえない。

 さらに重要なのは、国旗がそれぞれの国で何を象徴しているのかという問題である。アメリカの星条旗は、連邦最高裁判所の判例において自由の理念と結びつけて理解されてきた。ドイツの黒・赤・金の三色旗も、ナチス体制を否定し、「自由で民主的な基本秩序」の象徴として位置づけられている。フランスの三色旗も、共和国の理念である自由・平等・友愛と結びつけられてきた。だからこそ、これらの国の裁判官は、国旗に対する法的保護を認める場合であっても、その名のもとに国家への批判的表現を広く抑え込むことには慎重な態度をとっているのである。

 これに対して、日の丸は、歴史的には、軍国主義体制やアジアにおける侵略戦争との関連性を強く意識させる存在である。このような歴史的背景をもつ国旗について、現在の政府や社会に対する抗議としてなされる損壊行為を刑罰で処罰することには、より一層慎重でなければならないはずである。

 近い将来、日本で国旗損壊罪が制定されれば、検察官や裁判官には、政治的抗議や芸術的表現として行なわれた国旗損壊行為について、処罰範囲を慎重に限定することが強く求められる。

 しかし、現在の日本社会では、そのような限定的な判断に対して、SNS上で激しい批判や圧力が向けられることは十分に予想される。かりに、担当裁判官が、表現の自由を保障する観点から無罪判決を言い渡した場合、「反日裁判官」などという激越な人身攻撃にさらされ、その裁判官に対して著しい名誉毀損・プライバシー侵害等がなされる危険も生じるであろう。

 そのような状況のもとで、日本の裁判官が、ドイツやフランス、あるいはヨーロッパ人権裁判所と同様に、政治的・芸術的表現を保護するための限定解釈を十分に行なうことが果たしてできるであろうか。ここに、比較法的観点から見た場合の国旗損壊罪創設法案の最大の危うさがある。

 そして、もし裁判所が十分な歯止めをかけられなければ、市民の表現活動に対して強い萎縮効果がもたらされることなろう。

山元 一

(やまもと・はじめ)青山学院大学教授。慶應義塾大学名誉教授。専門は、憲法、トランスナショナル人権法。著書に『国境を越える憲法理論』(日本評論社)、訳書に『憲法改正が「違憲」になるとき』(弘文堂)など。

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