早田健文(はやた・たけふみ)
台湾通信代表。一九八四年から台北在住。中国広播公司、中央広播電台の国際放送パーソナリティー・記者。台湾の政治・経済情報誌『台湾通信』(日本語)発行人。著書に『台湾人の本心』(東洋経済新報社)。
本田善彦(ほんだ・よしひこ)
台湾在住ライター。一九九一年から台北在住。中国広播公司、中央広播電台の国際放送パーソナリティー・記者を経てフリーに。著書に『台湾総統列伝』(中公新書ラクレ)、『日・中・台 視えざる絆』(日本経済新聞社)、『台湾と尖閣ナショナリズム』(岩波書店)など。
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「台湾は何も犠牲にせず、何も放棄しなくても、(中国大陸と)握手し、交流できる」
台湾の最大野党・国民党(中国国民党)党首、鄭麗文主席(56歳)は、2026年4月7~12日に中国大陸を訪問し、中国共産党の習近平総書記(中国国家主席)と会談した。冒頭の言葉は、鄭麗文氏が会談後に語ったものだ。
鄭麗文氏は、その根拠となるのは、「92年コンセンサス(92共識)」と「台湾独立反対(反対台独)」だと強調する。トランプ米大統領も、5月の習近平氏との会談後、台湾独立を望まないとの趣旨の発言を行なっている。そして、日本にほとんど伝えられていない「92年コンセンサス」は、最重要のキーワードだ。ここではこれらキーワードをひも解きながら、鄭麗文氏の中国大陸訪問の意味を考える。
台湾に平和の知らせを持ち帰る
日本では、依然としていわゆる「台湾有事」が議論されている。高市早苗氏は、首相就任間もない2025年11月、国会での答弁で「台湾有事」に関する発言を行ない、日中関係は悪化した。「台湾有事」を煽る風潮の中で、鄭麗文主席の中国大陸訪問は、それを鎮静化するものだ。
国民党は与党・民進党(民主進歩党)と並ぶ台湾の二大政党の一つである。直近の2024年の議会選挙で第1党となり、野党第二党の台湾民衆党(民衆党)と協力して過半数を占めた。過半数割れした民進党は議会の主導権を失った。同年の総統選挙では頼清徳氏が当選し、民進党政権の継続には成功したものの、得票率は40%にとどまった。
つまり、中国大陸と対立する民進党が、台湾のすべての意見を代表しているわけではない。好き嫌いは別として、民進党だけを見ていては、台湾の半分も見ていないことになる。その台湾政治のもう一方を代表する国民党が、10年ぶりの党主席の大陸訪問という大きな動きに打って出た。
鄭麗文氏は、習近平氏との会談後、今回の訪問の最重要成果は「台湾に平和の知らせを持ち帰ること」だと語った。
「全世界が台湾海峡両岸の情勢に非常に悲観的になっている時、国民党と共産党の両党トップは、(両岸の平和的発展は)実は皆が考えているほど困難ではないと証明した」
両氏は、終始穏やかな雰囲気の中で、「平和」と「中華民族の感情」を語り合ったという。メディアに公開された会談の冒頭の挨拶で習近平氏は、台湾と中国大陸の同胞は、同じ中華民族だと強調した。
「両岸の同胞は共に中華民族に属している。中華民族は5000年以上の文明史を持つ偉大な民族である。……国土は分割できず、国家は混乱してはならず、民族は分裂してはならず、文明は断絶してはならない」
さらに、日本による台湾の植民地統治に触れ、「台湾が(日本に)占領されていた苦難の時代においても、台湾同胞は強い中華民族意識と確固たる中華文化への情感を保ち続け、血と命をもって自らが中華民族という大家族の切り離せない一員であることを証明してきた」と述べた。そして、「両党の指導者が本日会見したのは、……両岸関係の平和的発展を推進し、子孫がより良い未来を共有できるようにするためである」と強調した。
交流の政治的基礎を確認
習近平氏は、両岸交流の政治的な基礎は「92年コンセンサス」堅持、「台湾独立」反対だと指摘し、「両岸関係の未来を中国人自身の手にしっかりと掌握していく」と、外来の干渉を受け入れない姿勢も示した。
一方の鄭麗文氏は挨拶で、平和と民族感情を強調した。
「両岸の平和と和解は、貴党と我が党が手を携えて努力するための出発点にすぎない。……中華民族の偉大な復興は両岸の人々に共通する復興である」
そして、同様に「92年コンセンサス」堅持、「台湾独立」反対が共通の政治的基礎だと指摘し、その基礎の上に両岸が制度的かつ持続可能な対話と協力の仕組みを構築し、両岸の平和的発展を不可逆的なものへと導き、あらゆる衝突の要因を根本から取り除くべきだと語った。
その後の会談と昼食は非公開で行なわれた。その内容について国営新華通訊社が伝えたところでは、習近平氏は「祖国である大陸は、山河が雄大で美しく、市場も広大である。台湾同胞がいつでも家に帰るように大陸を訪れることを歓迎する。また、台湾の若者が大陸に来て交流し、発展することを歓迎する。さらに、台湾の農水産物や優良な商品が大陸の多くの家庭に入ることも歓迎する」と語り、台湾に対して新しい優遇措置を打ち出すことを予告した。
一方、鄭麗文氏は会談後の記者会見で、特に印象深かった習近平氏の言葉として、「大陸側は、大陸と異なる台湾同胞の社会制度と生活方式を尊重する。しかし、私は台湾側も、大陸の発展の成果を肯定することを期待する」との発言を紹介している。
この発言は、習近平氏が台湾の現状維持を容認する考えを示唆したと受け止めることもできる。習近平氏はさらに、「両岸の社会制度、政治主張は異なってもよい。しかし、共通の祖先、民族の血脈を断つことはできない。社会制度が異なることを、分裂の口実にすべきではない」と強調し、「歴史の発展で異なったものを、一歩一歩、氷解させる。時間はかかるが、一歩一歩進める」「両岸の平和・発展に有利な主張であれば全力で行う」「戦争を避け、共に人民の最大の福祉を求める」と語った。鄭麗文氏はこれを、実務的で「非常に大きな善意の表現だと思う」と評価した。
中華民国憲法に基づく「一つの中国」
このやり取りを、双方の本心と受け止めるか、あるいは裏があると捉えるか、様々な解釈はあるだろうが、結果が出るのは将来のことである。ただ少なくとも、この会談で具体的な「統一」の道筋や時間表、あるいは何らかの要求は話し合われなかった。繰り返し取り上げられたのは「92年コンセンサス」堅持と「台湾独立」反対の2点だ。
そのうち、「台湾独立」反対については、台湾の自立性を強調し、歴史認識から経済関係までを含む中国大陸との切り離しを進める民進党政権を、中国大陸側は台湾独立勢力だと位置づけて批判している。
では、「92年コンセンサス」とは何か。簡単に言うと、1992年に双方の窓口団体が香港で行なった会談で、「一つの中国」の原則を口頭で確認したとされる合意である。国民党の李登輝総統時代の1992年のことなので、「92年コンセンサス」と呼ばれる。
中国大陸側が「一つの中国」を主張するのは分かる。では、なぜ台湾側がこれを認めたのか。実は、台湾側が根拠としたのは台湾で施行されている「中華民国」憲法であり、この憲法は台湾と中国大陸を含む「一つの中国」を前提としている。つまり、中華民国憲法に則れば、理論的には台湾側が「一つの中国」を否定する理由はない。
中華民国憲法は、中華民国が中国大陸にあった時代に制定され、中国全土を領土する「一つの中国」憲法だ。第二次世界大戦後、国民党と共産党の間で内戦が勃発し、共産党が勝利して1949年に中華人民共和国が成立する。
国民党は中華民国と共に台湾に逃れたものの、蔣介石氏・蔣経国氏の政権は引き続き中国全体の統治権を主張し、「反攻大陸」を目指して共産党と対立した。中華民国は1971年の脱退まで国連の常任理事国を務めたように、全中国の代表として国際社会にも認められていた。一方、国民党は台湾内部で38年間にわたる戒厳令を施行し、異論を封じる強権的な政治を行なった。
しかし、1987年に戒厳令が解除されるなど民主化が進み、それまで禁止されていた中国大陸との往来が段階的に再開される。1988年に台湾出身の李登輝氏が総統を引き継ぐと、1991年に法的に内戦状況を終結させ、これを受けて双方に窓口団体が開設される。そして、1992年の会談で「92年コンセンサス」を達成した。ただ、文書に残っていないため、そこで「一つの中国」で合意したのかどうかは、今でも台湾では論議がある。
台湾と大陸の関係良好な時代
日本では、台湾と中国大陸はずっと対立してきたかのような印象を持つ人が多いと思うが、実はそうではない。
2000年の総統選挙で、民進党の陳水扁氏が当選し、戦後初の政権交代を実現した。陳水扁政権の8年間、台湾と中国大陸との両岸関係は若干の進展も見られたが、台湾独立色の強い政策の下で次第に関係が悪化していく。
その両岸関係の改善を期待されて、国民党の馬英九氏が2008年の総統選挙で勝利し、国民党は政権に復帰した。馬英九政権の8年間、「92年コンセンサス」に基づき、両岸は非常に友好的な関係を築いた。各種の交流が盛んになり、多くの協定が結ばれた。双方の人々も、互いに良好な感情を持った。しかし、活発化した両岸関係が、逆に国民党を苦境に陥れた。中国大陸の経済発展を目にした台湾の人たちに、警戒感、嫌悪感、敗北感が広がる。大挙して台湾を訪れる中国大陸からの観光客の爆買いは、それまでの台湾の優越感を打ち崩すことになる。
反中感情の広がりの中で、学生たちが議会の議場を占拠した2014年の「ヒマワリ学生運動」が起きる。そうした反中の流れを受けて、2016年に民進党が蔡英文氏を擁立して総統選挙に勝ち、政権は再び民進党に交代する。
中国大陸側は民進党に「92年コンセンサス」を認めるよう呼びかけたが、民進党はこれを拒否する。憲法の「一つの中国」原則は、民進党政権も現在に至るまで改正していない。それにもかかわらず「92年コンセンサス」を拒否することは、「一つの中国」の否定を意味する。ここから両岸対立が生まれ、中国大陸側は、民進党が台湾独立を意図しているとみなして関係を断絶し、軍事を含めた様々な圧力をかけ、現在論議される「台湾有事」への懸念が生まれることとなる。2024年に頼清徳氏が総統に当選して以降はさらに対立が激化している。
大陸が提示した10項目措置
こうした中での鄭麗文氏の中国大陸訪問に対し、民進党政権は強い警戒感を示し、党・政府を挙げて激しい批判を繰り返した。頼清徳総統の言葉を挙げてみよう。
「ある人々は、権威主義者と握手し、交流し、妥協し、主権を放棄さえすれば平和を得られると考えている」「しかし、歴史は私たちに教えている。真の平和は、権威主義に屈したり妥協したりすることで得られるものでは決してない」(4月5日)
民進党は、「鄭麗文が主張する平和の枠組みとは、実際には統一の枠組みである。鄭麗文が『92年コンセンサス』を堅持することは、結果的に中国共産党が意図する中華民国の消滅という目的に対して保証を与えることになりかねず、『併合という毒薬』を『平和の解毒剤』と取り違えている」(4月10日)と指摘し、敵意を露わにした。
国民党は、鄭麗文主席の中国大陸訪問の前に、頼清徳総統との面会を公開で呼び掛けた。しかし、反応はなかった。
こうした民進党からの激しい批判の中で、鄭麗文氏が訪問を終えた4月12日、中国大陸側は、両岸提携協力を促進する10項目の措置を発表した。
1、国民党と共産党のコミュニケーションの常態化。
2、国民党と共産党の青年による双方向交流の制度化。
3、金門・馬祖への水道、電気、ガスの供給、橋の建設。
4、航空直行便の全面的な正常化。厦門新空港の共同利用。
5、台湾の農水産品の中国大陸への輸入に対する便宜提供。販売ルートの拡大支援。
6、台湾の遠洋漁船の寄港および遠洋漁獲物の陸揚げ、販売への便宜提供。
7、台湾食品の中国大陸への輸入に対する便宜提供。
8、台湾の中小企業による中国大陸市場開拓の支援。
9、台湾の映像作品の放送許可。
10、上海市・福建省からの台湾(本島)への個人旅行再開。
産業界からの期待感と政権の焦り
これらの措置に対して、台湾の産業界から強い期待感が伝わってくる。世界に誇る半導体をはじめとした台湾のハイテク産業と異なり、措置の対象となる従来型の産業、そして中小事業者にとって、中国大陸の巨大市場は魅力だ。しかし、民進党政権下では阻害されていたのだ。
民進党政権は、この10項目措置を激しく批判した。対中国大陸事務を管轄する行政院大陸委員会は、「中国共産党による一方的な利益供与は、実質的には『糖衣毒薬』(糖衣に包まれた毒薬)に過ぎない」(4月12日)と指摘した。ここに、民進党政権の強い焦りが伝わってくる。
一方、主要経済団体の「全国商業総会」は、「産業の発展を優先し、国民にとって有益なものであれば開放すべきものは開放すべきであり、産業や国民と対立する立場に立つべきではない。政策は全体の利益を基準として進められるべきである」(4月20日)と、民進党政権に反発した。
賛否両論と好意的評価
鄭麗文氏の中国大陸訪問を、台湾の世論はどう評価しているのか。ここでは、各種の世論調査の中で比較的に信頼度が高いとされるニュース専門テレビ局TVBSが、訪問直後の4月16~23日に行なった調査を紹介する。
鄭麗文・習近平会談について、「成功だった」と考える人は46%、「成功ではなかった」は31%だった。会談が両岸関係の平和的発展に役立つかどうかについては「役立つ」43%、「役立たない」39%。両岸の政府が交渉を行なうことには「支持する」66%、「支持しない」19%。「92年コンセンサス」の基礎の上に両岸関係を発展させることには「支持する」46%、「支持しない」32%。
世論は分かれるが、比較的に好意的な評価が多い。実は国民党内部にすら、選挙での票流出への不安の声があったが、訪問後はそうした声は小さくなったという。
日本が果たすべき役割
鄭麗文主席は今回、上海市、南京市、北京市を訪れている。その中で、習近平氏との会談に次いで重要なメッセージを発したのは、江蘇省南京市の中山陵への参拝だった。南京はかつての中華民国の首都であり、中山陵は中華民国の「国父」と呼ばれる孫文の墓所である。
鄭麗文氏は、中山陵での談話で、台湾の日本植民地統治について述べている。台湾と中国大陸の共通の記憶は、侵略者としての日本だ。次のような一節がある。
「中国の弱体化があったからこそ、台湾は日清戦争の敗北後に植民地へと転落した。……当時の台湾の知識人たちは、革命成功後の中国が奮起して国力を強め、早期に台湾を回復し、日本の植民地支配を終わらせることを望んだ」「今日に至るまで、両岸の間にはなお、130年前の日清戦争によって、日本帝国主義の大刀により台湾海峡に沿って切り裂かれた傷口が残り、いまだに癒えることがない」
つまり、台湾と中国大陸が、日本によって苦難を余儀なくされたとの認識を共有することで、「一つの中国」の概念は強化される。こうした現実を踏まえると、今、日本が行なうべきは、「台湾有事は日本有事」、「存立危機事態」などと言って両岸の対立を煽ることではないだろう。
国民党と共産党は、平和を基調に対話を進めることになった。ここで日本が行なうべきは、両岸の各関係方面に対話を促すことではなかろうか。それは、かつて中国大陸を侵略して多くの犠牲を強い、台湾を植民地統治して収奪した過去を持つ日本だからこそ、やるべきことだ。そうしなければ、両岸情勢の変化の中で、日本はいずれ足をすくわれるのではないか。








