【新刊】ルポ イバラキ

民主主義が消えていく

著:小林美希

2025年8月発売、地平社刊

ルポ イバラキ

民主主義が消えていく

私たちの民主主義はどこへ?

「ばか、死ね、出ていけ」。
知事の怒声が響く茨城県庁。
副知事の秘書がパワハラを苦に自殺。
その報告書は非公開。
地域の政財界を牛耳る高齢男性たち。
だが議会に野党はほとんどおらず、地元メディアは御用達。
民主主義はどこへ?
茨城県にフォーカスして行政・メディア・教育の病に切り込む、
月刊『地平』の好評連載を書籍化。

ジャーナリスト。1975年茨城県生まれ。ひたちなか市立東石川小学校、勝田第三中学校、茨城県立水戸一高、明治学院大学法学部(中退)、神戸大学法学部を卒業。株式新聞社、毎日新聞社『エコノミスト』編集部(契約社員)を経て、2007年よりフリーに。就職氷河期世代の雇用問題や保育、医療・介護がライフワーク。著書に『ルポ 保育崩壊』『ルポ 看護の質』『ルポ 学校がつまらない』(岩波書店)、『年収443万円』(講談社)、『ルポ 中年フリーター』(NHK出版)、『夫に死んでほしい妻たち』(朝日新聞出版)ほか多数。

小林美希(著)

本書はじめにより(抜粋)

茨城の県知事がひどいんですよ。母校の名前まで変えようとしていて——。

「ルポ イバラキ」は、地平社を立ち上げたばかりの熊谷伸一郎さんとの雑談から始まった。

筆者の母校であり、大井川和彦・茨城県知事の母校でもある県立水戸第一高校に、2021年度、附属中学が設置された。「高校受験が公平でなくなる」と、同窓の友だちも失望していた。次いで、水戸一高をはじめとする一高、二高、三高といったナンバースクールの名称を変えようとする案が浮上した。当然、「学校名には校名と結びついた伝統、文化、想いがある。校名が変われば、自分が卒業した学校ではないというくらい大事なもの。校名と過ごした時間は結びつくもの」と、大反発が起こっては鎮火するということが繰り返される。いったいこれは何なのだろう。調べると「大井川案件」だった。

浪人と進学を機に茨城を離れて約30年。わが故郷はどうなっているのか。ひたちなか市(旧勝田市)出身の筆者は、2024年春から足しげく地元に帰って情報収集を開始した。茨城県政は、いや、県政という民主的なものではない。地元議員が「大井川帝国」と例えるほどのワンマンぶりに驚くばかり。およそ民主主義があるとは言えないイバラキのような保守王国の実態が、全国各地にあるはずだと、月刊『地平』の連載がスタートした。

本書は、連載をベースに月刊誌で書ききれなかったことを大幅に加筆した。第1章では、大井川知事から「ばか、死ね、出ていけ」と言われる茨城県庁の職員の悲鳴をルポする。パワハラが県庁に蔓延し、飯塚博之副知事の秘書はパワハラを苦に自死。だが、県は「パワハラはなかった」と、問題を事実上、隠蔽していたことが発覚した。

続く第2章では、保守王国イバラキはどのような地域なのか紹介する。茨城県議の4分の3が自民・公明党で占められることから県議会のチェック機能が失われ、「知事案件」に対してほとんど反対が出ない。政財界の強い結びつきにも県民はうんざり。茨城県が長年、都道府県魅力度ランキングで下位から脱せない原因であろう政治風土をひもといていく。

そして第3章では、県政など権力を監視する役割があるはずのメディアのチェック機能について問う。地元紙である『茨城新聞』は、まるで県庁の広報紙。茨城新聞社が主催する賀詞交歓会は現役政治家が主役の晴れ舞台のようだ。全国紙が副知事の秘書死亡について問題視する紙面をつくる一方で、茨城新聞の記事からはまるで「忖度」が読み取れるようだ。

筆者にとっての本丸、大井川知事による「高校教育改革」について第4章で問う。大学の合格目標を数値化した「KPI」(重要業績評価指標)の存在について県は「ノーコメント」を貫くが、それらの進学圧力によって進学校の生徒たちが不登校、退学、自殺未遂にまで追い込まれている。

第5章では水戸一高を例にして教育現場の声を多く集め、真の教育とは何かを問い直す。

最後に第6章で、イバラキの「ごじゃっぺ政治」の諸相と、それを変えていく道筋を考えたい。

しがらみの多い保守王国イバラキ。実名をあげて県政批判できる人は限られ、「表立っての協力は難しい」としながらも、陰から取材に協力してくれる人が多かった。県の人事の変化を見ながら、万が一にも不利益が生じないよう匿名性を優先したコメントが多い代わりに、より実態を忠実に記した。本書では、役職などの肩書は2025年6月時点のものとしている。

茨城県の花はイバラにちなんだバラ、木はウメ、鳥はヒバリ。県の魚がヒラメだということは県民でも知らない人が多い。県職員がヒラメのように「上」ばかりを見て忖度せざるをえず、教育現場も「上」ばかりを見て子どもたちを見ることができない状況だ。こうした現実は茨城県だけでなく、「全国あるある」なのではないか。

そのイバラキで、何が起こっているかを見ていこう。

月刊『地平』での連載を読む

死亡した副知事秘書の遺書(筆者提供)
名勝として知られる水戸偕楽園は「民とともに偕(たの)しむ」由来ながら、大井川知事のもとで有料化された。

ルポ イバラキ

教育問題もライフワークの一つである筆者にとって、故郷の県立高校に附属中学ができ、県内で中学受験が過熱していくことを黙っては見ていられなかった。中学受験は地方でも都市部と同様、小学3年生頃から友だちと遊ぶこともスポーツもあきらめ、塾に通うことになる。そうやって偏差値を上げた子どもたちが、やがて「皆が遊んでいるときに自分は勉強した。努力しないで困っているような人を助ける必要はない」と考えるリーダーになりはしないか。新自由主義が色濃い教育からは「ノブレス・オブリージュ」という精神をもつリーダーは育たないのではないか。その懸念が大きく膨らんだ。

しかし、県内メディアはもちろん、県内在住者の多くはしがらみがあって、表立って県政批判ができない様子。これではワンマン政治が止まらない。母校に誇りがあるからこそイバラキの問題を掘り起こし、私がペンを執ろうと思った。(本書あとがきより)

目次

第1章 県職員の悲鳴

秘匿を貫いてきた大井川県政
「遺族の意向」を盾に非公開
黒塗りの報告書に隠されたものとは
渦中の飯塚副知事は関連団体の理事長に
メンタル疾患に陥る県職員たち

第2章 保守王国イバラキとは

女性たちが県外へ
「自公75%」の保守政治  思いつき案件――パンダとジンベエザメ
政治家たちの金銭感覚
特定の企業優遇? ネーミングライツ
県財界と自民党の強固なつながり
水戸市長の蓄財術
支持者への優遇政策

第3章 地域メディアの生きる道

政財界の代表者が一堂に
秘書死亡記事の扱い
県議の「企画」記事
キャバクラや高級料亭で「意見交換会」
まるで県の広報紙
衰退する地域メディア
地域文化への畏怖は?
偕楽園の自然が奪われる
洞峰公園も危うく富裕層向けに
眉唾な「全国1位」を安易に報道

第4章 生徒たちを追いつめる「教育改革」

何が生徒を苦しめているのか
企業と同じ指標を教育に持ち込む
生徒のためではなく、大人の都合
不登校・中退、自殺
医学部進学コース新設のねらい
公教育の理念はどこへ?
特別支援学校の子どもたち
教育行政もワンマンに
求められるのはイエスマン
教員を信頼せず、独自案を強要
見かけのいい「教育改革」の現実
進学実績に応じて補助金を支給

第5章 何のための高校教育なのか

「わが道をゆく」水戸一高の伝統
行事での学びを糧に
文武両道が誇り
それは子どものためなのか
「部活つぶし」を懸念する声も
数値目標によって見えなくなるもの
真理を愛する学問の追求とは

第6章 イバラキを変えるために

深刻な医師不足
ペナルティに頼る医療行政
病院再編計画を問う
宮城県の病院統廃合では
県庁の意思決定も不透明に
「ごじゃっぺ県政」
住民訴訟を無視する村長
独断的な保守政治は市町村でも
「まつろわぬ民」がイバラキを変える

あとがき

9月に任期満了の知事選を控え、大井川知事は3選目を目指して5月30日に出馬表明をしている。

県民が黙っていては、為政者の「思いつき」で「思うまま」にされてしまう。それが今の茨城県であり、多くの保守王国の現状だろう。保守政治から脱け出して民主主義を取り戻すには、「わかりやすい政治」から脱却しなければならない。私たちがまず意識を変えて政治に緊張感をもたせなければ、たとえ首をすげかえられたとしても第二、第三のワンマン首長が生まれ、殿様商売のような政治が行なわれてしまう。「一強政治だから、どうせ変わらない」とあきらめず、これって何かおかしいだろう、そう思うきっかけをつくるのが、私たちメディアの役割。イバラキをルポすることで、素朴な疑問を投げかけつづけることが求められていると痛感した。しがらみを断ち切るのは、唯一、世論だ。(本書あとがきより)

2025年9月号(最新号)