【関連】特集:米=イスラエルの戦争――ガザからイランへ(『地平』2026年5月号)
二人の意見
第一次世界大戦中・戦後の英国人の言葉に耳を傾けてみよう。日本語訳と太字化は筆者による。
A 私はシオニズムを有害な政治的信念と見なしている。連合王国の愛国的市民にとって支持しがたいものと考えている。もしもユダヤ系英国人が(エルサレムの)オリーブ山を思い浮かべて英国からパレスチナに移住して農業に従事するのを夢見るならば、その者は英国市民としてあるまじき目標を抱いているのだ。大英帝国にて公的な生活を共有するのに適しておらず、英国人として扱われるべきでないと認められる。常々思っているのだが、こうした信念に凝り固まった人々は、ロシアのユダヤ人が様々な制限を課せられ、自由が奪われてきたことに、妙に刺激されているのではないか。このユダヤ人がユダヤ系ロシア人と認められ、あらゆる自由が与えられたまさにこの今、英国政府がシオニズムを公式に承認したり、バルフォア氏がパレスチナを「ユダヤ人のためのナショナルホーム(民族的郷土)」に作り変えると発言したりするのは、実に驚くべきことだ。
――エドウィン・モンタギュ 英国インド担当大臣 1917年8月23日 (閣内秘密文書より抜粋)英国立公文書館 Edwin Montagu, “The Anti-Semitism of the Present Government,” CAB 24/24/71 (August 23, 1917).
B バルフォア宣言があるとはいえシオニストの夢を達成するのは不可能である。同宣言は正義と権利に立脚していないからだ。それが国際連盟で承認された時こそ人々は喜んだが、国際連盟は未だ最終的に批准していない。バルフォア氏自身ですら懐疑的だ。貴族院で同宣言を自分で擁護しながら「これは実験ゆえに失敗するかもしれぬ」と口にする始末だ。庶民院でチャーチル氏は、大戦中にこれを約束したのはただ役に立ったからだ、と宣言してみせた。
エルサレム主教R. 1921年7月 (ロンドンの女性印刷協会による印刷ビラ?より最終部分抜粋)ロンドン・ウェストミンスター司教区文書館 Cardinal Bourne 関係文書Bo 5/54 Eastern Tour 所収 Bishop R. “National Rights in Palestine. Clash with Zionism.”
結局のところ、正義に足場を持たぬ構造は必然的に崩れ、合法的要求をする者が最終的に権利を獲得する。ゆえに私たちはシオニストに対し、空想的希望は脇に置いて、ユダヤ人と多数派の住民たちの間で平和的関係が存在した、大戦前の状態を念頭にパレスチナを復興することをお勧めする。これまで地元のユダヤ教徒は常に同宗教信徒の福利厚生のために努力してきたのだ。
パレスチナ住民には、団結して不和を避けることをお勧めする。忍耐が大事で、絶望してはいけない。もっと外国の影響力を得るためにアピールし、各地の社会を守り、指導的な新聞を大切にすべきだ。シオニストの仕掛けた財政的・倫理的な罠にはまってはいけない。人々の不和に関する誤ったニュースを報道したり、自分の土地を売ったり、自分の子々孫々を犠牲にしたり、聖地を一時的な娯楽の場としたりするのは、その罠にはまることだ。
私たちは確信している。パレスチナ・アラブの指導者たちは自らの権利擁護のために努力を惜しまぬゆえ、その大義に対してはヨーロッパ人一般とりわけ英国人から、暖かな共感が得られるであろう。
本稿執筆時、イスラエルと米国による対イラン・レバノン戦争は、激化するばかりの状況にある。一言でまとめるならば、この戦争は、過去百年余りの間、英米を中心とした帝国主義がシオニズム(キリスト教シオニズムとユダヤ・シオニズムの合体)を梃子として中東地域に介入し、そこで二重基準を適用して守り育ててきたイスラエル国家が、その暴力性を手に負えないほど肥大化させてしまい、パレスチナでジェノサイドを展開する一方、米国を引きずり込んで外部に大きく飛び出したものではないか。その枠組みの中で安住してきた湾岸アラブ産油国は火の粉をかぶり、イスラエル各地もイランのミサイル攻撃を受け、地域全体が、そして世界全体が深淵を覗き込んでいる。
これまでイスラエルが隣接諸国(エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン)を越えて軍事攻撃を行なったのは、イラク(1981年原子炉、2019年親イラン派拠点)とイエメン(2025年フーシー派拠点)といった散発的事例に限られていた。しかし昨年6月の対イラン「十二日間戦争」に続き、ついに米軍との共同作戦で大国の奥深くにまで攻撃の手を伸ばすことになった。
この問題の原点は、第一次世界大戦中の1917年11月2日に英国外相アーサー・バルフォアが英国の代表的ユダヤ人シオニスト、ウォルター・ロスチャイルドに送った書簡(バルフォア宣言)にある。フサイン・マクマホン書簡、サイクス・ピコ協定と共に英国の戦時外交の混乱を露呈した「三枚舌外交」で知られるが、バルフォア宣言は今日のイスラエル国家の礎石を据えた点で決定的であった。ただし、熱烈なキリスト教シオニストであったバルフォアが、ロイド・ジョージ首相とごく限られた閣僚間で秘密に協議を進め、議会にも諮らず閣議決定のみで発出したこの文書には、当時から反対の声が多くあった。
冒頭の文章Aは、閣内でただ一人のユダヤ人閣僚であったにもかかわらず協議から外されていたインド担当相が、その文案を目にした翌日に怒りのあまり同僚に送った回覧文書の一部である。重要なのはこの段階でシオニズムが反ユダヤ主義に直結すると見抜き、厳しく批判し反対する閣僚がいた事実である。同じ思いの政府高官はバルフォアの後任外相カーゾン卿など他にもいた。また英国の二つのユダヤ人団体がバルフォア宣言に反対したことも知られている。文章Bは英国国教会エルサレム主教レニー・マッキネスにより、英国統治下で最初の現地住民・シオニスト間衝突事件(1920年4月)の翌年、主に英国人と英語話者のパレスチナ住民を対象とした意見書と推測される。この聖職者はすでにエジプトとパレスチナに各3年の滞在経験があり、バルフォア宣言がいかに現地の実態から遊離した「無理筋」の構想であったか、痛感していたのだろう。
いずれも、今日シオニズム国家イスラエルが引き起こしている戦争と暴力の根源の問題を見抜いていた。この後、100年間に何度か立ち止まる曲がり角はあった。しかし人々は判断を誤り、加速度的に手に負えない状態にしてきた。バルフォア宣言は近代史上の痛恨事と言うしかない。
前線国家レバノン
第一次世界大戦後の英仏のアラブ地域分割でフランス委任統治領となった地域のうち、「大レバノン」とされた部分が現在のレバノン、それ以外がシリアとして独立したが、いずれも南部でパレスチナに接する前線国家となった。
1948年のイスラエル独立宣言と住民への大規模な殺戮・追放(ナクバ)が始まると、約10万人が近隣国レバノンに逃れてきた。以後、パレスチナ難民人口は約40万まで増加し、レバノン人口の約1割を構成した。
レバノン国内ではパレスチナ人と連帯してイスラエルに対抗すべきと考える人々と、パレスチナ難民がいるためにイスラエルの攻撃を受けるので迷惑だとする人々との間で分断が深まった。特に1970年にパレスチナ解放機構(PLO)がヨルダンを追われてレバノンに拠点を移すと、イスラエルの越境攻撃が増加した。1975年に始まったレバノン内戦の原因の一つが、この分断・対立だった。
1978年、イスラエル軍は南部レバノンに深く侵攻し、6万人余りのパレスチナ難民と約20万人のシーア派中心の住民が北方に逃れて国内避難民化した。イスラエル軍は撤退後、国境から約10キロ幅の緩衝地帯を設定し、傀儡のレバノン人民兵と共同で支配した。1982年にイスラエル軍はベイルートまで地上軍を北上させ、PLOを追放し、マロン派中心の民兵組織を使い、非武装状態のパレスチナ難民キャンプ(サブラー、シャティーラー)で大虐殺を行なった。シオニズムはこれほど過酷な関係をつくり出したのである。同年、イランの支援を受けて結成されたシーア派の民兵組織ヒズブッラーは、イスラエルの南部レバノン侵略・占領に抵抗するのが最初の目的であった。
1990年の内戦終結後も、国境付近のイスラエル占領地帯を解放するため、ヒズブッラーは武装闘争をつづけた。一般に民兵組織からは武器が回収されたが、ヒズブッラーは例外とされた。イスラエルは1996年に再度地上侵攻を行ない、国連施設に避難したシーア派住民100人以上を虐殺するなどし、10万人以上が国内避難民化したが、ヒズブッラーが反撃、以後もゲリラ攻撃を続け、ついに二000年、イスラエルを緩衝地帯から撤退させ、領土回復を実現した。ヒズブッラーはすでに政党・民生組織も充実させ、国軍よりも強力な組織となっていた。シーア派中心の「国家内国家」が出現し、他宗派との間の溝が深まった。
国際的にも2003年のイラク戦争後シーア派中心の政権がイラクに成立すると、シリア(アサド大統領はシーア派分派アラウィ―派出身)とともにイランまで連続するシーア派中心の対イスラエル枢軸が成立した。常に周辺国の分裂・相互対立状況をつくり出そうとするイスラエルは危機感を抱き、米国などと連携して打破を目指すこととなる。
2006年夏、イスラエルがガザに大規模攻撃を加えるなか、ヒズブッラーは側面支援のため国境でイスラエル兵2名を捕獲し人質とした。イスラエルは南部レバノンへの大規模地上侵攻を開始。ベイルート南部のシーア派居住地区にかけて激烈なミサイル攻撃を仕掛け、100万人もの国内避難民が発生した。1カ月の戦闘の末、ヒズブッラーは再度イスラエル軍を撃退、実質的勝利をおさめた。
こうしてイスラエルのレバノンへの軍事行動は国内に様々な亀裂を生じさせ、南部住民に幾度もの国内避難体験を強いてきた。また、南部レバノンはリタニ川の水資源も含めシオニストの潜在的領土拡張の野心の対象になってきた。
シリア内戦とガザ・ジェノサイド
2011年、いわゆる「アラブの春」とともにシリアでも街頭デモが始まり、やがて内戦化した。レバノン・シリアはスンニー派・シーア派の宗派対立の波の只中に置かれ、イスラエルも含めた周辺諸国や欧米ロシアなどから、実に複雑な介入を受けることとなった。シリア内戦では、反体制派に湾岸マネー、欧米の武器やトルコを通じたイスラーム過激派の流入があり、アサド政権側にはイランやロシアの石油や武器の支援があった。アルカーイダ系や「イスラム国」といった過激派集団が跳梁し始めると(実はゴラン高原方面ではイスラエルもこちらに加担していた)、アサド政権はヒズブッラーの支援を得てこれを抑え込もうとした。
こうした状況が長引き、膠着するなかの2023年10月7日、ガザのハマースがイスラエルに対する越境攻撃を行なった。イスラエルはこれにジェノサイドをもって応じたのだが、ヒズブッラーは、翌10月8日から、ハマース支援のためのイスラエル攻撃を開始した。ただし、国連安保理で違法と決議された占領地ゴラン高原(シリア領)の中の、レバノンが自国領と主張する小さな地片シェバア農場に立つイスラエルの哨所3カ所に向けてロケット弾を発射するという(死者なし)、実にささやかな援護射撃であった。イスラエル側はすぐに数倍の反撃をし、以後双方で攻撃の応酬が続くが、ヒズブッラーはしばらくの間、国境付近の監視塔やレーダー施設などに的を絞った攻撃でイスラエル側に死者が出ないようにしていた。イスラエルはレバノン領内の民家を続々と破壊し始めたが、互いに低強度とはいえ、双方の攻撃レベルが上昇していった。ヒズブッラーとしては、イスラエルがある程度のガザ破壊で攻撃を停止し、自分たちも手を引く、との想定だったと思われる。ヒズブッラーは地下に膨大な量のミサイルやドローンを保持し、その飽和攻撃の可能性を示すことが、イスラエルに対する抑止力になると見られていた。
2024年7月末、ネタニヤフ首相は訪米し、レームダック化したジョー・バイデン大統領と会談し、議会で演説した(後述)。そしてイスラエルに戻るや、すぐさまテヘラン訪問中のハマース指導者、イスマーイール・ハニーヤを暗殺、9月にはレバノンで「ポケベル爆破」を皮切りに対ヒズブッラー猛攻撃を開始した。南部レバノン全域とベイルート南部郊外に劣化ウラン使用の疑われるバンカーバスターを含む膨大なミサイルと爆弾、ドローンを投入し、ハサン・ナスラッラーを始め指導者を軒並み殺害した。11月の停戦までのレバノン側死者約3000人、国内避難民120万人。ヒズブッラーは大量のミサイルをほとんど使うことなく破壊し尽くされたように見えた。そして「停戦」後も連日イスラエルは攻撃を繰り返した。
一方、レバノンで「停戦」成立の当日、今度はシリアで事態が劇的に動き始める。13年間にわたるシリア内戦は目まぐるしく変化したが、シリア北西部のイドリブ地方では反体制派が隣接するトルコから保護を受けてきた。アサド政権は各地で制圧した反体制派の人々をそこに送り込み、人口は内戦前の3倍近い400万に膨れ上がった。かつてアルカーイダの最過激派集団として知られたシャーム解放戦線(ヌスラ戦線)がそこで力を伸ばしていたが、レバノン停戦の当日、アレッポに向けて突如進撃を開始した。
これに対し、シリア国軍は驚くべきことに無抵抗に近い状態で逃げ出し、1週間後にはバッシャール・アサド大統領がモスクワに亡命。長年の経済制裁と内戦で財政力の衰弱が進み、国軍の装備も士気も低下していた。首都に流入した反体制派のうちシャーム解放戦線の代表アブー・ムハンマド・ジューラーニー(本名アフマド・シャラア)が暫定大統領を自任した。
アサド体制崩壊の翌日から、イスラエルは戦闘機を多数飛ばし、シリア全土の軍事施設を猛爆撃により破壊し尽くした。そしてゴラン高原に隣接する地域に占領を広げ、暫定政権に対し、ダマスクスよりも南方には軍隊を配置せぬよう通告した。イスラエル建国以来、初めて隣接国の軍事的脅威が消滅したかに見えた。
ハマース、ヒズブッラーの非武装化とイラン
2025年、ネタニヤフ首相にとってトランプ大統領の2期目就任は大きな追い風となった。一期目には米大使館のエルサレム移転とゴラン高原併合の承認という画期的な仕事をしてくれた。彼の娘婿ジャレッド・クシュナーは筋金入りのシオニスト、その父親は同じく不動産業者でネタニヤフの数十年来の友人なので、ガザの将来像を描かせるのに適任と見た。次の3点の仕事を進めるためネタニヤフ首相は2025年初以来、2月、4月、7月、9月、12月、今年になって2月初めと実に6回も訪米してトランプと会談した。
①ガザのジェノサイドを進めて人口を減らしつづけ、居住困難状況を維持して「自発的」移住、すなわち追放しやすくする。秋にトランプ大統領をトップに据える形で20項目にわたる「ガザ紛争終結のための包括的計画」を発表し、安保理でも承認を得て、表向き復興に関わるように見せつつ、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)エルサレム事務所をブルドーザーで破壊し、ヨルダン川西岸でも不法入植地をできるだけ拡大し、イスラエル側が所有権を認めない西岸の土地を強制収用する法案を通した。
②ヒズブッラー弱体化と武器の壊滅はおおむね達成したが、脅威を皆無にするためレバノン政府を関与させて非武装化を徹底させようとした。駐トルコ米大使・シリア担当特使兼任のトーマス・バラクを通じてレバノン政府に圧力をかけ、南部レバノンからのヒズブッラー撤退と武器回収を約束させた。レバノン国軍も関わりヒズブッラーに実施を迫り、2026年1月にはおおむね達成させた。バラクは「2023年10月7日以降、イスラエルは何でもできるようになった。サイクス・ピコ協定に基づいた国境など意味がない」と公言する。
③残る軍事的脅威イランに対する戦争準備のために米国を引き込む。1992年以来、狼少年のごとく主張してきた持論「イランはあと○○カ月で核兵器保有が可能だ」を再度唱え、6月にイラン「核施設」とテヘランに先制攻撃をかけ、すぐに米軍を合流させて「核施設」の破壊にある程度成功した。しかしイランのミサイル攻撃が意外と強力であったため、いったん停戦に持ち込んだ。
おそらくこの停戦段階で、ネタニヤフ首相はイランのミサイル攻撃能力を無力化する必要を痛感したはずである。時間が経てば経つほどイランがミサイル備蓄を増やし、米国中間選挙も近づいてくる、あるいはエプスタイン・ファイル問題(トランプ大統領やバラク大使も関係)も影響したかもしれない。シオニズムの露骨な領土拡張主義的願望は、イスラエルの極右政治家だけでなく、駐イスラエル米大使マイク・ハッカビーのようなキリスト教シオニストにおいても共有されていた。
2月末日にイスラエルと米国の先制攻撃により対イラン戦争が始まった。3月2日からはヒズブッラーの攻撃が引き金となって対レバノン戦争も始まり、イスラエルにとって二正面戦争となった。ただし、1年3カ月の停戦期間中にイスラエルの停戦違反が1万5000回以上、死者は数百名を数えているのに対し(レバノン政府発表)、ヒズブッラーはイスラエルに攻撃を仕掛けなかったので、ヒズブッラーの先制攻撃とするのは無理があろう。今回、イスラエルはヒズブッラーの息の根を止め、南部レバノン全域を占領するつもりで侵攻を開始した。すると驚くべきことに、ヒズブッラーは初日にさっそくイスラエルのメルカバ戦車3台を破壊した。すぐに戦闘が可能なように準備していたのである。今回も南部レバノンを中心に国内避難民がすでに120万人発生し、死者は1000人を超えている。
問題なのは、レバノンのジョゼフ・アウン大統領もナワーフ・サラーム首相もイスラエル側に立ってヒズブッラーに軍事行動をせぬよう命じていることである。また、かつての反シーア派の宗派対立感覚を引きずった現「シリア国軍」(旧シャーム解放戦線)数千人がレバノン国境に集結しており、イスラエル・米国から要請があればレバノンに侵入し、ヒズブッラーの挟み撃ちを狙っている。こうして現在のレバノンとシリアの政府はシオニストの掌に乗っている点でパレスチナ自治政府に似てきた感がある。イラクの親イラン・シーア派民兵組織はすでにバグダードの米軍基地や米大使館を攻撃するなど活発化しており、ヒズブッラーが背後から「シリア国軍」に襲われるならば、シリアに侵入すると見られており、一気にこの地域を流動化させる可能性がある。
グローバルリスクとしてのシオニズム
実は、シオニズムと対イラン戦争の背景について、ネタニヤフ首相はすでに米議会で雄弁に演説していた(2024年7月24日)。以下抜粋の日本語訳と太字化、丸括弧内の補記は筆者による。
今日、私たちは歴史の岐路に立っています。世界は激動のなかにあります。中東では、イランのテロ枢軸がアメリカ、イスラエル、そしてアラブ諸国の友人たちに対峙しています。これは文明の衝突ではありません。野蛮と文明の衝突です。死を賛美する者と生を尊重する者の衝突です。
(中略)
友人の皆様、今日私がここに来たのは、ただ一つのことを皆様に保証するためです。私たちは必ず勝利する、と。
皆様、1941年12月7日(時差のため日本では8日、真珠湾攻撃)、2001年9月11日のように、10月7日は永遠に不名誉な日として記憶されるでしょう。(中略)
本日ここにお集まりの皆様には、国際刑事裁判所による虚偽の告発に強く反対してくださり、真実のために立ち上がってくださり、感謝申し上げます。これらの噓は名誉毀損に当たるだけでなく、まぎれもなく危険です。国際刑事裁判所はイスラエルの手を縛り、自衛できないようにしています。イスラエルの手が縛られたら、次はアメリカです。次に何が起こるか、お話ししましょう。すべての民主主義国のテロリズムと戦う能力が危うくなります。それが今、まさに起ころうとしているのです。なので、みなさんにはっきり申し上げます。ユダヤ国家の手が縛られることは決してありません。イスラエルは常に自衛します。
友人の皆様、
中東におけるあらゆるテロリズム、混乱、混沌、殺戮の背後には、だいたいイランがいます。これは驚くべきことではありません。イスラーム共和国を建国した際、ホメイニー師は「我々はこのイスラーム革命を全世界に輸出する」と誓いました。さて、考えてください。過激イスラームを世界に押し付けようとするイランの狂気の計画を最終的に阻むのはどの国でしょうか? 答えは明白です。西洋文明の守護者、世界で最も偉大な国、アメリカです。だからこそ、イランはアメリカを最大の敵と見なしているのです。
(中略)
イランは、アメリカに挑戦する前に中東をまず制圧せねばならないと本気で考えています。そのために、フーシー派、ヒズブッラー、ハマースなど、多数の代理組織を使っています。しかし、中東の中心でイランの前に立ちはだかるのは、誇り高き親米民主主義国家、我が祖国イスラエルです。
だからこそ、テヘランの暴徒たちは「アメリカに死を」と叫ぶ前に「イスラエルに死を」と叫ぶのです。イランにとって、第一の敵はイスラエル、その次がアメリカです。
(中略)
さらにもう一つ。イスラエルがイランの核兵器開発を阻止すべく行動するとき、それはイスラエルを破壊し、アメリカのすべての都市、皆さんの生まれた町すべてを脅かすような核兵器、これを破壊するためなのです。私たちは自国だけでなく、みなさんをも守るのです。
ここでネタニヤフ首相はイランに対する事実上の宣戦布告を行ない、米国を巻き込むべく認知戦を展開していたのだ。演説の別の部分では「立ち上がるライオン」と連呼していたが、これは昨年6月の対イラン戦争の作戦名である。また、米テロ対策センター長官ジョー・ケントが3月17日に戦争反対の抗議辞任をした際、辞表にて米国がイスラエルに利用された旨を明言していた。
冒頭に掲げた文章の二人が、百年後のこの演説を聴き、現在の戦争が核兵器使用の危惧される状況にあると知ったら何と言ったであろうか。シオニズムは単に中東の人々にとってだけのリスクではない。欧米を中心に「文明対野蛮」の認識枠組みや人種主義に深く根ざす問題であり、グローバルなリスクである。南アフリカのアパルトヘイト克服をモデルに、この問題の構造を解体することが、人類にとって喫緊の課題である。









