日韓条約「無効」をどう考えるか――「韓国人民」の歴史意識から

太田 修(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教員)
2025/11/06
日本と韓国の国交正常化を目指して10年余にわたり続けられてきた交渉が妥結。日韓基本条約のほか漁業協定や経済協力に関する協定など4つの関係協定と議定書が東京・永田町の首相官邸で調印された。1965年6月22日。共同

1 null and voidの解釈の相違

 2025年は日韓条約締結60年目にあたる。日韓条約とは、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(基本条約)と4つの協定(財産請求権・在日韓国人法的地位・文化財協定・漁業)の総称である。4つの協定がそれぞれ個別の問題について定めた条約であるのに対して、基本条約は条約締結当時までの日韓関係を包括的に規定する条約である。だがこの基本条約については、第2条をめぐって日韓で別々の解釈がなされてきた。

 基本条約は、前文と本文7カ条からなっている。その前文には植民地支配と被支配の歴史については明記されず、第2条に次のような条文が設けられた。

 Article Ⅱ
 It is confirmed that all treaties or agreements concluded between the Empire of Japan and the Empire of Korea on or before August 22,1910 are already null and void.

 第二条
 千九百十年八月二十二日以前に大日本国帝国と大韓帝国の間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。

 제2조
 1910년8월 22일 및 그 이전에 대한제국과 대일본제국간에 체결된 모든 조약 및 협정이 이미 무효임을 확인한다.

 日韓政府は、この条文末尾の「are already null and void(もはや無効である、이미 무효임)」について異なる解釈をした。日本政府は、「韓国併合に関する条約」(韓国併合条約)等は「対等の立場で、また自由意思で」締結されたので(第50回国会衆議院での佐藤栄作首相の答弁、1965年11月5日)、締結時より効力を発し有効であったが、1948年大韓民国独立時に効力を失ったと解釈した(外務省『日韓諸条約について』1965年、3~4頁)。韓国政府は、null and voidという用語自体が「国際法上の慣用句」として「無効」を最も強く表わす文言であり、「当初から」効力が発生しない、「遡及して無効」だと解釈した(大韓民国政府『大韓民国と日本国間の条約および協定解説』1965年、11頁)。その後も政府間の解釈の相違が続いている。

 これに関連して1988年に小渕恵三首相と金大中(キムデジュン)大統領の「日韓共同宣言」が交わされた際に、日韓の歴史学者・国際法学者のあいだで韓国併合条約をめぐる論争が雑誌『世界』誌上でなされた。韓国側の李泰鎭(イテジン)氏が、韓国併合条約には手続き・形式上の不備・欠陥があり、「韓国併合は無効なのではなく成立しなかった」と主張したのに対して(李泰鎭「韓国併合は成立していない[上][下]『世界』1998年7月、8月)、日本側の海野福寿氏は、「不当ではあるが、旧条約は法的に有効に締結され、日本は韓国を併合し植民地とした」と主張して対立した(海野福寿「李教授「韓国併合不成立論」を再検討する」『世界』1999年10月)。

 基本条約第2条の解釈の相違は、前記の韓国併合条約の国際法上の解釈をめぐる論争を越えて、日韓社会の植民地支配認識や、2018年大法院判決に見られるように戦時強制動員被害者の損害賠償問題などをめぐる対立とも深く関連している。また、1990年代の日朝国交正常化交渉でも議題になった問題でもある。

 2024年11月に東京でシンポジウム「2025年 日韓条約60年に向けて――日韓条約の解釈を修正し、日朝国交正常化を!」が、そして2025年6月にはソウルで国際シンポジウム「解放80年・韓日修交60年記念 韓日關係大転換のための国会討論会」が開催され、基本条約第2条の解釈問題が論点となった。私はそこで、基本条約第2条「無効(null and void)」の歴史的起源について報告した。本稿ではそれをふまえて、日韓会談でのnull and voidをめぐる議論と1945年以前にも存在していたnull and void論を検討し、朝鮮半島の人々が韓国併合条約とそれ以前に締結された諸協定の「無効」をなぜ主張しつづけてきたのか、その歴史意識について考えたい。

2 日韓会談でのnull and voidをめぐる議論

 日韓会談で韓国側が「無効(null and void)」条項を初めて提起したのは、1952年2月に開催された第1次会談での「基本関係委員会」においてだった。その経緯については、2011年の拙論「二つの講和条約と初期日韓交渉における植民地主義」(李鍾元ほか編著『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ 脱植民地化編』法政大学出版局、2011年)で叙述したとおりである。日韓市民NGO「日韓会談文書・全面公開を求める会」の公文書開示請求運動によって、2008年に第1次会談での日本側「基本関係委員会議事要録」が開示され、「無効」条項をめぐる議論の詳細が明らかになったのである。ここではその要点を整理しつつあらためて論じてみる。

太田 修

(おおた・おさむ)同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教員。朝鮮現代史、近現代日朝関係史専攻。主著に『〔新装新版〕日韓交渉』(クレイン、2015年)などがある。

2025年12月号(最新号)

Don't Miss