【連載】いくつものフォルモーサへ(第12回)ブラジル、二重化されたサウダージ

今福龍太(文化人類学者・批評家)
2025/12/05
台南、府中街にて。小さな移動手段、隠された大きな希望……(筆者撮影)

 台北の現代アートへの鋭敏な感性を代表するギャラリーの一つが、敦化南路の近代的なビルの2階にある “Each Modern”(亜紀画廊)である。7月後半、この画廊で「TOKYO」と題する展示が行なわれていたので訪ねてみた。台湾モダニズム絵画の父・陳澄波(ちんとうは)の1926年の東京美術学校時代の風景画や、同じく東京に学んだ台湾現代写真の先駆者・鄧南光(とう なん こう)の1930年代の都心繁華街の写真などにはじまり、戦後すぐの井上有一による前衛的な書、ウィリアム・クライン、中平卓馬、細江英光、森山大道らによる、それぞれに独自の視線に貫かれた東京をめぐる写真群、菅木志雄による無機質のオブジェ、そして川内倫子の淡い気配の日常写真から、新進画家・南谷理加の独特の線と色彩豊かな2025年の新作まで。「TOKYO」というテーマは作品全体のあいだをゆるやかに結ぶ透明な糸に過ぎず、ちょうどこの100年のあいだに流れた時間と場所と心象風景をめぐるグローバルな変容の姿が、作品相互の思いがけない対話や干渉のなかで不意に浮上する展示だった。

 この「TOKYO」は地理的に限定された固有の一都市のことではない、という直感が私に静かにやってくる。1世紀以上前から、「東京」はすでに「台湾」を、そしてさらに開放的・接続的な想像力を媒介にして「世界」をその内にはらんでいた。そして今や、この名はたんに一つの符牒にすぎなくなったかのように、私の眼を、五感を、不意に「東京ではないどこか」へと誘ってゆく。一つの場所が、その経験が、すでにいくつもの「別の場所」の反映・反響によってできあがっている、という、移動と混交に彩られた現代世界の真理が、私に深々と納得されてくる。TOKYOという「多面体」に映し出された「世界」。それをTAIPEIという街で観ること……。乱反射する魅惑的な鏡のなかにいる自分を発見するような体験である。

創造的に彷徨う林亦軒

 展示を見た後、この画廊の応接室の壁に2枚の比較的大きな油彩作品が掛けられているのに私は気づいた。一枚は、ほの暗い混沌とした黒の背景の荒々しいマチエールを斜めに切り裂くように、緑と黄褐色の太い線が風にはためくように斜めに横切っている。もう一枚は、あいまいな濃淡のある茶褐色の地の上に、赤や黒や緑の線が奔放な筆遣いによって無数に乱舞する。その抽象的かつ躍動的なイメージと描線、そして中間的なトーンの色彩の揺らぎを持った佇まいに私はただちに魅了された。この作品が、台湾出身でいまはブラジルのサンパウロに拠点を置いて活動する新進の美術家・林亦軒(リン・イーシュアン)の近作であった。

今福龍太

(いまふく・りゅうた)文化人類学者・批評家。1955年東京生まれ。東京外国語大学名誉教授。奄美自由大学主宰。現在、淡水の淡江大学客座教授として台湾に在住。著書に『クレオール主義』『群島―世界論』(以上水声社)、『霧のコミューン』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(以上みすず書房)、『宮沢賢治 デクノボーの叡知』(新潮選書)、『原写真論』(赤々舎)など多数。

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