特集「軍拡からの脱出」(2026年1月号)
シリーズ「高市軍拡の問題点」(2026年1月号)
非核三原則が今、揺らいでいる。「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」との非核三原則は、1967年に国会で表明されて以来、多くの国会決議で確認されてきた「国是」だ。核廃絶を願う国民的な意思に支えられた、国家としての基本方針といえる。歴代首相は、広島・長崎の平和式典などで、その堅持をくり返し誓約してきた。
しかし、三原則のうちの「持ち込ませず」は、当初より問題を抱えていた。核兵器を搭載した艦船の寄港は黙認するという日米政府間の密約が存在していたのである。その密約は今でも生きている。
さらに近年、核武装論や核共有論という形で、非核三原則を真っ向から否定する主張が台頭してきた。今年10月に首相に就任した高市早苗氏は、かねてより非核三原則見直し論者の一人で、首相就任後の国会質疑では「現段階で政府としては非核三原則を政策上の方針として堅持している」と答弁し、将来の見直しに含みを残した(11月11日、衆議院予算委員会)。その後、国家安全保障戦略など「安保三文書」改定に向けた自民党内の協議で、非核三原則の見直しも議論される見通しであると各紙が報じた。
こうした情勢に照らし、本稿では、非核三原則や核密約とは何かについて振り返りつつ、核武装論や核共有論を批判的に検証し、日本が進むべき核軍縮の道筋を示したい。
「たとえ戦争といえども許されない」
そもそも、なぜ核兵器は他の兵器一般と区別されているのか。核反応(核分裂と核融合)がきわめて短時間に連続して起こると、膨大なエネルギーが発生し、熱線、爆風、放射線が放出される。これを兵器に用いたのが核兵器である。それは通常の兵器とは比べものにならない威力で一般市民を殺戮し、都市を壊滅させ、大量の放射線により人体に長期間にわたり深刻な影響をもたらす。1945年8月の米軍による原爆投下では、広島で14万人、長崎で7万人がその年末までに命を奪われたとされている。生き延びた被爆者たちは、ガンなどの後障害を抱え、今日もなお苦しんでいる。
昨年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳代表委員は、受賞演説で、長崎での自らの体験を振り返り「そのとき目にした人びとの死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした」、「たとえ戦争といえども、こんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと強く感じました」と述べている。
国連総会決議第一号(1946年)は「原子兵器と他のすべての大量破壊兵器の廃絶」を求めている。核兵器、生物兵器、化学兵器は、通常兵器とは異なる「大量破壊兵器」と称され、特別な規制と禁止の対象になってきた。生物兵器は1972年、化学兵器は1993年にそれぞれ多国間条約によって禁止された。核兵器は、1996年の国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見でその使用・威嚇が「一般的に違法」とされ、2017年に開発、保有、使用等を全面的に禁止する核兵器禁止条約が採択された。
その根底には、核兵器は、その非人道性と無差別性ゆえに、国際人道法に合致しえないという考え方がある。たとえ戦争といえども許されない戦闘手段が存在するのだ。











