南庄事件記念碑の除幕式。2025年12月11日。提供筆者

【連載】台湾・麗しの島だより——移行期正義の練習帳(第20回)南庄事件——和解の儀式

栖来ひかり(文筆家)
2026/01/17

これまでの記事はこちら(連載:台湾・麗しの島〈ふぉるもさ〉だより)

 群生するススキの間を通って川べりに降りると、透き通った川のせせらぎで女性たちが大量の野菜を洗っている。今日は豚を一頭殺す。だから、それに合わせて野菜料理を作るのだ。みずからの運命を感じるのか、もの悲しく断続的に響く豚の鳴き声が糞の匂いとまじりあい流れてくる。

 台湾中北部にある苗栗(ミャオリー)県南庄郷は海抜約八六〇メートルに位置する山村で、かつては林業や炭鉱産業で栄えた。ここには客家(ハッカ)の1ほかタイヤルやサイシャットといった「台湾原住民族」(台湾における先住民の正式名称)が多く暮らし、日本の植民地時代には相当数の日本人も居住していた。この南庄で一九〇二年に起こったのが「南庄事件」だ。樟脳産業と土地利用をめぐってサイシャット族とタイヤル族の一部が蜂起。それを日本軍が武力鎮圧し「帰順」させた事件だが、霧社事件や牡丹社事件に比べ台湾でも知名度は高くない。とはいえ、強制移住政策など原住民族に対する後の方針に大きな影響をもたらした、歴史的にとても重要な「抗日」事件である。

1  18~19世紀に中国の広東・福建等から移住してきた台湾の主要なエスニックグループのひとつ。丘陵地帯に多く定住し、独自の言語(客家語)や文化を持つ。

 そんな「南庄事件」を地域史に刻もうと、郷内の公園に建立された記念碑の除幕式が二〇二五年一二月一一日に行なわれた。当日は苗栗県知事も出席し、地域をあげた盛大な式典だった。発起人はサイシャット族出身の夏錦龍(オバイ・アタウ・ハヤワン)さんで、行政院原住民族委員会委員も務めた人物である。移行期正義政策を背景に、多元的な共生社会を実現するための記念碑は完成まで三年を費やして協議や公聴会を重ね、地域の合意を形成したという。石造りの炉の上に束ねた木板が傘のように立ち上がる独特の造形は、かつて樟脳製造に用いられていた蒸留装置「腦(ナオザオ)灶(ナオザオ)」をモチーフにした。碑文は華語、サイシャット語、タイヤル語と三つの言語で記されている。

樟脳産業と土地所有権――南庄事件のあらまし

 では、「南庄事件」とはどのような出来事だろうか?

栖来ひかり

(すみき・ひかり)文筆家。1967年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路』(図書出版ヘウレーカ)、『日台万華鏡』(書肆侃侃房)など。

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