2013年1月に厚生労働大臣が決定した生活保護基準の引き下げが、2025年6月27日の最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)の判決によって生活保護法違反だと認定され、減額処分が取り消された。
なぜ今から12年前に法律に違反する決定が行なわれたのか。なぜ違法状態が12年以上も放置・継続されてきたのか。
その理由を探るためには、2012年に引き起こされた「生活保護バッシング」からの流れを振り返る必要がある。
政治が仕掛けた生活保護バッシング
2012年4月、当時、野党であった自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム(PT)」は、生活保護の「見直し」に関する提言を発表。その内容は、民主党政権下で生活保護費が増加し、「制度に対する国民の不公平感・不信感が高まって」いるとして、生活保護基準の10%引き下げや医療費の抑制等、予算の削減と管理強化を前面に打ち出すものだった。
この提言発表と同じ4月、PTのメンバーである片山さつき参議院議員が、ある芸能人の親族が生活保護を利用しているのは不正の疑いがあると批判するキャンペーンを開始。片山議員は連日、テレビや週刊誌のインタビューで「生活保護を受けることを恥だと思わなくなったのが問題」、「正直者が馬鹿を見る社会になっている」と、制度利用者全体に問題があるかのような主張を繰り返した。
PTの座長を務めた世耕弘成議員も自身のブログや週刊誌のインタビューで自説を展開。「(生活保護利用者は)税金で全額生活を見てもらっている以上、憲法上の権利は保障したうえで、一定の権利の制限があって仕方がないと考える」と主張した。
この時期、マスメディアでは連日、生活保護制度の「悪用」を問題視する報道が行なわれた。その中には、金額ベースで約0.4%しか存在しない不正受給の割合を過大に印象づける内容も含まれていたため、生活保護利用者に対するネガティブなイメージが急速に社会に広がった。いわゆる「生活保護バッシング」である。
テレビのワイドショーの中には「生活保護受給者をどう思うか」という街頭インタビューを実施して、個々の利用者の素行を告発した番組もあった。当時、私は知り合いの生活保護利用者から「生活保護の支給日に区役所で保護費を受け取って、外に出たら、待ちかまえていたテレビ局のクルーが近づいてきて、『役所からパチンコ屋に向かうところを撮らせてくれたら、謝金をあげる』と声をかけられた」という話を聞いたことがある。
特定のグループの人々を「社会のモラルや秩序に脅威を与える存在」と見なし、多数の人々が激しい怒りや侮蔑などの負の感情をぶつける現象は、社会学の用語で「モラル・パニック」と言われる。
2012年の「生活保護バッシング」を主導した片山さつき氏は同年、『正直者にやる気をなくさせる!? 福祉依存のインモラル』というタイトルの書籍を出しているが、片山氏らの言説はまさに生活保護利用者をモラルに反する存在として描き出すことに成功した。自民党の政治家が生活保護費を縮減するという自党の政策を実現するために、モラル・パニックを引き起こしたのである。
当事者からの悲鳴
当時、私たち生活保護問題に取り組む関係者は「生活保護バッシング」に抗議する声明を発表するとともに、当事者の不安な声を受け止め、報道機関や政治家に警鐘を鳴らすため、2012年6月9日、緊急の電話相談会を開催した。「生活保護“緊急”相談ダイヤル」と題された電話相談会には、わずか9時間の間に全国から363件の相談が寄せられた。悲鳴のような深刻な相談も少なくなかった。
「マスコミ報道がひどく、テレビが見られなくなった。どうしようもなくつらい。医者から『君はどうなんだ?』と言われる。薬が増え、夜も眠れなくなった。体調悪い。死んでしまいたい」
「現在は病気で働けず生保で暮らしているが、周囲の人に知られないよう、毎朝ビジネスバッグを持って出勤するふりをしている。話せる人がいない。今回の報道以来声が出なくなり、夜も眠れない。食欲も落ちた。今日は2週間ぶりに声を出せた」
「近所の人に、『受給者はクズ』と言われた。お金のない人は死ぬしかないのか」
「最初から泣いている、生きていちゃいけないのか、死にたい、苦しい、テレビを見るのが怖い」
全国6カ所の会場で電話に出ることのできた363件中、マスメディアの報道や政治の動きに不安を感じている人は160名にのぼり、「親族に扶養を要求され、迷惑をかけるのではないか」(42名)、「生活保護を利用することに後ろめたさを感じる」(22名)と訴える人も少なくなかった。
私自身は1990年代半ばから路上生活者など生活に困窮する人々の相談支援に取り組んできた。私たち支援関係者は、長年、生活に困窮し、「もう死ぬしかない」とまで思い詰めている人々に向かって「生活に困窮した際に生活保護制度を利用することは、当然の権利であって決して恥ずかしいことではない」というメッセージを発信してきた。生活保護の利用を「恥だと思わなくなったのが問題」という片山氏らの主張は、制度利用者の尊厳を傷つけ、社会から孤立させるものであると同時に、まだ公的な支援につながっていない生活困窮者を制度から遠ざけることで生命をも脅かす効果をもたらすものであった。
政治に屈した厚労省の罪
「生活保護バッシング」は、自民党が掲げる生活保護の「見直し」を世間に受け入れさせるための「地ならし」として機能した。
生活保護基準の10%引き下げというPTの提言は、自民党が政権を奪還した2012年12月の衆議院総選挙において同党の政権公約として採用され、同月に成立した第二次安倍政権は、さっそく生活保護費の削減に着手。田村憲久厚生労働大臣は同年12月27日の就任直後の記者会見で生活保護基準について記者に問われ、「下げるということが前提でいろいろと議論をしてきている」「下げないということはない」と引き下げ方針を明言した。専門家からなる生活保護基準部会の報告書がまだ発表されていない時点での方針表明は、基準の見直しを専門家の議論をもとに進めるのではなく、大幅な引き下げというあらかじめ決められた結論に向かって政治主導で進めていくとの宣言に等しかった。
その後、第二次安倍政権下では森友学園問題など、公正であるべき行政のあり方が政治の圧力によって歪められるという構図が何度も繰り返されることになるが、この政権が最初に行なった仕事の一つである生活保護基準の引き下げ決定が、政治による行政介入の嚆矢だったということは非常に示唆的である。
2013月1月27日、厚生労働省は基準の引き下げを発表。同月29日、生活保護費の大幅減額を含む新年度予算が閣議決定された。平均の引き下げ幅は6.5%となっていたが、夫婦二人と子どもが二人いる世帯では10%の減額になっており、自民党の政権公約であった「1割カット」を意識して引き下げ幅を決定したのは明らかだった。
だが、1月18日に発表された生活保護基準部会の報告書は大幅な引き下げを示唆する内容になっていなかった。そのため、厚生労働省の事務方は引き下げの根拠をめぐって大きな矛盾に直面することになる。
生活保護法8条1項には、生活保護基準は厚生労働大臣が定めるという規定があるが、2項には「前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない」との規定があるため、大臣の裁量には縛りがかかっている。特定政党の意向により引き下げを実施したとなれば、裁量権を逸脱した法律違反になるのは明白だ。
政治の意向に従いつつも、基準改定は法律が許す「大臣の裁量」の範囲内であるという強弁をするためのフェイクのエビデンスを作り出す。それが生活保護制度を管轄する厚生労働省社会・援護局に課せられたミッションだった。
社会・援護局が苦肉の策として編み出したのが、独自の消費者物価指数を作り出して、2008年から2011年にかけて生活扶助費相当の物価が4.78%下落していたと示す「デフレ調整」である。のちの「いのちのとりで裁判」では、この「デフレ調整」が最大の争点となったが、最終的に最高裁判決では「物価変動率のみを直接の指標として用いることについて、基準部会等による審議検討が経られていないなど、その合理性を基礎付けるに足りる専門的知見があるとは認められない」と指弾されることになった。
近年、政府は「エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング(EBPM)」(客観的な事実や証拠に基づく政策立案)を推進しているが、厚労省が生活保護基準引き下げの主たる根拠として示した「デフレ調整」は、「EBPM」とは真逆の「ポリシー・ベースト・エビデンス・メイキング(PBEM)」、つまり「政策を後付けで正当化するためのフェイクのエビデンスづくり」としか言いようのない代物であった。
このように、2012年の生活保護バッシングから2013年の生活保護基準引き下げ決定に至る流れは、自民党が自党の政策への世論の支持を取りつけるために「モラル・パニック」を扇動して政治の主導権を握っていった過程と、行政機関である厚生労働省が政治的な圧力に屈服し、政策にお墨付きを与えるための「フェイクのエビデンスづくり」に手を染めていった過程に分けられる。
再びの「モラル・パニック」を許さない
私が「モラル・パニック」の扇動と「フェイクのエビデンスづくり」という2つの手法に着目するのは、過去にもさまざまな分野で用いられてきたこれらの手法が今後、外国人政策などの分野で多用される危険性がかつてなく高まっているからである。
2025年7月の参議院選挙は選挙期間中、各政党が外国人への差別と排外主義を競い合うという異様な選挙戦となった。候補者の中には差別を積極的に肯定する者や、「外国人が優遇されている」というデマを流す者まで現れた。
極右政党や保守政党が外国人を日本社会の秩序やモラルを乱す存在と見なす「モラル・パニック」を扇動する中、石破茂首相は七月八日の閣僚懇談会で、在留外国人らによる犯罪や問題への対応を強化するための司令塔となる事務局組織を設置する方針を表明した。
林芳正官房長官は会見で、新組織を設置する根拠について「一部の外国人による犯罪や迷惑行為、各種制度の不適切な利用など国民の皆様が不安や不公平感を有する状況も生じている」と述べたが、「犯罪」や「迷惑行為」、「制度の不適切な利用」が具体的に何を指すのかについては語らなかった。
今後、政府が管理主義的な外国人政策を進める過程において、政策を正当化するための「フェイクのエビデンスづくり」が進められ、それが日本社会の排外主義をさらに加速させるという負のスパイラルが引き起こされてしまうことを私は危惧している。
2012年の生活保護バッシングを主導した政治家の側から見ると、翌年の生活保護基準引き下げ実現は彼らの「成功体験」であったと言える。しかし、その「成功」は最高裁の判決により法律違反と認定され、「失敗」となった。
私はこの「失敗」を「完全な失敗」に終わらせることが肝要だと考えている。「完全な失敗」とは、基準引き下げが違法であったことを政府に認めさせて、謝罪をさせ、被害の補償をさせることであり、引き下げに至るプロセスで行なわれた「モラル・パニック」の扇動と「フェイクのエビデンスづくり」という手口が検証され、これらの行為は社会的に許容されるべきではないというコンセンサスが形成されることである。
「生活保護バッシング」を「完全な失敗」体験として終わらせ、「同じ手口はもう通用しない」と思わせること。そのためにできることを積み重ねていきたい。
