【連載】日本の公安警察2025(第8回)スパイ防止法への妄執

青木 理(フリージャーナリスト)
2026/01/19

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2025年という節目

 この原稿が読者の眼に届くころには年があらたまり、すでに二〇二六年の正月を迎えているだろう。ただ、執筆をしている現在はまだ二〇二五年の師走であり、だからあらためて振り返っておくならば、この二〇二五年はさまざま面で大きな節目の年でもあった。

 そもそもが歳月を区切りのいい数字で捉え、そこに何がしかの意味を見出したり感慨に耽ったりすることへの是非もあるだろうが、まずはなにより先の大戦の終結から八〇年という区切りだったのは承前の通り。元号を持ち出すならば「昭和一〇〇年」であり、ラジオ放送が開始されて——つまりは電波メディアがこの国で産声をあげてから一〇〇年でもあり、近隣外交では日韓の国交正常化から六〇年の節目であり、本連載に関連する事項でいうならば、かの悪名高き治安法・治安維持法の制定からちょうど一〇〇年にあたる年でもあった。

 だからつい先日に京都で、治安維持法について歴史学者の荻野富士夫さんと対談というか、荻野さんと私の二人が登壇するシンポジウムのような場に招かれ、じっくりと語りあう機会を得た。

治安維持法100年

 京都弁護士会が主催したイベントのタイトルは〈治安維持法100年——歴史に学び、未来を守る〉。本誌の読者には詳述の要もないだろうか、小樽商科大学で長く教鞭を執って現在は同大名誉教授でもある荻野さんは、治安維持法をはじめとする各種治安法の実態などのほか、戦前・戦中から戦後に至るまでの治安体制についても長年研究を続けてきた希少で貴重な研究者である。

 個人的な話になってしまうのだが、この連載のタイトルにも冠され、この連載の原点にもなっている拙著『日本の公安警察』(講談社現代新書)が刊行されたのは二〇〇〇年だった。一九九〇年代の半ばごろに通信社の社会部記者として警察組織の一部門である公安警察を密着取材し、以降もその活動実態や内幕の歪みに強い問題意識を抱き、いずれ一冊のルポルタージュとして世に放とうと意を固めていた私にとって、『日本の公安警察』の直前に刊行された荻野さんの労作『戦後治安体制の確立』(岩波書店、一九九九年)は格好の参考書のような一冊になった。

 もとよりアカデミズムの世界で各種の資料などを手掛かりに治安法や治安体制の歴史を研究しつづけてきた泰斗の著作だから、私が禄を喰むジャーナリズムの世界——すなわち記者として当局者らに直接取材して事実を掴み出す立場とは異なり、公安警察の生々しい内実が描かれていたわけではない。しかし、ジャーナリズムの世界にいる者が往々にして陥ってしまいがちで、私にも欠けていた巨視的で歴史的な視座と知識を荻野さんの著作は補ってくれた。

 たとえば戦後、自治体警察として再出発した警察組織の内部に公安部門が復活した経緯。あるいは冷戦体制の激化とともに〝逆コース〟を辿ったGHQ=連合国軍最高司令官総司令部の占領政策と公安警察との連関性。または敗戦とともに解体された旧内務省や特高警察と戦後公安警察組織の連続性。さらには公安調査庁の前身となった法務省特別審査局の創設と破防法=破壊活動防止法の制定経緯や、内閣直属の情報機関として産声をあげた内調=内閣情報調査室の設立経緯等々、まさに「戦後治安体制」が「確立」へと至っていく歴史的な全体像がそこには精緻に叙述されていた。

 仕事場の書棚に置かれた『戦後治安体制の確立』を手に取り、久々に開いてみると、当時貼った付箋があちこちにそのまま残され、私がいかにこれを参考にしたかが懐かしい記憶とともに蘇ってくる。少なくとも拙著のなかで公安警察組織の成立経過等に触れた部分は、荻野さんの先行書がなかったら仔細に記述することができなかったろう。

 その荻野さんは京都でのシンポジウムで、治安維持法の本質的な悪辣さを再強調しつつ、一方でもっと広くその悪辣さを俯瞰してみる必要があると訴えた。存外に知られておらず、寡聞にして私も荻野さんの仕事に教えられたのだが、治安維持法は当時日本の統治下に置かれた朝鮮、台湾、または日本の傀儡国家・満洲国でも同時施行され、それはむしろ日本〝本土〟よりも苛烈に行使され、日本の統治に抵抗する民衆運動の抑え込みに猛威を振るっていた。

 また、そうした治安体制は戦後、「反共」を旗印に韓国、台湾で圧政を敷いた軍事独裁政権にも一部引き継がれ、それは戦前・戦中の日本の治安体制の「残滓」ともいうべき側面も持った、と荻野さんはいう。昨今のこの国で真っ当かつ自省的な歴史認識が摩滅し、さらには排外主義が妙な勢いを増すなか、たしかにこれはあらためて銘記しておくべき史実であろう。

戦時体制構築の武器として

青木 理

(あおき・おさむ)フリージャーナリスト。1966年長野県生まれ。1990年共同通信社に入社。公安担当記者としてオウム真理教事件などを取材。著書に『日本の公安警察』(講談社現代新書)、『時代の反逆者たち』(河出書房新社)など。

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