2024年10月の総選挙での国民民主党の躍進は、インフレの中、「103万円の壁」論を政治の大争点に押し上げた。「103万円」までの免税基準の「壁」を引き上げることで税を減らして「手取りを増やす」、というものだ。だが、そんな減税歓迎の大合唱の中で、女性たちからは懸念と戸惑いが広がっている。それが「103万円の壁」論の原点だった女性の就労促進と経済的自立に逆行しかねない危うさをはらんでいるからだ。
働き盛り中間層の「税金返せ運動」
今回の総選挙では、国民民主党とれいわ新選組の躍進が目立った。両党に共通するのは、働いても税や社会保険料の増加で賃金が増えず、物価高の中で苦吟する層に訴えた政策だ。中でも国民民主党の「103万円の壁の引き上げ」は強い支持を集めた。現在、年収のうち103万円までは税金がかからない。最低賃金の引き上げや物価高に合わせてこれを178万円まで引き上げ、所得税を減らす、という案だ。
岸田政権下、「5年で43兆円」の大軍拡路線が打ち出され、支出増によって「異次元の少子化対策」を行なう財源を社会保険料の引き上げで賄うしかなくなった。それ以前からの消費税の引き上げや、中小零細事業主に対するインボイス増税と、相次ぐ増税に、働き盛りの中間層の間には、働いても使えるカネは一向に増えないという「税・社会保険料の払い疲れ」が広がっていた。
そうした不満の鬱積の背中を押すかのように、「日本経済新聞」(2024年3月18日付)は、次のような記事を掲載している。
「高齢化やインフレの影響で、家計の所得に占める税と社会保険料の負担の割合が2023年9月時点で28%と過去最高水準になっている。高齢者に比べ若年層の負担が重く、消費や出生数を下押ししかねない。家計の負担増を補うには賃上げに加え、社会保障の効率化が重要になる」
「社会保障の効率化」は「小さな政府」への道を、「若年層の負担」は、政府の責任から高齢者の責任への転換を示唆する論調だが、こうした中で、国民民主党の「103万円の壁引き上げ」による「手取り増加」論の連呼は、中間層の男性を中心に共感を巻き起こした。
選挙プランナーの松田馨氏は、その成功要因として、「手取りを増やす」という明確なメッセージや、かなり大規模なネット広告展開、優秀な立候補者を挙げ、「都知事選で石丸伸二氏を応援していたYouTubeチャンネルの一部が、国民民主党応援チャンネルに衣替えするなど、ネット上で勢いのある政党になっていた」(YouTube番組「選挙ドットコム」)と指摘している。
その核と見られる、SNSに強く資金力のある新興起業家や働き盛りの中流サラリーマンは、小泉改革以降の自己責任社会の中で育ち、苦労して自力で稼いだカネを税として吸い上げられ、公共サービスなるものに回されることへの不信感が小さくない。
また、日本社会は社会福祉が弱く、非課税ラインを超えると公的支えがほとんど回ってこなくなる。そのため、世帯主男性は「家族の命綱」としての圧迫にさらされている。
今回の「手取り増やせ!」への支持は、そうした層が1990年代半ば以降の男性の賃金水準の低迷と物価高の追い打ちの中で、「税や保険料を政府から取り返し、自分(と妻子)の生活を防衛する」として動いた、一種の「税金取り付け騒ぎ」だったと見ることもできる。
「103万円の壁」引き上げの罠
だが、そんな思わぬ「103万円の壁」引き上げ論の盛り上がりに、戸惑いの声が出ている。
中高年単身女性の貧困問題に取り組む「わくわくシニアシングルズ」の大矢さよ子代表は、1990年代から女性の就労を抑制し低賃金の要因になっている税や社会保険の壁の撤廃へ向けて活動をつづけてきた。
「103万円の壁の大幅引き上げ案は、夫の扶養下にとどまろうとする女性を増やし、経済的自立を削ぐことにもなりかねない。主婦パートの就労抑制が他の女性の賃金にも影響して高齢女性の低年金と貧困の温床になっているのに、『手取りを増やす』はこのことを見えなくさせてしまっている」と、衝撃を隠せない。