圧政者が恐れるもの——言葉のただならぬ重みをめぐって

師岡カリーマ・エルサムニー(文筆家)
2024/07/05

 アイルランドのヴァラッカー前首相が今年3月に突然辞意を表明した時、「さまざまな憶測を呼ぶだろうが」と前置きしつつ、辞任の理由は個人的でも政治的でもあり、リーダーも人間であるからには、全力投球を続けられなくなる時が来る、と述べた。ヴァラッカー氏はブレグジット交渉やコロナ禍における功績が評価された一方、在任中に住宅問題は深刻化、家族の定義を時代に合わせて刷新することを目指した国民投票でも敗北していた。

 首相の言う「さまざまな憶測」が何を指すのか分からないが、中東ではもっぱら、彼が直前に、訪問先のワシントンで、バイデン大統領を前にして、パレスチナへの共感を表明し、ガザ停戦を訴えていたというタイミングが取り沙汰された。ヴァラッカー氏はこう言った。

 「なぜアイルランド人はパレスチナ人に共感するのか、よく聞かれます……我々は彼らの瞳に(かつてイギリスに支配された)自分たちの歴史を見るのです。住居と財産の喪失、民族的アイデンティティの否定、強制移住、差別、そして飢餓の歴史です」。

 パレスチナへの連帯宣言という「禁句」を、最大のイスラエル支援国であるアメリカで、それも報道カメラの真ん前で堂々と口にしたがために、何らかの圧力を受けて辞任に追い込まれたのではないか、というわけだが、アラブの人々が勘ぐるのも無理はなかった。今回のガザ侵攻のずっと前から、イスラエルによる占領下で、何十年にもわたってパレスチナ人に対して犯されてきた暴力や不正を語ろうとする者が、表現の自由が保障されるはずの欧米で、著名な文化人も含め、次々と検閲されるのを見て、辟易していたのだから。

 ところがアイルランドの地元メディアには、ワシントンでの発言と辞任の関係に言及する報道は、まったく見当たらなかった。私も、アイルランドや、心情的に近い(今も英国の一部である)北アイルランドのカトリック地域を訪れた際、いかに親パレスチナ感情が強いかを肌で感じた。つまり首相は国民の総意を代表して発言したにすぎず、辞任と結びつける憶測も、この時ばかりは「勘ぐりすぎ」だったと言ってよいのだろう。

 実際、後任のハリス首相も就任早々、同様の立場を、しかもより強い言葉で、表明した。「(イスラエルの)ネタニヤフ首相、あなたの行ないをアイルランド国民は明確に拒絶する。今すぐ停戦し、無制限の援助物資搬入を認めよ」。その上で、イスラエルと共存する独立パレスチナ国家の樹立を含む「二カ国解決案」の必要性を強調し、アイルランドはパレスチナ国家を承認する用意があると宣言した。

 もともとアイルランドびいきの私は、SNSでこの動画を見て無条件に感動したのだが、スクロールダウンすると下のコメント欄には、そんな私に冷や水を浴びせる投稿が、国民からたくさん寄せられていた。

 「言葉はもうたくさんです。行動に移してください。イスラエル大使を今すぐ国外追放にしてください」。そういう主旨のコメントの連続だった。

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師岡カリーマ・エルサムニー

もろおかカリーマ・エルサムニー 文筆家。著書に『変わるエジプト、変わらないエジプト』『イスラームから考える』(共に白水社)など。

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