名ばかり管理職、ワーキングプア、ネットカフェ難民、なんちゃって正社員、奨学金地獄、ゼロゼロ物件、子どもの貧困、シングルマザーの貧困、子ども食堂、ロストジェネレーション、「31歳フリーター。希望は、戦争。」、やりがい搾取、貧困ビジネス、失われた10年、失われた20年、失われた30年――。
これらの言葉は、私が貧困問題に関わってきたこの18年で耳にしてきたものだ。
こうして並べてみると、いろいろな問題を言い当てる言葉がよくもこう量産されてきたものだ、と思う。
新しい言葉と現象は、注目される。しかし、次に新しい言葉が出てきたとたんに色褪せ、古びて、あっという間に忘れられてしまう。
しかし、これらのバラバラに思える言葉は、すべて「貧困」という同じ土台の上にある。それなのに、いっときはある現象がブームのように注目され、次の言葉が登場したとたんに飽きられる。
本当は、これらの言葉や現象に横串をさし、構造を示し、どうしたら解決できるのかを模索することもメディアの役割だと思うのだが、この20年弱、私は目の前で言葉が次々に消費され、使い捨てられていくのを見ていた気がする。だからこそ、「消費されない言葉とは何か」を考え続けてきた。
「生きさせろ!」の衝撃
そんな時に思い出すのは、デモや路上で耳にした言葉だ。
そもそも私が格差・貧困問題に「目覚めた」のは2006年、フリーター労組が主催したメーデーに参加して、デモ参加者の「生きさせろ!」という叫びに衝撃を受けたことによる。
当時はまだ小泉政権。「戦後最長の好景気」などと言われながらも格差と貧困がじわじわと日本社会を覆いはじめていた頃だ。前年の2005年にはNHKが、派遣・請負という立場で製造業で働く若者たちの過酷な日々を描いたドキュメンタリー番組『フリーター漂流』を放送していた。
まだ「ネットカフェ難民」という言葉はなかったものの、この頃から、全国のネットカフェで無銭飲食をして逮捕される住所不定・無職の若者の報道をちらほら見かけるようにもなっていた。愛知県など大規模な工場がある地域で、長期間ネットカフェに滞在しながら所持金は数十円しかなく逮捕される、というような事件だ。
当時、物書きデビューと同時に「脱フリーター」をして6年目。31歳だった私は、そのようなことから「同世代のホームレス化が始まっていること」をうっすらと感じていた。そんな中、たまたまネットで見かけたのがフリーター労組のメーデーだったのだ。
興味本位で参加して、衝撃を受けた。
そこでは、日雇い派遣を転々としてネットカフェや漫画喫茶で暮らす「新しい形のホームレス」が増えていること(「ネットカフェ難民」という言葉が登場し、新語・流行語大賞にノミネートされるのはこの翌年のことである)、市場原理主義が極まった「自己責任」社会と自殺や生きづらい人が増えることの因果関係、また「普通に働き、普通に生きる」ことが破壊された背景には、1995年の「新時代の『日本的経営』」があることなどが語られた。ちなみに「新時代の『日本的経営』」とは、日経連から出された提言で、これからは、働く人を長期蓄積能力活用型(正社員)と高度専門能力活用型(専門社員)、雇用柔軟型(いつでも使い捨てにできる激安労働力)の三つに分けましょう、というものだ。
それらの話を聞きながら、雷に打たれたような衝撃を受けていた。