言葉と原発——(上)根を張る言葉、葬られる言葉

吉田千亜(フリーライター)
2024/07/05

 5月、遠く飯豊山(山形・新潟・福島県の県境)が見える会津の田んぼで、「水平」の意味を知った。

 田んぼに水が張られ、水面に山や空が映し出される時期だ。夜には、月が反射してあたりが明るくなり、カエルの鳴き声が響きわたる。その何気なく見ていた長閑で美しい水面の下に、ただ水を張ってあるわけではない細やかな作業があることを聞いた。

 数日前から用水路の栓を開け、圃場の水加減を調節してから行なわれる「荒代」。表面の土が8割、水は2割見える程度の水位で、高低差を確認する。ちょうど、そんな田んぼが目の前にあった。

 「こっちの隅は土が見えない。向こうの田んぼはちょうどいい。(代掻きが)やりやすい」

 指をさす方を見ると、確かに2割の水が仕事をしている。段々になった田んぼの片側が高かったり、四隅に高低差があったりするそうだ。それらを掻いて均し、必要ならば「土寄せ」をする。「荒代」が終わったら、さらに土を細かく砕いてとろとろにする「仕上げ」の代掻きもある。それを、苗植えの3日前を目安に行なうため、「苗植えに追いつかれないように必死」なのだそうだ。実は「水田の長閑な風景」などではないらしい。トラクターの上には、時速2〜3キロで這うように地を均しながら、次の作業のために焦る人がいる。

 土を均すのには理由がある。高低差があると、苗の生育や水管理に影響が出るそうだ。水深が均一であれば苗が浮いたりすることなく植えられ、ムラなく育ち、土壌の養分も均一化される。水面の下にある土に勾配があると、米はうまく育たない。

 その話を聞きながら、2割の水が示す「水平」が、単に「地球の重力の方向と直角」ということではなく、米のために為している意味の深さに、密かに感動していた。言葉の意味が、身体の血管をめぐるようだった。大げさに聞こえるかもしれないが、私は今、こういった言葉に飢えている。なぜなら、為政者・権力者側から発せられる、人を欺く言葉の歪みに、そろそろ耐えられそうもないのだ。

すげ替えられた言葉

 放射線量が毎時70マイクロシーベルト(原発事故前の1842倍)の場所を「クリーンゾーン」だと説明されたのは、福島第一原子力発電所の構内を視察した4月のことだ。原発事故を起こした1号機から4号機を望む高台を「ブルーデッキ」と言う。「ブルーデッキは、(放射線防護の装備は要らず)このままの格好で行けます。汚染とかはなく、クリーンゾーンと言っています」と東京電力の社員は説明した。

 「70マイクロシーベルト(毎時)もあって、『クリーン』とはどうしてか」と問うと、「汚染と被ばくは違う概念なんです」と説明された。つまり、ブルーデッキ自体は除染されているので、放射性物質が身体に付着することはない。しかし、爆発をした原発や周辺に残る放射性物質の放射線による被ばくがある、ということらしい。

 この日は、海洋放出の5回目が行なわれる日だった。視察中の説明で、多核種除去設備(ALPS)等で浄化処理した水のうち、規制基準を満たしていない水(トリチウムを除く告示濃度比総和一以上)は「7割残る」と言った。それを東電は「処理途上水」と呼ぶ。

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吉田千亜

よしだ・ちあ 1977年生まれ。フリーライター。福島第一原発事故後、被害者・避難者の取材、サポートを続ける。著書に『ルポ 母子避難――消されゆく原発事故被害者』(岩波新書)、『その後の福島 原発事故後を生きる人々』(人文書院)、『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店)など。

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