第三のジャーナリズム(第1回)

花田達朗(フリーランス社会科学者)
2024/07/05

1 潮流の変化と入れ替わり――私から見えるもの

 今年1月、能登半島地震発生のあと日本「マスコミ」は連日、災害報道で埋め尽くされていた。他方、ドイツでは極右勢力の脅威が露呈する中で全国の津々浦々で極右に反対する街頭デモが沸き起こり、メディアはその政治報道で満たされていた。大都市の中心部は連日、どこも何十万人というあふれるばかりの人々で埋め尽くされた。

 これまでデモへの参加を敬遠してきた人々を含めてそこまで多くの人々を動かしたきっかけは、ベルリンの非営利の探査報道ニュース組織『コレクティブ』が1月10日にネット上にリリースした記事「ドイツに敵対する秘密計画」註1である。大手メディアすべてが直ちにその報道をクレジット付きで転送し、誰もが知るところとなった。『南ドイツ新聞』などは「立ち上がるドイツ」という大見出しでデモを報じた。

何が起こっているか

 ベルリンに近いポツダムはプロイセンのフリードリッヒ大王が居城を構えた地だが、第二次世界大戦の戦後処理を決めた「ポツダム宣言」で現代史に名を残す。ポツダムの周辺は湖沼地帯で、多くの小さな湖が連続して点在する。私は以前、テンプリナー湖畔に建つアインシュタインの別荘(1929年から1932年まで家族と住んだ)と、ヴァーン湖畔に建つナチス親衛隊の別荘で行なわれたが故にその名がある「ヴァーンゼー会議」の場所で、今は記念館となっている建物を訪れたことがある。親衛隊トップのラインハルト・ハイドリヒが主宰した1942年のその会議でナチスの高官たちはユダヤ人の大量虐殺計画をより効率的に実行する方策と体制を決定した。

 『コレクティブ』の記事の舞台はそのヴァーン湖からほど近いレーニッツ湖を臨む田園ホテルである。

 昨年11月25日、そこに20名ほどの極右やネオナチの諸勢力の代表者たちが秘密裏に集まり、「マスタープラン」と財源について協議したという事実を暴露したのである。そのプランとは、ナチス時代の民族浄化と似ていて、移民やその子どもですでにドイツ市民権を取得している人々や人種的にドイツに同化できないような人々をドイツから「再移民出国」(Remigration)させて、北アフリカの一角にまとめるという移送計画だ。呼びかけ人は生涯にわたって極右シーンを生きてきた、デュッセルドルフの元歯科医師であり、会議で基調講演を行なったのはオーストリアのネオナチのイデオローグであるマルチン・ゼルナー註2である。参加者の中には極右政党AfD(ドイツのための選択)註3の現職の連邦議会議員、AfD共同代表のアリス・ヴァイデルの右腕であり元連邦議会議員のローランド・ハルトウィッヒがいる。AfD以外の極右のグループも出席している。寄付者として企業家や経営者の名前も挙がっている。記事ではその会合での各出席者の詳細な発言が引用されていて、その模様が再構成されている。

 『コレクティブ』はこの秘密会合の開催情報を得たあと、チームを編成して現地に入り、ホテルのまわりに設置したカメラ数台で会議室の窓辺に立つ出席者たちを撮影し、証拠として記事に掲載した。さらに一人のレポーターが客を装ってホテルに宿泊して会合を観察した。おそらく盗聴マイクを仕掛けたであろう。

 ドイツの極右台頭の問題は本稿では横に置くとして、ここで私が注目するのは、秘密会合への招聘通知の手紙(通信はメールでは行なわれず郵送された)を情報源から入手したのが『シュピーゲル』誌や『南ドイツ新聞』ではなく、新興の『コレクティブ』だったということである。2016年の「パナマ文書」報道の時にウィスルブロワー(内部告発者)であるジョン・ドゥー(匿名者が名乗る時の名前)が情報提供先として選んだのは『南ドイツ新聞』だった。同紙がICIJ(国際探査ジャーナリスト連合。1997年にチャールズ・ルイスによって設立)に協力を求め、各国メディアを通じて世界的な同時発信となったのはまだ記憶に新しい。『コレクティブ』が大口寄付者からの4億円の資金によって設立されたのはその2年前の2014年のことだった。それから10年経った今日、『コレクティブ』はウィスルブロワーから選ばれるニュース組織になったのである。『コレクティブ』はこれまで北ドイツ放送協会および『南ドイツ新聞』と三者協定を結び、共同企画・共同取材・各メディア別コンテンツ制作・同日一斉発信のコラボを組んで成果をあげてきた。欧州各国を股にかけた大規模な政府助成金詐欺事件「CumEx-Files」スキャンダルの暴露などである。

 今回の極右をめぐる大スクープは『コレクティブ』単独で行なわれた。この大ブレークはジャーナリズムにとって象徴的な出来事だと私は思う。設立後10年に過ぎない『コレクティブ』の名前はドイツの一般の人々の頭に焼き付けられた。大口寄付者への依存から脱却して月極定額寄付金の比率を上げていくきっかけになるかもしれない。

どんな構造が見えるか

 ここで少し抽象的な話に移りたい。この大ブレークは何を象徴しているのだろうか。それを語ることを可能にするためには何らかの概念装置を用意しなければならない。現象を観察するための道具である。ポリティカル・エコノミーの下部構造と上部構造という枠組みはこれまでジャーナリズムとメディアの関係を捉える上で有効であると見なされてきた。ちょっとおさらいをすれば、それは建築のメタファーであって、ドイツ語では土台と建屋と表現された。土台とは物質的な生産の構造であり、その中身は生産力(生産手段)と生産関係とされ、その二つの対応関係によって生産様式が構成される。他方、建屋とは国家や宗教や法律や教育や学術や芸術や文化など、人間の色々な意識活動の諸形態である。この二分法は西欧の思想的伝統である物質と観念の分離を踏襲しているが、その二つを横に並列に置くのではなく、上下に置き、土台と上置きの関係として設定したところにポリティカル・エコノミーのミソがある。批判の仕掛けを組み込んだのである。その上で、土台の中身がどうなっているかということが建屋の中身がどうなっているかということに強く影響を与えている、強く規定している、反映していると論を進めたのである。

 では、どのように? 物を生産するための手段(設備や技術や労働力など)を誰が所有し、支配しているかということ、そしてその所有者たちの利害関心がどういうものであるかということが、国家や宗教や法律などのあり方に反映しているのだと捉えて、そのカラクリを暴露したのである。建屋に作られる中身は土台の所有者たちの利益が反映したものだという意味でイデオロギーと呼ばれた。単純化して、土台は経済、建屋は政治と見なされていると言ってもいい。その際、ポリティカル・エコノミーというのは「政治経済学」のことではなく(しばしばこういう使い方を目にするので残念だが、「学」という意味がどこにあるのか)、経済が持っている政治性、あるいは政治的な性格を持つ経済という意味で言っているのであって、エコノミーが持つそういう性格を解明し批判したのである。

 それは19世紀半ば当時の時代精神の文脈の中で言えば、主流であった観念論(観念中心主義)をひっくり返して物質論(物質中心主義、通常「唯物論」と言われる)に立つことを意味する。人類の幸福や不幸の淵源は人間の生活にとって必要不可欠な物の生産がどういう関係と構造のもとに行なわれているかというところにあると考えたのだ。その概念装置は時代と世界の矛盾を説明し、そしてそれを変革していく意図を持っていた。

 この概念装置を本稿のテーマに援用すれば、土台がメディアで、建屋がジャーナリズムとなる。土台が社会的コミュニケーションの物質的過程あるいは生産様式であり、建屋がジャーナリズムという名前の社会意識活動である。前者での焦点はメディアによる文化的プロダクトの生産と流通と消費であり、後者での焦点はジャーナリストによる意識活動の成果物の創作と発出と公衆による受容である。

 歴史的に見れば、ジャーナリズムは近代の入り口の市民革命の時代に立ち上がり、市民社会が国家と対峙する時の武器として観念されてきた。したがって、普遍的リベラリズムを表看板にする。他方で、プレスに始まる近代メディアは、19世紀末からの発明や技術革新によって高速輪転機に支えられた大発行部数の新聞、そして映画やラジオ(後にテレビも)が登場してきて、情報生産基盤が根本的に変革され、メディアはマスメディアとなった。「マスメディアの時代」が百年の間、続いた。大量伝達手段と呼ばれるマスメディアを乗り物として、そのシステムの技術条件や所有関係や財源構造(ビジネスモデル)に規定されて20世紀のジャーナリズムは存在してきた。その物質的条件から自由ではあり得なかった。観念的にいくらジャーナリズムを論じても無駄なのである。実態は普遍的リベラリズムの理念からはいつもハズレていた。

 20世紀マスメディアのうち新聞は、西欧ではクォリティー・ペーパー(高級紙)とマス・ペーパー(大衆紙)の二つのタイプの新聞が市場で売り買いされ、広告費と購読費を財源としてきた。二つのタイプは読者の階層性の現れであり、下部構造における階級の相違を反映していると言われた。しかし、日本にはそのようなタイプの分類はないし、高級紙のタイプは存在しない。この相違は示唆的である。放送は国営と公共と商業の三つのタイプで運営されてきた。日本では戦後にNHKが国営から公共に転換され、同時に商業放送(民放)が導入され、二元体制となった。一般に、商業放送は広告費を財源とし、公共放送は受信料や寄付金を財源とするが、共に電波を利用していることを口実にしてどこの国でも国家が規制機関として関与してきた。その関与の濃淡は国によって異なるが、日本では政府から独立した第三者機関が設置されていないので、政府と国会の関与が西欧諸国の場合よりも直接的で強く、政治の影響下に置かれている。新聞は本来市場原理で動くものではあるけれども、新聞社が民放の株式を所有しているために新聞も政治の影響下にある。同じ自由主義・資本主義国と言われても、西欧諸国と日本との間のこの違いは示唆的である。

 マスメディアは、新聞は紙への印刷、放送は電波の送出という技術手段を使い、ニュースやドラマや広告やプロパガンダなど様々のコンテンツを大量に頒布してきた。それが20世紀の土台と建屋の関係だった。そこに巨大な産業セクターが形成された。しかし、その爛熟期が過ぎたかに見えた頃、土台ではコンピュータと電気通信の融合によりインターネットが発明され、デジタル技術によって情報生産手段にイノベーションが発生した。誰でもが初期の設備投資なくローカルにもグローバルにも情報発信できるという土台が提供された。20世紀末から始まるこの技術変化の進行に重なるかのように米国では21世紀初頭、2008年にリーマンショックが起こった。広告市場は一挙に縮小し、マスメディアは経済的に大打撃を被り、従来のビジネスモデルは効かなくなった。技術と経済とから成る土台でのこの変化は建屋のジャーナリズムにどのような変化を呼び込み、どのような戦略の登場を促しただろうか。

探査ジャーナリズムのムーブメント

 この事態を素早く掴み取る目を持った男が米国にいた。前出のチャールズ・ルイスである。彼はCBSの報道番組「60ミニッツ」でプロデューサーを務めていたが、その仕事に見切りを付けて退職し、新しいムーブメントに身を投じた。アメリカン大学の教授をしながら、色々な組織を立ち上げていった。その戦略は、インターネットの技術と非営利の経済とから構成される土台の上に、探査ジャーナリズムの意識活動が展開される建屋を造るというもので、これを新しいエコシステムと呼んだ。

 同時代の情況の中で、ルイスのほかにもこの思想に気がつく先駆者たちが世界同時多発的に存在した。そして、各国で相前後して独立したノンプロフィットのニューズルームをネット上に立ち上げていった。例えば、『リヴィール』(これは米国で最初の非営利探査報道組織で、例外的に早く1977年設立。当初は印刷媒体だった)、『プロパブリカ』(米国、2007年)、『ニュースタパ』(韓国、2012年)、前出の『コレクティブ』(ドイツ、2014年)、『報導者』(台湾、2015年)、『ワセダクロニクル』(日本、2017年。Tokyo Investigative Newsroom Tansa と2021年に改称した)などである。そのほかに研修機能や交流機能や発信機能を持つセンターが多く存在する。ルイス自身は大学発メディアとして『アメリカン大学探査報道ワークショップ』を2008年に立ち上げた。こうしたグローバルな運動を推進する目的で、早くも2003年にGIJN(世界探査ジャーナリズムネットワーク)が結成され、今日では91カ国から250の組織をメンバーとして数えるまでに成長した。

 このように見てくると、「権力の監視」の探査報道というやり方に特化したジャーナリストの活動を、ビジネスでなく非営利で、つまり財源を市場からの収益でなく市民社会からの拠出金で、具体的には会費や寄付金や財団助成金で調達して賄っていくというモデルがこの短期間に急速に伸びてきたことが分かるだろう。これは21世紀のジャーナリストによる自己革新のムーブメントに他ならない。冒頭で見た『コレクティブ』の大スクープと社会的インパクトの大きさはまさにこの情況を象徴するものなのである。潮の流れが大きく変わったことを印象づける出来事だと言わなければならない。

 さて、以上では下部構造(土台)と上部構造(建屋)という概念装置を用いてものを見てきた。西欧の19世紀半ば(日本では江戸時代末期)にカール・マルクスによって発明されたこの社会科学的観察装置は今日でも現象を説明する能力をある部分キープしているが、しかし今や大きな限界を認めざるを得ず、ましてや今日の現実を変える力となるとほとんどないと言わざるを得ない。西欧においてもそうではあるのだけれども、特に日本においてはそうであるし、そしてジャーナリズムの可能性を論じる際にはもっとそうなのである。その限界とは二分法とその固定化に起因していると考えられる。このあと見ていくように、したがって私はこの二分法から遠ざかっていく。

2 四つの波頭――私の身の回りで

 私が日本におけるジャーナリズムとメディアの関係の潮流変化を肌で感じ、その波頭を目視できる事例が私の身の回りで起こっている。それは「マスコミ」という日本特有の体制がドミナントな磁場の周縁、ないしはその外側で起こっている。

 日本「マスコミ」では普遍的リベラリズムを建前化し空文化した言説、商業主義と儲け本位の行動、政権政党や政府や議会からの政治的圧力と忖度、情報生成の談合文化などがグチャグチャに絡み合っている。それをせめぎ合いや葛藤と書いてもいいが、しかしそう簡単なものではない。ポリティカル・エコノミーで切ったとしても逃げられてしまう。使う道具が合っていないのではないかと思う。

 普遍的リベラリズムを故郷とする西欧型ジャーナリズムは個人の自我をベースとしており、主体と客体の分離に立つ。その上に取材活動と作品内部における「客観性の原則」(Objectivity)が打ち立てられる。下部構造と上部構造の概念もその装置の中に主体と客体の分離を埋め込んでおり、そこに主体を立ち上げてくるし、主体間の利害の対立と交渉の構図が立ち上がってくる。新聞発行者であったり、ジャーナリストであったり、と。しかし、「西欧型の普遍的リベラリズム」と言う時、それは修辞矛盾である。リベラリズムは西欧固有の歴史的経験の中から生まれてきたものであり、それが地球上のどこでも通用するという意味で普遍性を自らに要求するならば、それは僭越の誹りを免れない。西欧型と普遍性は言葉上で両立しない。しかし、その強みは「普遍性」を感じさせるだけの理念的モデルの強さにある。ただし、非西欧(このように括るのは乱暴ではあるが、便宜上)には非西欧の多様な歴史的経験がある。良くも悪くも。そして多様な思想がある。

 他方で、日本型「マスコミ」では主体は不問にされ、主体の構築は避けて通られる。望まれないし、嫌われる。そこでムラ社会だとか村落共同体だとか言われる。家父長的な性格を濃厚に保ち、「家」=「会社」の論理と意識が依然として支配する。実際に、経営も編集も労働組合も一つの「会社」で完結するシステムを護持して、揺るぎない。他の産業と違って日本語障壁に守られてグローバル化にさらされることもない。外の環境からの脅威がないので、旧態依然のままで自己革新が起こりにくい。逆説的な言い方になるが、ここではムラ意識、家父長制、男権主義、軍隊文化などによって構成される上部構造が下部構造の「マスコミ」の生産様式を規定していると言える。建屋と土台の関係がアベコベに逆転しているのだ。それはポリティカル・エコノミーの想定外である。さらには日本型「マスコミ」の実践は世界の他の地域の人々に参考になるような思想やモデルを生み出すことはなかった。

 主体の構築が意図されないところでは、客体の対象化が曖昧となるのは避けられない。そこで「権力の監視」という、普遍的リベラリズムを故郷とするジャーナリズムにとっての第一のミッションは実質化されず、せいぜい空疎な標語で終わってしまう。代わりに主体と客体の未分化とか癒着とかいう事態が生じ、そこでは権力の対象化は無理なことであって、機能しないのである。そして、いつの間にか曖昧にズルズルと自らも権力の一部となってしまう。

 こうした日本「マスコミ」の強力な磁場の存在がそこにあっても闘ってきた者たちはいる。では、その者たちは何に依拠してきたのだろうか。前に下部構造の変容で述べた、20世紀から21世紀のテクノロジーとエコノミーの変化は、確かに日本でも同様の力でジャーナリズムに影響を与えてきた。しかし、その影響はどこの国であれ、ローカライズされた結果をもたらしてきた。その点だけを見ればグローバルな変化と軌を一にしていると言えるけれども、それだけには止まらない。何に注目すべきか。その情景をミクロな具体的な波頭に着目して見ていくことにしよう。「波頭」というのは、多くの人にまだ注目されないもの、社会的な視界の地平線で動いているもの、立ち上がって境界を越えようとしているものという意味である。それらは私の周辺の、私の目の届く範囲での情景である。今の私は身体への眼差しでしか認識することができない。

(1)『Tansa』

――ニュース組織として日本で唯一GIJNに加盟

 FCCJ(日本外国特派員協会)での記者会見を終えて、私が部屋を出ようとした時、そこに渡辺周は立っていた。そして「私にお任せください」と言った。2014年9月の「朝日新聞『吉田調書』記事取消事件」を受けて、私はその12月に鎌田慧氏や海渡雄一氏と共に共同記者会見に臨み、記事取消は不当であると批判し、ジャーナリストの立ち上がりを促した。渡辺が目の前に現れたのはその会見の直後だった。それから1年4カ月後のこと、渡辺は私の研究室に来て言った。「会社を辞めました」と。渡辺は私が所長を務めていた早稲田大学ジャーナリズム研究所の招聘研究員になっていて研究所に出入りしていた。彼は「会社」を捨てて、身一つになったのだ。私はプロジェクトのミーティングで「渡辺さんが編集長になります」と言った。申し訳ないけれど給料は出せない。ノンプロフィットの組織だが、同時に当初はノンサラリーの組織だった。彼は退職金で暮らした。大口寄付者がいて設立されたわけでもなく、大学から資金援助を受けたわけでもなかったからだ。保障は何もなかった。決意だけがあった。

 こうして「大学発メディア」のプロジェクトの責任体制は固まり、1年間の準備をして2017年2月には特集「買われた記事」でネット上にデビューした。『ワセダクロニクル』の創刊である。6月にはGIJNへの加盟申請が承認された。そのメンバーとなったことの意味は大きい。2018年には研究所から独立してNPO法人になり、2021年には名称を『Tansa』註4に改めてリニューアルした。財源は毎月の定期寄付金(マンスリーサポーター)、単発の寄付金、財団からの助成金などだ。コンテンツはカネも手間暇もかかる探査報道。広告は取らず、購読制でもなく、記事は誰でも好きな時に無料で読むことができる。記事を収益の対象とはしない。勧進のように事業へのお布施だけでやっていこうというのだ。

 渡辺はそういうNPOで理事長を務め、編集長を務めてきた。しかし、彼はあくまで記者であり、ライターなのだ。組織の性格としては「ジャーナリズムNGO」という自己認識に立つ。ノンプロフィットだけでなく、ノンガバメンタルを強調したいからだろう。市民社会のアクターとしての矜持がそこにある。創刊以来、7年間を持ち堪え、8年目に入った。山あり谷ありだったが、私はずっとそれをそばで見てきた。大ブレークを起こすまで見届けたいと思っている。あの時「私にお任せください」と決然と私に言った言葉を渡辺は忘れることはないだろう。

 『Tansa』は冒頭に登場したドイツの『コレクティブ』と友好関係にある。共にGIJNを舞台にしたグローバルな運動の一翼を担っている。『Tansa』は潜在的にはどこの国のニューズルームとも国境をまたぐ取材プロジェクトを組むことができるし、その推進を方針に掲げてきた。実際にいくつかのコラボをやり遂げており、海外メディアからは日本のパートナーと見なされている。今年4月にはアジア発のオリジナルな探査報道のストーリーを共同で打ち出していこうと、『Asian Dispatch』が結成された。『Tansa』を含めてアジアの10カ国から18の報道機関が加盟して設立された。本部はインドのデリーにある。国境をまたぐコラボの常態化に向かって事態は動いている。日本の大きさなら、『Tansa』のようなニューズルームが他にせめて5つくらいあってもいいのではないかと私は考えてきた。米国には「非営利ニュース協会」(INN)に加盟する独立非営利ニュース組織が今日、450ある註5。日本で重要なことはネット上に独立したニュース組織そのものがもっと立ち上がり、数がもっと増えることだ。ジャーナリストの本懐は取材してニュースを書くことではないのか。他のことは二の次だろう。

 創刊以来『Tansa』が探査報道の要に据えてきたのは、「権力の監視」よりも「犠牲者の救済」だった。特集シリーズの「強制不妊」や「双葉病院 置き去り事件」にしても、今も連載中で中川七海が書く「公害『PFOA』」(大阪府摂津市にあるダイキン工業淀川製作所の周辺地域の汚染)や辻麻梨子が書く「誰が私を拡散したのか」(スマホアプリでの性的画像・動画の拡散と売買およびプラットフォームの不作為)にしても、そこには具体的な犠牲者がいる。権力の不正や不正義や横暴から被害を受け、犠牲となっている生身の傷つく身体がある。「人間の尊厳」を奪われた身体がある。「人間の尊厳」は身体に宿るのである。『Tansa』にとって「権力の監視」とは抽象的なことではなく、まず具体的な犠牲者の救出と救済であり、返す刀で権力を撃つのである。それが犠牲者の「人間の尊厳」の回復につながる。そのために権力の内側に入り、肉薄する。権力の犠牲者の代理人として働くのが探査ジャーナリストである。

 政治的、経済的、社会的、文化的、技術的暴力の源泉は権力である。身体的、言語的、心理的暴力の源泉も権力である。可視的な暴力と不可視的な暴力の源泉もまた権力である。これらの暴力のすべてを揃えた、極大の暴力こそが戦争である。すべての暴力形態を究極まで最大限に動員するところに戦争というものの特異性、異常性がある。

 権力は抽象的な概念であると同時に、しかし具体性あるいは身体性を備えている。権力者は身体を持っている。だから、権力を頭で考えるのではなく、五感を使って自分の身体で権力を持つ人間や組織に肉薄する。こういうやり方で権力の作動とその暴力性を事実によって暴露し、真実を明るみに出し、もって権力の暴力と犠牲者の発生とが繰り返されることを防ぐ、そのための社会的実践を探査ジャーナリズムと呼ぶのである。その実践が『Tansa』に寄付をするマンスリーサポーターの理解と支持を得てきたし、今それが徐々に広がりを見せている。

 渡辺の記事を読んでいると、彼はひたすら現場を踏み、人に会う。成果が上がろうが、上がるまいが、それをやる。しかし、ジャーナリストが身体を動かし、感覚を研ぎ澄まし、現場に立てば、手ぶらで帰ることはない。そのことが、昨年彼の上梓した『消えた核科学者――北朝鮮の核開発と拉致』(岩波書店)によく現れている。今、彼の身体は自由だ。心身が解放されている。だからよく観察することができ、よく言葉を紡ぎ出すことができる。

 渡辺は「マスコミ」経験のない二人の若いレポーターを内部で実践的に育成してきた。さらに高校生たちとジャーナリズムを語り、創る場所を大事にしている。高校生のインターン生を採用したり、『自由学園』(「はじめての女性新聞記者」羽仁もと子が1921年(大正10年)に夫の吉一と共に創立した)やフリースクールに呼ばれて授業をしたりしている。渡辺はそういう場所に身を置き、肉声を交換することが好きなのだ。その時間を惜しまない。渡辺は『Tansa』をジャーナリズムの道場として現代の修業の場にしたいのだろう。道の修行とは身体を通じてしか行なわれない。そのような考え方と動き方をすることが、彼のジャーナリストとしての身体技法であり、所作なのである。(つづく)

註1…『コレクティブ』の記事「ドイツに敵対する秘密計画」のURLは、https://correctiv.org/aktuelles/neue-rechte/2024/01/10/geheimplan-remigration-vertreibung-AfD-rechtsextreme-november-treffen/

註2…マルチン・ゼルナーは1989年ウィーン生まれで、若い。欧州各国の若者の間で広がっている「Fアイデンティティ運動」の頭目の一人で、移民排除を主張し、非暴力直接行動を戦略として唱えている。その「アイデンティティ」とはヨーロッパ人のアイデンティティを指す。彼は、Blog、雑誌、ミニ集会、Facebook、YouTube、Instagram、サブカルチャーシーンなどあらゆるコミュニケーション手段を駆使して浸透を図る。また過去の左翼の手法や用語を換骨奪胎しつつ横取りして活用する。著書に、Martin Sellner, Identitär! Geschichte eines Aufbruchs, Schnellroda: Verlag Antaios, 2017.

註3…2013年に結党されたドイツの極右政党AfD(ドイツのための選択)の勢力は、前回の2021年の連邦議会選挙では有権者の10・4%の得票を獲得し、第5位だった。第1位の社会民主党(25・7%)、第3位の緑の党(14・7%)、第4位の自由民主党(11・4%)が連立政権を構成し、第1党のオラフ・ショルツが首相に就いた。最大野党となった保守党のキリスト教民主・社会同盟は24・2%だった。今日AfDが勢いを増す中で注目されているのは本年6月の欧州議会選挙と9月の東部ドイツのブランデンブルク、ザクセン、テューリンゲン3州の州議会選挙の行方である。東部ドイツつまり旧東ドイツの地域ではAfDが強く、今回の選挙でAfDが州議会の過半数の議席を取って、初めてAfDの州首相が誕生する可能性が取り沙汰されている。

註4…『Tansa』のURLは、https://tansajp.org

註5…INN(Institute for Nonprofit News)は、2009年にニューヨークに27人のジャーナリストが集まって設立された。今日の加盟組織は450。それらの組織は、ブログやコメントや評論を発信するサイトではなく、取材してニュースを発信する組織である。加盟するための共通の価値観は、非営利であること、独立した編集、事実にもとづく取材、非党派性、放っておけば語られない事実を語ること、探査ジャーナリズム、パブリック・サービス・ジャーナリズム(公衆のために権力を監視するジャーナリズム)、デモクラシーの擁護、財務とガバナンスの透明性、スタッフとオーディエンスのダイバーシティとインクルージョン、協働や同僚間の友愛や相互リスペクトという仕事カルチャーを基礎とすることなどである。これは普遍的リベラリズムの延長線上にあると言えるものだ。非営利という点だけがユニークである。それぞれのニュース組織はローカル、広域ローカル、ナショナル、グローバルなど得意とする守備範囲を持っているが、ローカルをカバーするニューズルームが圧倒的に多い。米国ではネットこそローカルなのだ。INNはメンバー組織に対してトレーニングや運営サポートの提供のほか、組織間のコラボの推進やネットワークの形成を行なっている。

設立会合の資金を出したのはロックフェラー兄弟財団など3つの財団だった。設立会合の記念写真を見ると、先のチャールズ・ルイスや『リヴィール』のロバート・ローゼンタールが映っている。二人とも『Transa』の国際アドバイザリーボードのメンバーを務めてきた。

INNのURLは、https://inn.org

花田達朗

はなだ・たつろう フリーランス社会科学者。早稲田大学名誉教授、東京大学名誉教授。1947年長崎県生まれ。著書に『花田達朗ジャーナリズムコレクション』(彩流社)など。

2026年9月号(最新号)

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