1 潮流の変化と入れ替わり――私から見えるもの
今年1月、能登半島地震発生のあと日本「マスコミ」は連日、災害報道で埋め尽くされていた。他方、ドイツでは極右勢力の脅威が露呈する中で全国の津々浦々で極右に反対する街頭デモが沸き起こり、メディアはその政治報道で満たされていた。大都市の中心部は連日、どこも何十万人というあふれるばかりの人々で埋め尽くされた。
これまでデモへの参加を敬遠してきた人々を含めてそこまで多くの人々を動かしたきっかけは、ベルリンの非営利の探査報道ニュース組織『コレクティブ』が1月10日にネット上にリリースした記事「ドイツに敵対する秘密計画」註1である。大手メディアすべてが直ちにその報道をクレジット付きで転送し、誰もが知るところとなった。『南ドイツ新聞』などは「立ち上がるドイツ」という大見出しでデモを報じた。
何が起こっているか
ベルリンに近いポツダムはプロイセンのフリードリッヒ大王が居城を構えた地だが、第二次世界大戦の戦後処理を決めた「ポツダム宣言」で現代史に名を残す。ポツダムの周辺は湖沼地帯で、多くの小さな湖が連続して点在する。私は以前、テンプリナー湖畔に建つアインシュタインの別荘(1929年から1932年まで家族と住んだ)と、ヴァーン湖畔に建つナチス親衛隊の別荘で行なわれたが故にその名がある「ヴァーンゼー会議」の場所で、今は記念館となっている建物を訪れたことがある。親衛隊トップのラインハルト・ハイドリヒが主宰した1942年のその会議でナチスの高官たちはユダヤ人の大量虐殺計画をより効率的に実行する方策と体制を決定した。
『コレクティブ』の記事の舞台はそのヴァーン湖からほど近いレーニッツ湖を臨む田園ホテルである。
昨年11月25日、そこに20名ほどの極右やネオナチの諸勢力の代表者たちが秘密裏に集まり、「マスタープラン」と財源について協議したという事実を暴露したのである。そのプランとは、ナチス時代の民族浄化と似ていて、移民やその子どもですでにドイツ市民権を取得している人々や人種的にドイツに同化できないような人々をドイツから「再移民出国」(Remigration)させて、北アフリカの一角にまとめるという移送計画だ。呼びかけ人は生涯にわたって極右シーンを生きてきた、デュッセルドルフの元歯科医師であり、会議で基調講演を行なったのはオーストリアのネオナチのイデオローグであるマルチン・ゼルナー註2である。参加者の中には極右政党AfD(ドイツのための選択)註3の現職の連邦議会議員、AfD共同代表のアリス・ヴァイデルの右腕であり元連邦議会議員のローランド・ハルトウィッヒがいる。AfD以外の極右のグループも出席している。寄付者として企業家や経営者の名前も挙がっている。記事ではその会合での各出席者の詳細な発言が引用されていて、その模様が再構成されている。
『コレクティブ』はこの秘密会合の開催情報を得たあと、チームを編成して現地に入り、ホテルのまわりに設置したカメラ数台で会議室の窓辺に立つ出席者たちを撮影し、証拠として記事に掲載した。さらに一人のレポーターが客を装ってホテルに宿泊して会合を観察した。おそらく盗聴マイクを仕掛けたであろう。
ドイツの極右台頭の問題は本稿では横に置くとして、ここで私が注目するのは、秘密会合への招聘通知の手紙(通信はメールでは行なわれず郵送された)を情報源から入手したのが『シュピーゲル』誌や『南ドイツ新聞』ではなく、新興の『コレクティブ』だったということである。2016年の「パナマ文書」報道の時にウィスルブロワー(内部告発者)であるジョン・ドゥー(匿名者が名乗る時の名前)が情報提供先として選んだのは『南ドイツ新聞』だった。同紙がICIJ(国際探査ジャーナリスト連合。1997年にチャールズ・ルイスによって設立)に協力を求め、各国メディアを通じて世界的な同時発信となったのはまだ記憶に新しい。『コレクティブ』が大口寄付者からの4億円の資金によって設立されたのはその2年前の2014年のことだった。それから10年経った今日、『コレクティブ』はウィスルブロワーから選ばれるニュース組織になったのである。『コレクティブ』はこれまで北ドイツ放送協会および『南ドイツ新聞』と三者協定を結び、共同企画・共同取材・各メディア別コンテンツ制作・同日一斉発信のコラボを組んで成果をあげてきた。欧州各国を股にかけた大規模な政府助成金詐欺事件「CumEx-Files」スキャンダルの暴露などである。
今回の極右をめぐる大スクープは『コレクティブ』単独で行なわれた。この大ブレークはジャーナリズムにとって象徴的な出来事だと私は思う。設立後10年に過ぎない『コレクティブ』の名前はドイツの一般の人々の頭に焼き付けられた。大口寄付者への依存から脱却して月極定額寄付金の比率を上げていくきっかけになるかもしれない。