「リベラルな国際秩序」の終焉?――グローバル冷戦と米覇権秩序

三宅芳夫(千葉大学大学院社会科学研究院教授)
2024/07/05

 現在日本の言説空間では、世界システムの覇権国家である米国を中心とした「リベラルな国際秩序」の正当性はほぼ自明視されている。この場合、日本の役割はといえば、覇権に陰りが見える米国を支え、ロシアや中国などの「権威主義」体制に対して「自由民主主義」体制の主要な守護者となること、ということになる。このようなナラティヴはTV・新聞などのマスメディアならびに国際政治学者、加えて近年急増している自称「地政学者」たちに広く共有されていると言えるだろう。

 こうした解読格子からすれば、戦争権を放棄している日本国憲法などは大いなる「障害物」でしかない。実際、安倍政権による安保法制強行の際、憲法学者の99%が「違憲」としたのに対し、ある国際政治学者は「集団的自衛権に賛成の政治学者はいくらでもいる!」と啖呵を切った。また、沖縄の基地負担もグローバルな国際秩序の守護者たらんとする国家にとっては、「やむを得ない」犠牲と位置づけられる。連合と直結する野党党首の一人が、「いついかなる時に日本国民は血を流す覚悟ができるか」などと突拍子もないことを言い出す状況まで事態は進行している。

 ところで、肝心の米国を中心とした「リベラルな国際秩序」なるものの正当性は、世界システムの中核国家群(G7)以外では、元来あまり信用されていない。なんといっても米国政府は、沖縄を戦略拠点とした1965―75年の地獄のベトナム侵略戦争をもグローバルな「自由民主主義」体制の擁護のためだったといまだ強弁しているのだ。また、WWⅡ後のマレーシア、フィリピン、インドネシア、タイ、ラオス、カンボジアなど東南アジア全域での血塗られた内戦も――数百万人規模の犠牲者を出した――米国政府によれば「リベラルな国際秩序」のため、ということになる。当事者たちとしては、超大国アメリカの空疎な咆哮は聞き流して、なにはともあれ、まずは「グローバル内戦」の再発だけは避けるという合意がベトナムも含めたASEAN(東南アジア諸国連合)ということになるだろう。

ラテン・アメリカと南アフリカ

 18、19世紀中は大英帝国の「非公式」の植民地とされ、WWⅡ以後は英国の「禅譲」を受けた米国に「非公式」の宗主国として君臨されてきたラテンアメリカ・カリブでも事情は同様である。

 この地域では、積年の宿痾とも言える大土地所有者と少数の資本家による寡頭制支配、極端な貧富の格差そして白人人種主義を、より民主主義的・平等主義的に改革しようとする試みは、グローバル冷戦中、米国によってすべて暴力的に覆されてきた。アメリカは常日頃からCIAと軍を通じて当該地域の寡頭制政権をコントロールし、稀に民衆側が合法的に政権に就くや否や、ただちに軍事クーデターによってこれを打倒した。1954年のグァテマラ、64年のブラジル、73年のチリ、76年のアルゼンチンはすべてこのパターンにあたる。とくに64年のブラジルのクーデターは65年のインドネシアのスカルノ打倒のクーデター――少なくとも数十万人の犠牲者を出した――の「リハーサル」となり、このマニュアルは1973年のチリのピノチェトによるクーデターに逆流した註1。クーデター直前、首都サンチャゴに「ジャカルタ」という極右による威嚇グラフィティが氾濫したのはその象徴である。クーデター後の軍事独裁政権は、米国のモットーである「法の支配」などはまるで関心はないかの如く、大量の人間を拉致、逮捕、拷問、裁判によらない殺人、そして社会的抹殺などの「汚い戦争」に従事した。その間、「リベラルな国際秩序」の守護者である米国はといえば、「共産党が政権に関与する可能性」を許容するよりは断固として軍事独裁政権への支援・支持の道を選びつづけたのである註2

 なるほど、ラテンアメリカの独裁者たちには多少の行きすぎもあるだろう。それは「ファシズム」と形容できるかもしれない。しかし、忘れてはいけない。共産主義=全体主義はナチズムと並ぶ「絶対悪」なのであり、ムッソリーニ程度の「ファシズム」であるならば、われわれは甘んじて許容すべきなのだ。実際、ムッソリーニの政権獲得を裏から支援したのは、当時の覇権国家英国であった。ナチス・ドイツとの、いわゆる「宥和政策」の推進者であったネヴィル・チェンバレンを代表とする英国支配層は最後の最後までムッソリーニの調停者としての役割に――チェコスロバキアの解体などは事の重大性に鑑みれば些事に過ぎない――期待をかけていた。大英帝国から「リベラルな国際秩序」の守護者=覇権国家を禅譲された米国にとって肝要なこと、それは圧倒的な資源によって、ソ連共産主義を包囲しつづけ、消耗させ、最終的には崩壊させる、これである。そのためには、米ソ直接対決による戦略核戦争以外のすべての選択肢は開かれている。

 冷戦終結後には、ブラジルのルーラ、アルゼンチンのキルチネル、チリのバチュレなど、新自由主義グローバリズムを受け容れる「中道左派」政権であれば、しぶしぶではあれ、米政府も受け容れはした。あるいは、ピノチェトなどの「悪代官」に冷戦時代の忌まわしい悪事をすべて押しつけ、退場させたことには、多少の安堵感すらあっただろう。ただし、「反グローバリズム」を掲げ、こともあろうにキューバのカストロと相互交流するベネズエラのチャベス、ボリビアのモラレス、これはいけない。そこで、米政府が考案した解読格子が「穏健な(新自由主義を受け入れる)ラテンアメリカ」と「過激な(新自由主義を拒否する)ラテンメリカ」の二分法である。チャベスや自身先住民であるモラレスは、長年の白人人種主義の解体を主要課題としており、そのこと自体は米国の掲げる大義「多様性 diversity」と少なくとも矛盾はしないはずだが、そのあたりにはお構いなし。要は新自由主義に反対する「多様性 diverisity」への寛容など問答無用(No mercy)、ということだろう。

 もちろん、南米と中米をつなぐ地政学的要衝コロンビアには「反共右派政権」でいてもらわなければならない。なんといっても、中米は1980年代にニカラグアで左派政権が誕生し、レーガン政権による強力な介入がなければ、エルサルバドルでも左派政権が誕生していたはずの「過激な」地域である。しかも、こともあろうに1994年1月1日の北米自由貿易協定(FTA)発効の日、メキシコのチアパスでは「サパティスタ」を名乗る連中が武装蜂起、世界の注目を集めてしまった。メキシコは、カリファルニア、アリゾナ、ネバダ、テキサスそしてニューメキシコなど元来国土の半分以上を米国に強奪された歴史をもち、米国への警戒心は左右を問わず広く共有されている中米の大国である。保守派の独裁者のディアスでさえ、「メキシコの悲惨、それは神からもっとも遠く、米国にもっとも近いこと」という名言を残している。

 しかし、21世紀に入ってからの新自由主義のさらなる加速は、「穏健な」ラテンアメリカ政権の基盤を掘り崩しはじめた。チリではピノチェト系のピニェラ大統領が当選、アルゼンチンは中央銀行廃止を唱えるウルトラ新自由主義者のミレイが大統領に就任。中絶反対論者でもあり、「アルゼンチンのトランプ」の異名をとるミレイの統治スタイルは「汚い戦争」の時代を想起させるような暴力的なものであり、社会の緊張は再び高まっている。

 とはいうものの、2018年には長年の妨害にもかかわらずメキシコでついに左派のロペスオブラドール、2021年ペルーでカスティージョが大統領に当選。後者はいつものパターンでなんとか転覆に成功したが、2023年、反共右翼にとって心強い「難攻不落」の要塞でありつづけたコロンビアでついに急進左派の大統領が誕生した。さらに、ブラジルではCIAと寡頭権力・キリスト教原理主義註3の結託によって、失脚・収監されていたルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァが再び大統領に復帰、今回のイスラエルによるガザ侵略・パレスチナ人の大量虐殺を当初から激しく糾弾する立場を明確にする。ルーラは2003~10年の大統領期から南アフリカ政府とともにすでに「パレスチナの大義」を支持していた。ちなみにコロンビアのペドロ新大統領は、ネタニヤフを「ジェノサイド」政権として、ボリビアのアルセ大統領(モラレス派)に続いて、イスラエルとの断交をこの5月に発表している。

 さて、「ホロコースト」になんの責任もない南アフリカはといえば、グローバル冷戦期には白人アパルトヘイト政権を全面的に支援する米国の政策に長く苦しめられた歴史をもつ。ANC(アフリカ民族会議)の指導者のネルソン・マンデラは1964~90年の27年間独房に監禁され、反アパルトヘイト運動は非合法化、暴力的に弾圧された。米国政府の論理はここでも――ラテンアメリカと同じく――「アカ(共産主義者)より人種差別主義者のほうがまし」というものであった。ANCはタンザニアのニエレレに支援されながら、アンゴラ、モザンビークなどのポルトガル領アフリカの反植民地主義運動と連帯。1970年代、南部アフリカは黒人による解放運動とアパルトヘイト南アフリカ政府が対峙する構造となる。アンゴラとモザンビークが1974年の「カーネーション革命」によってポルトガルから独立すると、南ア政府は主にモザンビークに民間右派ゲリラを組織し、その過程でAK47自動小銃を携帯する大量の「子ども兵」を作り出した。この「子ども兵」が引き起こした負の影響はいまだにモザンビークを苦しめつづけている。いずれにせよ、冷戦終結によってようやく政権に入ることができた南アフリカANC政府が、長年アパルトヘイト政権を支えてきたアメリカの主張する「リベラルな国際秩序」の正当性を信じることはまずないだろう。なんといっても、白人アパルトヘイト政権は、コンゴのP・ルムンバを見殺しにした註4――その意味で「中道・穏健な」――国連事務総長ダグ・ハマーショールドさえCIA、MI6(英国軍事情報部)とともに1961年に暗殺している。

中東における「帝国主義」

 現在「第三次世界大戦」の危機さえ取り沙汰されている中東・イランでは、欧米とりわけ英米の「自由と民主主義」を真に受ける向きはラテンアメリカ以上に存在しない。この地域では、米国主導の「リベラルな国際秩序」はほとんど「欧米帝国主義」と同義であると言っていいだろう。パレスティナ/イスラエル問題とは、元来、WWIの際の英仏の「三枚舌」外交によって創りだされたという世界史的「事実」は、誰がなんと言っても変わらない。

 ここではまず、米政府から長年「悪の枢軸」と名指しされ、ハリウッドにおける表象においても「テロリスト」役を長年割り振られてきたイランをまず例に採る。

 イランはすでにカージャール朝時代の1907年の英露協商によって、北はロシア、南は英国に事実上分割された「半植民地」状態に置かれた。1925年にクーデター的に政権を掌握したレザー・シャーはイランの「上からの」近代化を推進すると同時に、英露からの独立を目指して――いささか軽率にも――ナチス・ドイツに接近する政策を採用したため、WWⅡ中、イランは北はソ連軍、南は英国軍に占領されることになる。

 WWⅡ直後の1946年1月には西北部のクルド人居住地域にクルディスタン共和国が成立するが、冷戦の激化ととともに、スターリンはギリシアと同様にクルディスタン共和国を見捨て、さらに1949年には反植民地主義と近代化を掲げるイラン共産党(トゥーデ党)も非合法化された。これは、もちろんレザー・シャーの息子、モハンマド・レザー・シャー・パフレヴィーを米英が強力に支援したからに他ならない。この時点で、イランは英国による半植民地状態に回帰し、石油資源は英国のアングロイラニアン石油(現BP)に独占された。

 これに対し、列強支配からの独立を唱えるモハンマド・モサデクが民主的な選挙によって1951年に首相に選出される。モサデクは、1905~11年のイラン立憲革命に参加した、カージャール朝に連なる「開明王族」とも言える人物であり、パリのソルボンヌ大学に留学経験もある法学博士であった。立憲主義的政教分離を唱える「近代」派でもあったモサデクは「帝国主義」からのイラン独立のために、アングロイラニアン石油の国有化を発表する。

 ここで慌てたのは、巨大な石油利権を独占する英国と、モサデクの「ナショナリズム」を「リベラルな国際秩序」の敵と位置づけた米国である。両国の情報機関、MI6とCIAは時を置かず介入(アジャックス作戦)、軍を動員してモサデクを失脚させ、一度はローマに亡命したシャー・パフレヴイーを皇帝の座に置きなおした。

 しかし米国を後ろ盾としたパフレヴィー独裁政権は、ほぼ四半世紀後の1979年の革命にて崩壊。革命初期には、シーア派法学者だけでなく、近代的立憲主義者、共産主義者も参加しており、その後の成り行きは流動的であった。

 ところが、1979年にクーデターによりイラク大統領となっていたサダム・フセインが1980年、米国の支援を受けてイランに侵攻。軍事的に劣るイランは人海戦術を強いられるとともに、国内統制を強化。ここにホメイニの指導権力は決定的なものとなり、「政教分離」を唱える近代立憲派や共産主義者は一掃されることとなった。その象徴と言えるのが、イラン・イスラム共和国初代大統領バニサドルの失脚・亡命である。

 後に「中東のヒトラー」註5と米国が呼びはじめるサダム・フセインは、そもそも中東最大の共産党であったイラク共産党をCIAとともにバース党が1963年のクーデターによって壊滅させた際、直接逮捕・拷問に携わった人物である。その意味では、筋金入りの反共主義者として元来米国の信頼を得ていたとも言えよう。

 ところが、アメリカの支援によってアラブ最強の軍事国家となったフセイン政権註6は、米国およびイスラエルの双方にとって邪魔な存在になりはじめる。米国からの直接介入はないとのシグナルを真に受けたサダムがクウェートに侵攻したのを奇貨としてまずは1990年の第一次湾岸戦争において、イラク陸軍はほとんど何の反撃もできず一掃される。もちろん、イスラエルは1981年にはイラク領内の原子炉をアメリカから供与された最新鋭のF16戦闘爆撃機によって破壊してある。この攻撃をイスラエルは「先制的自衛権」の名によって正当化した。「先制的自衛権」とは現在の日本政府も好んで使う危険なレトリックだが、国際法的には何の裏づけもない。

 しかし、なんといっても国際法および国際秩序の観点から決定的なターニングポイントになったのは、2003年の第二次湾岸戦争である。この際、侵略の口実とされた「大量破壊兵器」は発見されなかったどころか、そもそも米政府はイラクがそのような兵器を「保有していない」とあらかじめ「知り」ながら、しゃにむに戦争に持ち込んだのである註7。さすがにドイツ、フランスおよび国連加盟国多数派は「無法な」米国の侵略を批判し、全世界的にも空前の反戦運動が沸き上がった。

 ならばと米国は「古いヨーロッパ」を無視して英国および東欧諸国を引き連れ、イラクへ侵攻、あっさりとサダムを処刑。あとはナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』が詳述しているように、略奪できるものはした挙句、制御不能になったイラクを見捨て、10年ほどで撤退した。後にはスンニ派ジハーディストのISILが抬頭、という政治的カオスだけが残された。これは2001年のアフガニスタン空爆・内戦から2011年のリビア空爆・内戦まで反復されているパターンでもある。

 いずれにせよ、この2003年の第二次湾岸戦争は、米国が任意の国家を破壊する意志を持った際には、国際法も国連に象徴される国際秩序も完全に無視され、当該国家は容赦なく戦争によって葬られることを満天下に知らしめた。とりわけ、米国との交渉によって核開発を放棄したイラク、そしてリビアが結局のところ攻撃・破壊され、米本土に届く核ミサイルの開発に「成功」した北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が「生き残った」という事実は世界中に決定的な衝撃を与えた。というのも、このことは、米国から「悪の枢軸」と名指しされる国家にとっては、結局、外交交渉における譲歩は無駄であり、安全保障上、戦略核兵器の開発を急ぐか、ないしはロシアの「核の傘」の下に入るか、の二択しかないことを意味するからである。

ガザ侵攻と大虐殺の開始

 そしてついに、2023年10月、イスラエルは国際法と国際規範のすべてを無視してガザ侵攻とパレスティナ人に対する一方的な大虐殺を開始した。同時にイスラエルに対する米国の終始一貫した「揺るぎなき」支持は、「リベラルな国際秩序」の法的および道義的正当性を最終的に崩壊させるに至る。イスラエルは、パレスティナを国家として承認している南アフリカやブラジル註8をはじめとする、「グローバル・サウス」の批判をまったく意に介さないばかりか、国際司法裁判所(ICJ)、国際刑事裁判所(ICC)、国連総会、最後に国連安全保障理事会の「停戦決議」――法的「強制力」を有する――をも無視して、大虐殺を続行している。しかも、世界システムの覇権国家であると同時に国連安全保障理事会の事実上の筆頭常任理事国である米国政府は、これを容認するという前代未聞の暴挙に出た。

 このイスラエルとアメリカの連係プレーは、国際公法と国際人道法の双方を蹂躙する行為であり、ここに国際的な「法の支配」の守護者として米国の権威は、跡形もなく崩れ落ちた。倫理的・道義的正当性の目も眩むような失墜に関しては言うまでもない。

 このまま世界は「国際的」の名に値する、何らかの「法的」・「道義的秩序」の観念・規範自体の全き消滅へと滑り落ちていくのか、それとも米国主導の「リベラルな国際秩序」に代わる、より「公正な」新しい国際秩序の再建に向かう――微かではあれ――足がかりを構築できるのか、今やわれわれは人類史的な分岐点に立たされている。

 もし、微かな希望への模索さえなされないとしたら、人類の存在そのものの「道義的正当性」もまた――すでにV・ユゴー、S・マラルメ、それにF・ドストエフスキーが19世紀には予感していたように――「無」の中に消失していくことになるだろう。

 米覇権秩序=「リベラルな国際秩序」という紋切り型を反復し、日本の財政を破綻させる軍事費倍増を容認、他方で最低限の「立憲主義」さえ蹂躙する経済安保法に実質的な批判をまったく行なわない、日本の言説空間。この状況に対して、「より公正な世界」という「希な望み」を対置していくこと。これこそが21世紀現在、オルタナティヴな「言論」に求められている。

註1 1964年のブラジル、65年のインドネシア、73年のチリという「環太平洋的」なクーデターのつながりに関しては、V・べヴィンス『ジャカルタ・メソッド』竹田円訳、河出書房新社、2022参照。
註2 1973年9月11日、チリのアジェンデ政権を打倒したクーデターの際、自民党は「反共」の大義名分を掲げて、これを支持。民社党は後に委員長となる塚本三郎をチリに派遣、塚本はピノチェトのクーデターを「天の声」と讃えた。この当時の民社党――同盟ブロックが、現在の連合――国民民主党、立憲民主党の系譜とつながることはなかなかに示唆的だと言えるだろう。
註3 元来カトリック圏であるブラジルでは21世紀に入ってから、米国と同様のキリスト教福音派(原理主義プロテスタント)が急激に勢力を拡大しており、資本家、大土地所有者、軍部と並んで、ボルソナロのような極右政権の支柱となってきている。
註4 独立後初の首相となったP・ルムンバは1960年コンゴの旧宗主国であるベルギー、米国の情報機関と後にコンゴの独裁者となる軍人モブツの協調行動によって、拉致・殺害された。遺体は硫酸で溶かされ、数本の歯と頭蓋骨の欠片のみ、ベルギー本国に送られる。このルムンバの「遺体」の欠片が親族に返還されたのは、2022年になってからである。
註5 最初の「中東のヒトラー」はスエズ国有化を宣言したエジプトのナセルである。欧米の言説が、自分たちにとって都合の悪い中東の指導者を「ヒトラー」と呼ぶレトリックはWWⅡ直後からすでに始まって現在に至るまで使用されつづけている。
註6 実際、サダム・フセインは米国に屈服してアラブ連盟を追放されたサダトのエジプトに代わって、自己を「アラブの盟主」、「現代のサラディン」と演出しはじめていた。
註7 この際の米政府内の政策決定過程の詳細な分析に関してはJ・ダワー『アメリカ 暴力の世紀』岩波書店、2017、参照。
註8 2024年5月2日トリニダード・トバコ、4日にバハマが加わったことで、パレスティナを国家として承認する国は143カ国となった。これは国連加盟国の「絶対多数」である。

三宅芳夫

みやけ・よしお 千葉大学大学院社会科学研究院教授。専攻は哲学・思想史・批判理論/国際関係史。著書に『世界史の中の戦後思想——自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)など。

2026年9月号(最新号)

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