太平洋戦争開戦の約2カ月後に起きた長生炭鉱(山口県宇部市)の落盤事故によって、朝鮮半島出身者を含む183名の命が失われた。その遺体は長く海底の坑道に残置されたままだったが、三十余年にわたって遺骨収容を目指してきた地元市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」は去年、ついに海底に沈んだ坑道から遺骨を持ち帰るに至った。身元確認が日韓両国の外交課題となり、いよいよ遺族への返還と思われた矢先、潜水調査に協力していたダイバーが事故死した。
活動を中心的に進めてきた「刻む会」の井上洋子代表に、この1年間の動きを振り返ってもらいつつ、活動の意義と今後の課題について聞く。(聞き手 本誌編集部・工藤剛史)
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――去年8月、海底から遺骨を収容しました。実感は?
井上洋子 水中探検家で潜水調査を進めてきてくれた伊左治佳孝さんが、坑道の内部に煉瓦造りの門が残っているのを確認したのが8月のはじめでした。その約3週間後に、韓国のダイバーが大腿骨や頭蓋骨を持ち帰りました。
そして今年2月には遺族の皆様にご遺骨を逢わせることができて、ご遺族が涙しているのを見たとき、私自身も涙を抑えることができませんでした。会の発足から約35年、念願が叶った瞬間でした。
遺骨が出た以上、これで政府も動かざるを得ないだろう、そう思ってDNA鑑定を進めてもらえるように、勇んで政府交渉に入りました。警察庁や外務省は比較的、真摯に対応してくれたように思いますが、長年、戦時中の遺骨の返還事業をしてきた当の厚労省が前向きな発言をしないという、にわかに信じられない状況でした。ノウハウが蓄積されているのは厚労省ですから。
それでも、国会で長生炭鉱のことが取り上げられるようになり、日韓・韓日議員連盟が「両国の国会が積極的に関与すべき」との声明を発表し、今年1月に行なわれた日韓首脳会談では、DNA鑑定を日韓共同で進めることが合意されました。着実に前進している実感がありました。
収容できたご遺骨の返還は時間の問題と皆が信じていましたし、坑道のどの位置に残りの遺骨があるかもわかっていましたから、さらに遺骨を収容することで、今年の追悼式は多くのご遺族の方々にご遺骨を引き逢わせることができそうだと思って、追悼式もこれまで以上の規模で執り行なおうと計画を進めてきました。
追悼式当日にダイバーが事故死
――追悼式は全国から多くのボランティアも集まり、盛大に行なわれましたが、その当日、潜水調査をしていたダイバーが事故死するという事態となりました。
井上 潜水調査の国際チームを、伊左治さんに編成してもらっていて、今年2月に入るとすぐに外国人ダイバーが来日しました。国際的に知られているダイバーたちです。中には2018年にタイの洞窟に閉じ込められた野球少年たちを救出したミッコ・パーシーさんも含まれていました。そういった人たちが、宇部に来てくれたわけです。
ダイバーたちは、2チームに分かれ、数日間にわけて潜る予定になっていましたが、初日の潜水でご遺骨を持ち帰ってきてくれました。そうして迎えた2日目の潜水調査、それが追悼式のまさに当日です。式典と同じ時間に、ピーヤ〔海上に突き出た巨大な排気坑〕から潜水調査に入っていた台湾人ダイバーのヴィクター・ウェイ・スーさんが亡くなってしまいました。







