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ブラー。1992年3月1日、溜池にあった東芝EMIのロビーで撮影した。左から順に、ギターのグレアム・コクソン(Graham Coxon)、ボーカル、ギター、キーボードのデーモン・アルバーン(Damon Albarn)、ベースのアレックス・ジェイムス(Alex James)、ドラムのデイヴ・ロウントゥリー(Dave Rowntree)。初来日のときで、このときはまだ、アルバムは方向性が曖昧だった『Leisure』(1991年)しか出ていなかった。
ブラーはこの後、グランジ/オルタナティヴというアメリカのロックが席巻する当時のシーンに抗うように、英国ロックの伝統を踏まえた『Modern Life Is Rubbish』(1993年)、『Parklife』(94年)という、ブリットポップを確立した傑作を出してフロントラインに躍り出た。前者のジャケットは、英国が1938年に製造した流線型の蒸気機関車、マラード号を描いたイラストで、代表曲〈Girls & Boys〉を含む後者のジャケットは、ドッグレース(グレイハウンド・レーシング)の写真を使っている。いずれも大英帝国らしい価値観に基づく文化を前面に出したもので、特にドッグレースに関してはジャマイカ人から旧宗主国である英国の白人が好むものだと聞かされたことがあったので危ういなと思ったが、聴いたらブラーらしいシニカルな表現で見事だった。
しかしブリットポップというムーヴメントは1997年にパタリと終了した。同年の総選挙で労働党が勝利。発足したトニー・ブレア政権が「クール・ブリタニア」を国家のイメージ戦略として活用した。ブリットポップのもうひとつの雄だったバンド、オアシスがそれに共鳴。トニー・ブレアとグラスを持ったノエル・ギャラガーが笑顔で握手している写真が大きく報じられた。それは反体制的であるべきロックが体制に取り込まれたと見える構図である。そしてブラーは、同年に出した『Blur』で音楽性をアメリカンのインディーロック寄りに大きく転換した。
ブリットポップを卒業してから、ブラーは大きく変貌した。『Think Tank』(2003年5月)の収録曲〈Out of Time〉は、モロッコのマラケシュで現地のミュージシャンによるウード(中東や北アフリカの伝統的な弦楽器)なども参加して録音され、エキゾチックな演奏にのせてデーモン・アルバーンがリリカルな歌を歌っていく。優しく内省的な歌詞だが、イラク戦争開戦(2003年3月20日)の脅威が高まっていたなかで制作され、反戦の意思を強く滲ませた曲である。この曲のMVは、BBCが2002年に放映したドキュメンタリー『Warship』に記録されていた米空母エイブラハム・リンカーンと、そこで働いている女性の航空機整備士など兵士の孤独な現実を淡々と追った映像を構成したものだった。『Think Tank』のジャケットは、バンクシーが担当した。深い海底ダイビング用の古風なヘルメットを被ったカップルが抱き合い、キスしようとしてもできない姿をステンシル技法で描いている。このヴィジュアルは、批評性とユーモアを兼ね備えている。バンクシーが商業的な仕事をすることはまずないが、このアルバムには共感できたのだ。
デーモン・アルバーンの祖父(Edward Albarn)は、第二次世界大戦中に良心的兵役拒否者(Conscientious objector)だったことで非難され、建築士の資格を剝奪されるなど大きな代償を払った。父(Keith Albarn)も徴兵拒否(英国は1960年まで徴兵制があった)の経験があり、家族全体が平和運動に関わってきた。この家族史が受け継がれている。
2003年1月21日、デーモン・アルバーンは「NO WAR ON IRAQ」と書いてあるスウェットを着て、StWC(Stop the War Coalition)が主催した議員ロビー活動と、それに続くパーラメント・スクエアでの集会に出た。同年2月15日の100万人が集まったロンドンでの大規模反戦デモのとき、デーモン・アルバーンはハイド・パークでスピーチする予定だったけれど、亡くなった祖父のことを思い出して涙ぐんでしまい言葉が出なくなったというエピソードが残されている。
ブラーは『The Ballad of Darren』(2023年)まで9枚、オリジナル・アルバムを出していて、三枚めの『Parklife』から7枚連続で全英1位を獲得している。
デーモン・アルバーンは、ポール・シムノン(ザ・クラッシュのベース)、サイモン・トン(ザ・ヴァーヴのギター)、トニー・アレン(アフロビートのドラム)と、ザ・グッド,ザ・バッド・アンド・ザ・クイーンを結成して『The Good, The Bad And The Queen』(2007年)を出したり、ソロ作として『Everyday Robots』(14年)なども出している。
一方、2000年代からのデーモン・アルバーンは、ロックの枠を大きく踏み越えた活動を次々と行なってきた。
覆面バンド、ゴリラズを率いて『Gorillaz』(2001年)を出して以来、『The Mountain』(26年)まで、ゴリラズ名義で9枚のアルバムを出している。
2000年にオックスファム(Oxfam International 貧困と不正を根絶するための持続的な支援を世界各地で展開している英オックスフォードを拠点とする団体)の招きでデーモン・アルバーンはマリを訪れ、現地のミュージシャンと出会い、『Mali Music』(02年)というアルバムを制作した。トゥマニ・ジャバテ(Toumani Diabaté)のコラ(伝統的な弦楽器)がフィーチャーされている〈Sunset Coming On〉は、デーモン・アルバーンらしい歌とメロディが非西欧圏の音楽と結びついて新しい境地が開けた曲だった。
2005年7月2日に「LIVE 8」が開催された。G8首脳会議に向けて、アフリカ支援を訴え、貧困にあえぐ人々に対する債務の帳消、公正な貿易ルールの実現を求めたチャリティー・コンサートである。そんな趣旨のコンサートなのに、アフリカのミュージシャンをほとんど呼んでいなかった。デーモン・アルバーンはそのアングロ・サクソンを中心とした姿勢に強く反発して、06年に、アフリカ・エクスプレス(Africa Express)という非営利の音楽プロジェクト/コレクティブを共同設立した。
アフリカ・エクスプレスとしての活動は多岐にわたっているが、特に印象深いのは『Africa Express Presents… The Orchestra Of Syrian Musicians & Guests』(2016年)である。ゴリラズの『Plastic Beach』(2010年)の収録曲〈White Flag〉でシリアのオーケストラと録音していたが、2011年に始まったシリア内戦で彼らの大半は難民になって国外に出たことを知ったデーモン・アルバーンは、彼らを集めて演奏してもらい、そこに、ポール・ウェラー、バセク・クヤーテ(Bassekou Kouyaté マリ)、ラシッド・タハ(Rachid Taha アルジェリア系フランス人)、エスラム・ジャワード(Eslam Jawaad レバノン出身でイギリス在住)、ヌーラ・ミント・セイマリ(Noura Mint Seymali モーリタニア)らを呼んで、一緒にライヴを行なった。そのときのライヴ音源で構成されている。2016年6月25日にロンドン、ロイヤル・フェスティバル・ホールで開催された2時間を超えるライヴ映像がユーチューブで公開されている。素晴らしい。
このようなデーモン・アルバーンの行動に対して、少数ではあるが、植民地主義的という批判もある。それに対して、デーモン・アルバーンは一貫して文化コロニアリズム(cultural colonialism)を強く嫌い、それを避けるためにアフリカ・エクスプレスを続けていると公言している。『Africa Express Presents Maison Des Jeunes』(2014年)に〈Soubour〉が収録されたソンゴイ・ブルース(Songhoy Blues マリ)のヴォーカル、アリユ・トゥーレ(Aliou Toure)は「予算をたくさん使い、プロデューサー、アレンジャー、サウンド・エンジニアなどをマリまで連れてきて、ロンドンとバマコを結びつけた。とても感謝している」と言っていた。
〔編集部より〕創刊から2年間、巻頭グラビアと巻末エッセイで本誌を飾ってくださいました本連載は、今回で終了となります。長期のご愛読をありがとうございました。








