「アメリカはなぜ過ちを繰り返すのですか」
「アメリカはなぜ戦争ばかりするんでしょう」
「アメリカはなんであんなヒトを大統領に選ぶんですか」
――いずれも一般の方を対象にした講演会とかセミナーなどで、実際にわたしが受けたことのある巷の声です。いわゆる素朴すぎる質問というやつで、一言ではとうてい答えようのないものばかりですが、でも、どれも本質を衝いていますよね。
というのもこれらはアメリカ人でも抱く疑問であるからです。つまり普遍的で本質的。
当然アメリカにも、戦争なんてこりごりだ、ヴェトナムもイラクも今回のイランも無用な戦争だ、と考えている人たちは少なくない。むしろそういう人たち――の一部だとしても――が「アメリカ・ファースト」の掛け声に乗っかってトランプに投票したと言えなくもないでしょう。
それはべつにトランプ支持者に限った話ではありません。たとえば軍人です。
現代の日本社会は軍隊という社会集団になじみをなくしていますから、軍人は戦争することしか頭にないと思っている人たちが結構いますが、現代のアメリカ連邦軍の軍人たちには、戦争は極力避けるべき行為と考えている人が少なからずいます。
彼らの間ではむしろ、自分たちの責務は戦争を止めること、無益な戦争や誤ったいくさを国にさせない、それが職業軍人たる者の務めだということが強く意識されています。
もちろんそれとは正反対のタイプもいますよ。それが軍隊というものですから。しかし軍人の大勢がいわゆるwar monger(戦争屋)かといえばそんなことはない。ただし軍人の立場では、アメリカ全軍の最高司令官としての大統領からの命令を拒むことはできない、これも確かです。そして、だからこそ現大統領が軍に命令を下すだけの適性を持っているのかと疑う軍人はけっして少なくはない、いやそれどころか……という状態であるわけです。
「最高司令官として仰げない」
そういえば2024年秋の大統領選の前後に2週間ほどアメリカの中西部を訪ねて、昔なじみの軍人たちに会ってきました。1980年代にヴェトナム戦争についてのフィールドリサーチをやったときに知り合った人たちで、当時は若手将校だった面々ですが、ひとりはいまや退役海軍提督、ひとりは同じく退役空軍大佐。もうひとりは海軍士官学校を出て海兵隊に入ったものの、ヴェトナムで無二の戦友を亡くして自身は中尉で除隊。その後は大学院で国際関係と地域研究の博士号を取得して、政府機関に定年まで勤めたという方です。
そういう3人が、「ドナルド・トランプをわれわれの最高司令官として仰ぐことはできない」と、きっぱり口をそろえました。
それがちょうど投票日の直前のことでしたから、彼らは1期目のトランプ政権を念頭に置いていたわけです。そして軍のOBの立場で大統領再選を阻もうとしていた。でも実際にはトランプが勝利し――というよりカマラ・ハリスが敗れて――、2期目を迎えてからのトランプ政権の軍に対する姿勢は、1期目以上にひどい悪影響と打撃を軍部に加えることになりました。
トランプと将軍たちとの軋轢
このあたり、少しくわしく振り返っておきましょうか。
トランプは稀代の見栄っぱりなのと軍に対する通俗的な憧れみたいなものがありますから、1期目のときは華麗な軍歴の軍人たちを周囲にずらりと侍らせようとした。その結果、国家安全保障問題担当補佐官とか国防長官とかに四つ星や三つ星の将軍が並ぶわけです。
特に国防長官に指名された退役海兵隊大将のジェイムズ・マティスなどは名にしおう猛者で、まるで修道僧のように軍務のことしか頭にないと言われた御仁でした。そういう人物にしてみるとトランプという人物は軍のことをまるでわかってないだけでなく、発言は軽率ですぐツイッターに手を伸ばすといった具合で機密の意味すらわきまえてない。そこで彼の役割はともかく大統領の乱雑なふるまいを何とか制止し、忠告し、必要なら諫めるということになりました。
一方、トランプにしてみると、せっかく取り立ててやった連中に後ろから羽交い締めにされた、という感じだったんでしょうね。
アメリカには文民統制の原則に基づいて、軍部の関係者が国防長官になるには退役後7年以上経過しないといけない、という決まりがあります(かつては10年以上)。これを曲げた先例は第二次世界大戦時の陸軍参謀長ジョージ・マーシャル大将をトルーマン政権が国務長官に指名したときです。だいぶ古い話で、いまとは軍事についての一般の認識も大きく違う時代のことですね。
しかし現在の共和党多数派の議会はトランプに気を遣ってこの原則を再び曲げて、マティスの就任を認めたわけです。そんなわけですからトランプとしてみれば「俺がロートルの軍人を大臣に取り立ててやったんだ」ぐらいの認識だったのでしょう。
ところが始まってみると何かにつけて苦言を呈するマティスをしだいにけむったがり始めて、軍の方針や行動について断りもなしにツイッターで勝手なことを流す。これが特に中東からの米軍撤退について同盟国との関係に細心の注意を払っていたマティスには堪えがたい横暴となって、ついに政権発足から2年で辞任しました。よく2年も我慢したという感じだったと思います。
ちなみにその半年ちょっと前には、ホワイトハウスで国家安全保障問題担当補佐官だった陸軍中将のH・R・マクマスターが同じような問題で辞任しています。彼は悪評さくさくだった最初の補佐官のスティーヴン・バノンと怒鳴り合いの絶えなかった間柄でしたが、辞任の少し前にマスコミのインタビューでトランプのことを「集中できる間隔が短く、注意が散漫になりやすい」とこぼしていました。批判とか悪口というより、まるで手に負えない駄々っ子を押しつけられたお雇い教師みたいなぼやきだったのが印象的でしたね。
「トランプ2.0」と軍の変質
というわけで、星付きの将軍たちは頭が高いばかりで俺の言うことも聞かないと思った2期目のトランプは、軍歴よりも自分に忠実に尻尾を振ってくるかどうかで2期目の人事を決めることにします。その結果、ピート・ヘグゼスのようないわくつきの男が国防長官の椅子に座って、トランプの名代として軍内部の人事を引っ搔き回すことになったわけです。
軍というのは武力を専権事項とする官庁なので、人事はきわめて重要な意味を持ちます。また軍も人間の集団である以上、上司におべっかを使うタイプの人間は必ずいます。現に2期目になってからは統合参謀本部議長をはじめとする高官が次々にトランプとヘグゼスの顔色をうかがうイエスマンに首をすげ替えられました。そうした動きは最上層部だけには限りませんから、今後その悪影響がどんなふうに出てくるか……。
生態系としての軍部も、当然、悪しきは悪しきなりに環境に適応しようとしますから、その影響を本気で心配している退役将官たちはさぞ多いことでしょう。事実、この前(202六年4月)の陸軍参謀総長の更迭は、黒人と女性の幹部の将官昇任をめぐって国防長官と参謀総長が対立し、後者が退かなかったことが原因でしたしね。
今後しばらくは、米軍の優秀な幹部たちが軍に見切りをつけて早期に退役する例が増えると予想されます。その結果、本来なら中間管理職どまりだったような人材が最高幹部に昇任して大統領に尻尾を振る懸念もおおいにある。こういうやり方が通称「トランプ2・0」の流儀ですから、まさにこの問題の悪影響は、トランプが大統領でいる間だけの話ではないわけですね。
アメリカの二つの過ち
ところで今回の主題は「アメリカはなぜ過ちを繰り返すのか」でした。話を最初に戻しましょう。戦争にからめていうと、この「過ち」には2種類があります。ひとつは軍事的な過ち、もうひとつが政治的な過ち。
前者についてはなんといってもヴェトナム戦争の失敗に触れないわけにはいきません。あれは本来「戦争」と呼ばれるはずのない限定的な軍事支援で、ケネディ政権の肝煎りで始めた「特殊戦争戦略」のモデルケースでした。この戦略は第二次大戦後のアメリカの世界戦略そのものの変更に関わる重要な軍事改革でしたが、ケネディ暗殺という不測の事態でもくろみが狂ってしまう。
副大統領から昇格したリンドン・ジョンソン大統領はケネディ的な戦略観とは無縁の人物で、議員歴が長いので議会に対する存在感はケネディ以上に圧倒的でしたが、内政面での苦境から来る不評を軍事面で糊塗しようとして軍部に引きずられてしまい、限定戦争どころか正規地上軍の派兵という本格的な軍事介入になってしまった。それも戦力の逐次投入という最悪のかたちで増強を重ねたあげく、あの小さな南ヴェトナムに一時は50万人規模の正規軍を投入してしまうわけです。
このとき、ジョンソンの鼻面を引きまわした現地司令官ウィリアム・ウェストモーランドの下で苦労を重ねた軍の中堅世代、いわば中間管理職に当たる世代のひとりが、のちに知られることになるコリン・パウエルです。
彼はニューヨーク市立大学のROTC(予備役将校訓練課程)出身で、昔の軍部では傍流になりますが、優秀な軍人官僚の素質もあってニクソンやレーガンの共和党政権でホワイトハウス詰めを経験します。で、レーガン政権期にキャスパー・ワインバーガー国防長官の補佐官になったときに策定したのが有名な「ワインバーガー・ドクトリン」でした。
これは、軍事介入は最後の手段であり、目的と手段を明確にした上で国民と議会の支持は不可欠、かつアメリカと同盟国の死活的な利益に関わる場合にのみ正規軍を投入できる、という考え方です。まさにヴェトナム戦争という負けいくさの教訓を活かした原則で、のちに1991年の湾岸戦争で一躍有名になって「パウエル・ドクトリン」とも呼ばれたことはご存じでしょう。これこそ、ヴェトナムの前線で上役の無茶振りに悩まされた中堅将校の苦労の結晶という感じがしますよね。
ヴェトナム戦争の教訓
では、その貴重な教訓に基づく原則がいつのまに崩れてしまったのか。このあたりは昨年出版した拙著(『アメリカのいちばん長い戦争』集英社新書)で詳述しましたが、一言でいうと政治の側がこの原則を切り崩したということになります。
ワインバーガー/パウエル・ドクトリンは、せんじつめれば「勝てる戦争しかやらない」という考え方です。いくさをするのなら、軍事的にはもちろん政治的な条件も整えなければ失敗する、と。
この考え方に正面から嚙みついたのがレーガン政権二期目の国務長官ジョージ・シュルツでした。ワインバーガーとは政権内の同僚ということになりますが、ふたりはそりが合わず、考え方も真っ向から対立した。というのもシュルツにいわせると「勝てるいくさしかやらないなどとは僭越もはなはだしい」からです。
アメリカ全軍の最高司令官は合衆国大統領です。これは建国以来の伝統であり、文民統制の原則もここに関わっていますが、裏返していうと軍は大統領の命令に逆らってはならない、ということでもあります。ということは、仮に大統領が軍事介入するかどうかで迷っている際に、軍が「勝てるだけの条件を整えてください」などと注文をつけるのは、おこがましいにもほどがあるということになるわけですね。
かつてクラウゼヴィッツが言ったように「戦争は武力を以てする政治の一形態」です。つまり戦争するか否か、その目的はなにか、いつ始めてどこで終わるか、それらはすべて政治的判断に基づくべきであり、これを決めるのは軍人ではなく大統領である。とするなら軍は「大統領から軍事的な選択肢を奪ってはならない」――シュルツの考え方をまとめるならこういうことになるでしょう。
崩されていったパウエル・ドクトリン
シュルツは冷戦の最末期にソ連との対話を重視して冷戦体制終結に導いた立役者でしたからその発言には重みがありましたが、この考え方はレーガンとブッシュ(父)の共和党政権だけには限りませんでした。それが次の大統領、すなわちビル・クリントンの政権です。
ご存じのようにクリントンは第二次世界大戦後に生まれた世代で初めての大統領で、もちろん第二次大戦には無縁の上に、ヴェトナム戦争を迷惑がった反戦大学生たちの一員でもありました。しかしその政権のなかに強硬な反パウエル・ドクトリン論者がいた。クリントン政権1期目で国連大使、2期目に国務長官になったマデリーン・オルブライトです。
彼女は女性として初めてアメリカの国務長官に就任した国際政治学者ですが、もとはチェコの外交官の娘で、ヒトラーのナチス・ドイツがチェコを併合したときに一家でイギリスに亡命。長じてアメリカに留学して学者として頭角を現しました。
こうした経歴の彼女にとっては、ヒトラーに対して弱腰の懐柔策に出た英チェンバレン政権のあり方などは下策そのものでしかない。いわゆる「ミュンヘンの教訓」ですね。したがって彼女にしてみれば、戦争という選択肢に条件をつけるようなパウエル・ドクトリンは軍人のエゴにしか見えない。パウエルはクリントン政権のときも統合参謀本部議長でしたから、閣議のときにオルブライトに「あなたの大事な兵隊さんはいつ使えるの」と嫌味を言われた、とのちに回想しています。
もちろんクリントン政権もヴェトナム戦争が失敗だったことはわかっているし、戦争が国民に不評なのもわきまえているので正規地上軍を派兵するような轍は踏みたくない。かといってアメリカの覇権が世界最強の軍事力あってのものだということも明らかですから、冷戦体制終結後に世界中で頻発し始めた地域紛争を放置するわけにもいかない。そこでオルブライトを中心にリチャード・ホルブルックら民主党政権の外交筋で生まれたのが「人道的介入」という考え方でした。
これをもとに1990年代の民主党政権は、ボスニアやコソヴォでもっぱら空爆を展開することになり、「リベラル・ホーク」つまり積極的に軍事力を行使するリベラル派という通称が生まれたわけです。
軍事介入の論理をどう批判するか
リベラル・ホークは軍には不評です。特に空軍は、陸軍力との連携もないまま大規模で危険な空爆作戦ばかりを命じられ、しかも直前になって一時停止とか中断などといわれる。米軍のような大兵力の軍隊は小回りは利かないので、朝令暮改のような政治は迷惑でしかない。
しかし国際政治の側から見ると、独裁政権の横暴といった事態を国際社会が放置できないとなれば軍事力の行使も有効な選択肢に見えてくる。1994年、クリントン政権がハイチの抑圧的な軍事政権を排除しようとして動いた時期にわたしはアメリカの大学にいましたけど、あのときは本当に、周囲のリベラルな大学人たちがこぞって軍事介入を支持しましたからね。
わたし自身は介入には強い抵抗感を持ちましたが、大国が目の前の紛争に関心を払わないでいると現地の民衆が苦しむだけじゃないか――という国際政治の議論を前に、果たしてどうやったら有効な反論ができるのか。これはいまでも大きな課題のひとつです。
「最強の軍事力」という誘惑
アメリカの戦争というと、現在では同時多発テロ後の対テロ戦争とトランプの戦争ばかりが連想されますが、こうしてみると、「ヴェトナムの教訓」とポスト・ヴェトナム時代の20世紀の戦争と政治は、いまでも大きな教訓を含んでいるのではないでしょうか。いやむしろ、いまこそ、というべきかもしれません。
特に現在の日本は「東アジア有事」と称される情勢のもとで岐路に立たされていると言われつづけています。「日米同盟」なるものもいつのまにか自明視されていて、それがゆえにトランプ政治に対してもほとんど判断停止のまま、ともかくご機嫌をうまくとったら外交の勝利だと自画自賛しているのが現状です。
しかし、そのなかで「対米自立」であれ「同盟堅持」であれ、日本国がいつのまにかなし崩しに軍事化を進めてしまうことの危険性は、いったいどこまで意識されているでしょう。
軍事力は政治にとってきわめて誘惑性の高い力であり、その使い方は非常に難しい。そしてアメリカの歴代政権は、ヴェトナム戦争というあからさまな失敗の先例があるにもかかわらず、その教訓を活かさない――というか、あらゆる理屈をひねり出して教訓をもみ消してしまった。それもこれも、けっきょくは世界最強の軍事力という誘惑に勝てなかったからだと、わたしはそう思います。その成れの果てが、今日のトランプ政権の惨憺たるふるまいに行き着いたんですよ。
「以て他山の石となす」
アメリカの最も忠良なる同盟国ニッポンにとって、果たしてこれ以上の金言はあるでしょうか。






