【連載】Sounds of the World(第19回)アフガニスタンのヘラートで民俗楽器ルバーブを演奏する男性

石田昌隆(フォトグラファー)
2025/12/05
アフガニスタンのヘラートで民俗楽器ルバーブを演奏する男性(2001年12月29日)©️石田昌隆

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 2001年12月27日の早朝にイラン東部の街マシュハドを出て、国境の村、タイバード(Taybad)までバスで移動。200キロの距離を4時間ほどかけて走る。そこから国境のドウクァラン(Dowqarun)までは10キロ、タクシーで460円ほどだった。そしてイランの出国、アフガニスタンの入国と手続きはスムーズに進み、あっけないほど簡単にアフガニスタンに入ることができた。

 国境を越えると、アフガニスタン西部の街ヘラートまでは120キロ。タクシーがいて、50USドルでヘラートまで行くというので乗ることにした。車種は15年落ちぐらいのカローラのバン。アフガニスタンに入ると極度のデコボコ道になった。対向車が跳ね上げた小石が当たったのか、フロントガラスにヒビが入っていた。運転手はサリーフと名乗った。英語はほとんどできないようで会話らしい会話はなかったが誠実そうな人に見えた。

 小さな村をいくつか通り過ぎ、タクシーが走り始めて3時間あまり経ったところで、マスラック国内避難民キャンプ(Maslakh internally displaced persons camp)の脇を通った。

 そこは信じられないほど巨大な国内避難民キャンプだった。幅2キロ、長さ4キロの見渡すかぎりの場所に、日干し煉瓦を積んだ仮設の家が建ち並び、周辺部には、ここに辿り着いて間もない避難民が収容されていると思われる、UNICEF(国連児童基金)とかUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と書いてあるテントがたくさん建てられていて、食料の配給を待つ避難民の行列が見えた。

石田昌隆

1958年生まれ。フォトグラファー。新刊『ストラグル Reggae meets Punk in the UK』が出ました。1982年にニューヨークでザ・クラッシュを撮影した写真に始まり、2023年にひとりでカメラ機材やテントや寝袋を持って飛行機に乗り、ロンドンと音楽フェスが行なわれたイースト・サセックス州を訪ねたときまで41年間の記録です。

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