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成田からアエロフロート機に乗り、モスクワを経由して2001年12月23日の未明3時過ぎに、イランのテヘランに到着した。そんな時間なのに、われわれ(私と妻)以外の乗客は、誰かが迎えに来たり、タクシーに乗ったりして、みんなどこかへ行ってしまった。朝になるまで空港のベンチに座って待ち、とりあえず200USドルをイラン・リアルに両替してテヘランの街に向かった。イマーム・ホメイニー広場の近くで1泊1800円ほどの安ホテルを見つけて泊まることにした。ランチはテヘラン駅のなかのレストランで食べた。ジュース、ケバブ、スープ、チキンライス、チャイ。ふたり分で400円弱だった。
1979年1月、イランを統治していた皇帝、モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー(日本では「パーレビ国王」と呼ばれていた)が、皇帝専用のボーイング727を自ら操縦してイランを脱出。同年2月、ルーホッラー・ホメイニーが亡命先のフランスから帰国して、同年4月1日にイラン・イスラム共和国の樹立を宣言。最高指導者の職に就き、イラン革命(イスラム革命)が成就した。
ホメイニーは1989年に死去し、イラン最高指導者の職はアリー・ハーメネイーが継承した。われわれがイランに行った2001年12月は、最高指導者が現在もなおその地位にいるハーメネイー、大統領は改革派と言われていたモハンマド・ハータミーという時代だった。
街を歩いている女性は、ほとんど黒いチャードルを纏っていた。それはイラン革命以前とはがらりと変わった風景だ。強硬派だった大統領、マフムード・アフマディーネジャードの時代(2005年から13年)、ヒジャブの着け方を理由に道徳警察に拘束された3日後に死亡した女性、マフサ・アミニの事件(22年)が起こったりと、締めつけは厳しくなってきたが、実際には黒いチャードルを纏っている女性は減りつつあるので現在とも違う風景だ。












