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1998年1月3日、レバノンのベイルート、ダウンタウンにあるシャルル・ヘロウ・バス・ステーションでタクシーに乗り、シリアのダマスカスへと向かった。距離は110キロ。所要時間は3時間、料金は50USドル。シリアナンバーの車で運転手はシリア人だった。
ベイルートを出発すると雪山が見えてきた。レバノンの中央部を背骨のように貫いているレバノン山脈だ。これを越えるとベカー高原になる。それからレバノンとシリアの国境となっているアンチレバノン山脈を越えるとダマスカスまでは緩やかに下っていく。
ダマスカスに着き、ホテルを見つけてひと休みしてから街の食堂に入った。オムレツ、ホモス、ヨーグルトを注文したのは16時30分ごろ。他にはぜんぜん客がいない。少し経ってアザーンが始まったら、どかどか客が入ってきて瞬く間に満席になった。先に来ていた私たちの分がまず配膳され食べ始めた。ところが、他の客の食べ物も次々と運ばれてきたが誰も食べようとしない。すると16時50分ごろ、街じゅうに響くような空砲の音がドッカ~ンと聞こえて、みな一斉に食べ始めたのだ。レバノンにいたときは気づいていなかったが、12月29日からラマダンが始まっていて、ドッカ~ンは、外はまだ明るかったけど、日没後に初めて摂る食事、イフタールを食べ始める時刻を告げる合図だったのだ。
南欧のようなお洒落な雰囲気があるベイルートからダマスカスにやってくると、突然、濃厚なアラブの国に来た感じだ。旧市街のアル・ハミディア・スークやウマイヤ・モスクのあたりを歩いているとアラビアンナイトの世界に紛れ込んだような気分になる。
旧市街のレストランで、ウード、カヌーン、ヴァイオリン、レク(アラブのタンバリン)、キーボードという編成のバンドによるオリエンタル音楽の生演奏を聴き、イスラム神秘主義、スーフィーの旋回舞踏(Sufi whirling)を見ながらご飯を食べた。フェズ(トルコ帽)をかぶり、ズボンの上にフレアの白いロング・スカートみたいな羊毛の衣装を纏った男のダンサーが3人登場してきて、左回りにひたすらクルクル回り始めると、衣装は見事に傘のように広がった。ダンサーの表情はしだいに恍惚感を帯びてくる。ダンサーはひたすら回りつづけることによって頭の中が真っ白になっていくらしい。ラマダンの最中は特に崇高な気持ちになるという。
しかし、街のあちこちにハーフィズ・アル=アサドの肖像が掲げられていた。言うまでもなく、国家元首の肖像があちこちにある国はろくな国ではない。ハーフィズは、1982年2月、シリア西部の街、ハマーで少なくとも1万人の自国民を虐殺した独裁者なのだ。旅行者の目には平穏に見えるけれど、人々は秘密警察、ムハーバラートに睨まれないよう注意深く生活していたはずなのだ。
カセット屋に入ると、エジプト、レバノン、シリア、イラク、サウジアラビア、クウェート、カタール、スーダン、トルコ、クルドの音楽を売っていた。それらのカセット、店主のおじさん、後ろの壁に掲げられていたハーフィズの肖像写真を入れた写真を撮らせてもらった。その写真に、売られていたオマール・スレイマンのカセットもしっかり写っていたことに後年になって気がついた。
オマール・スレイマンは、シリア北部の街、ハサカ県のラース・アル=アイン(Ras al-Ayn)を拠点に1994年からダブケ(Dabke)というダンス・ミュージックの歌手として活動していた。ガラビアという民族衣装を着て、頭にはクーフィーヤという布を巻き、サングラスをしている姿がトレードマーク。ラース・アル=アインはクルド人も多い街だが、スンニ派のアラブ人だ。2007年にユーチューブにアップロードされた〈Leh Jani〉のMVが話題になり世界で注目されるようになった。オマール・スレイマンはお札がひらひら舞うなかで歌い、結婚式に集まった人たちが肩をくっつけて輪になって踊る。モロッコのジャジューカにも通じるトランシーな音楽で素晴らしい。
オマール・スレイマンが初めて西欧でライヴを行なったのは2009年5月のロンドン公演。その翌月、NPR Musicのサイトで、ビョークが「オマール・スレイマンはシリアのテクノと言われています。リフレッシュできるパーティ音楽です。とても楽しい」と絶賛した。2010年にはアメリカ公演も行なわれ、デーモン・アルバーン、トム・ヨーク、石野卓球などもファンであることを公言した。
そんなおり、2000年に世襲で権力を受け継いだバッシャール・アル=アサドは、2011年に市民の虐殺を始めてシリアは内戦状態になった。オマール・スレイマンは早々に家族でトルコ南部のシャンルウルファ(Urfa)に逃れて難民として生活しながら活動を続けた。
オマール・スレイマンが手がけたビョークのリミックス〈The Crystalline Series(Omar Souleyman Versions)〉(2011年7月)で度肝を抜かれ、キーボード奏者、リザン・サイード(Rizan Said)と制作した代表作『Wenu Wenu』(2013年)を引っさげて来日公演を行なった。写真はそのとき撮影したもので、話を聞くこともできたのだが、マネジャーから政治的なことは聞かないようにと釘をさされた。家族や親戚に迷惑がかかる事態になったら大変だということなのだろうと思った。
オマール・スレイマンは政治的発言を控えていたが、アサド政権支持を疑われたり、逆に反体制派との関連を問われるなどということもあった。そして2021年、トルコがテロ組織と認定しているPKK/YPGのメンバーだと疑って拘束した。ほどなく釈放されたが、その後イラク北部、クルド人自治区の首都、アルビルに拠点を移した。
2024年12月8日、ダマスカスが反体制派のアフマド・フサイン・アッ=シャラアらによって電撃的に解放され、バッシャール・アル=アサドはモスクワに逃亡した。『ニューヨーク・タイムズ』は同年12月11日、13年におよんだ内戦で殺されたのは62万人と報じた。その多くがアサド政権による殺戮で、そこにイランの革命防衛隊、コッズ部隊、イランの援助を受けていたヒズボラ、2015年から介入したロシア軍が荷担した。
2026年2月28日に、イスラエルがアリ・ハメネイ師を殺害し、アメリカがトマホーク巡航ミサイルでイランの小学校を誤爆して多くの子どもを殺戮した。その後も攻撃が続き、3月12日現在、殺されたイラン人は1200人を超えている。それは強く批判すべきだ。と同時に、1979年のイラン革命以後の体制が、88年の政治犯大量処刑、2025年末から26年初頭のデモ鎮圧などを含めて延べ数万人の虐殺を行なってきたこと、さらにもっと多くのシリア人の虐殺に荷担したことを強く批判すべきだ。
今年2月、そんなタイミングでデーモン・アルバーンが率いる覆面プロジェクト、ゴリラズが新作『The Mountain』を出した。アラビア語、英語、ヒンディー語、スペイン語、ヨルバ語というさまざまな言語で歌う歌手がフィーチャーされていて世界の多様性を表現している。
ここに〈Damascus(feat. Omar Souleyman and Yasiin Bey)〉という曲が収録されている。デーモン・アルバーン、シリアを代表するダブケの歌手オマール・スレイマン、ラッパー/シンガーのヤシーン・ベイ(旧名モス・デフ)によって作曲され、ダマスカス、ロンドン、イングランド南西部のデヴォン、インドのムンバイ、ニューヨークでレコーディングされたこの曲のヴィジュアルには、シリア内戦で旧反体制派が使用していた「革命旗」のデザインを踏襲した現在のシリア国旗を使ったり、アルバムの発売に先行して公開されたMVでは、スーフィーの旋回舞踏の動画が使われたりしていた。
この曲は、ブライアン・イーノらが主催して、2025年9月17日にロンドン、ウェンブリー・アリーナで開催されたパレスチナ支援のためのコンサート「Together For Palestine」でも、オマール・スレイマンとヤシーン・ベイが登場して歌っていた。










