〈国際法の死〉のむこうに——潜在的法規範を思索する

最上敏樹(バーゼル大学(ヨーロッパ国際問題研究所)客員教授。国際基督教大学名誉教授、早稲田大学名誉教授)
2026/05/07
Soldiers in full combat gear ascend a muddy mound as a huge smoke plume rises behind them.
ガザ北部で軍事作戦を実行するイスラエル兵(IDF)

混乱する事態、混乱する認識

 あれは国際法違反であるとか、国際法や国連が機能を果たしていないとかいった表現が、ひんぱんに新聞等の紙面をにぎわす。「ある行為が国際法に違反している」ということと、「国際法が機能していない」ということは必ずしも同じではないし、ましてや「国際法秩序が壊されてしまった」と言えるかどうかも別のことなのだが、ともかく世界には失望と怒りが満ちている。特にこの4年、ロシアのウクライナ侵略開始、イスラエルのパレスチナ占領地区におけるジェノサイド、アメリカによるベネズエラ攻撃、アメリカとイスラエルによるイラン攻撃、それへのイランの反撃などが続いてから、事態への非難はひときわ高くなった。

 どの事態もあまりに暴力的で、法の支配の感覚とは相容れないものだから、それらが無法状態だと憤るのも自然ではある。だがその憤りに向き合う前に、この常軌を逸した混乱が、世界を見るわれわれの目をも混乱させていることを整理し確認しておこう。それなしに事態打開の展望も開きえないからである。

 第一に、ある事態において「国際法に違反している」のは、特定の国家である。例えばウクライナ侵略におけるロシアである。第二に、それは「国際法が機能していない」事態なのではなく、ロシアが(侵略を禁止する)国際法を順守すれば済むことなのだが、にもかかわらず国際法全般が機能していないかのように語られるのは、度を越した違法行為が次々と重なって起きたからである。

 他方で同時に、「そうして破られている国際法は武力行使やジェノサイドを禁止する規範や国際人道法だけであって、他には順守されている国際法もある」といった弁証をつけ加えるのはやめておこう。いま私たちが直面することを迫られている現実は、そのような一見論理的らしく聞こえる言い訳ではなく、例えばガザにおけるジェノサイドのように、理屈をこね回せば法的正当化を口にできるとしても、良心と倫理に照らせばとても正視できない事態をどう食い止めるかなのだ。それを止める力が国際法という手段にないのだとすれば、それ以外の手段を模索するか、あるいは現存国際法とは異なる国際法を構想するしかないだろう。そしてそういう事態において考え直すべきは、国際法規範の機能不全ではなく国際法学の機能不全である。

 国際法秩序が壊されてしまった、という言い方も現状認識として正しくない。その言い方が含意するのは、例えば2022年2月24日(ロシアによるウクライナ侵略開始)の前日までは世界秩序が国際法によって保たれていた、という世界認識である。だが、それほど確たる法秩序が本当に存在していただろうか。

 今年3月、バングラデシュに行って現地の国際法学者と意見交換した。その際、現地では名高い一人の国際法学者が、数々の「国際法違反」を延々と並べつづけるプレゼンテーションをする一幕があった。いわく、アメリカはヴェトナムであの戦争をやり、中南米でも多くの軍事行動を実施し、イラクでは虚偽に満ちた戦争をやり、アフガニスタンでも泥沼になった。ソ連(ついでロシア)はハンガリーやチェコスロヴァキアに軍事干渉を行ない、アフガニスタンでもシリアでもやり、あげくはウクライナに対するあからさまな侵略に及んだ。中国も台湾と戦火を交えたことがあるし、常に周辺諸国に脅威を与えている――。

 長広舌の羅列が何のためであったのか、聞いている人たちも理解しかねる様子だったが、要するに、国際法の危機とか凋落とか言う者たちがいるが、事態は何十年も前から同じだった、と言いたかったらしい。だとすれば、どのように・何ゆえに同じだったのかをもう少し語るべきだったが、グローバル・サウスの目からすれば、国際法はずっと機能しないままで来たし、いま「死」を迎え始めたのではなく、「昔から死に続けてきた」という認識を滲み出させたのだろう。その認識の輪郭は誤っていない。国際法が「うまくいっていない」側面の負担は、爆弾や貧困や人権侵害の形でグローバル・サウスに多く押しつけられて来たからだ。意に反して現実への不満を語りえなかった〈サバルタン〉が初めて吐き出した言葉を聞く思いだった(1)

(1) サバルタンについては、たとえばG・C・スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』(上村忠男訳、みすず書房)。

 国際法は歴史に多くの負債を負っている。それが緩慢にしか返済されなかったことが、現在の法秩序「崩壊」(の外観)の一因をなしている。

〈国際法の死〉

 以上を前提に、国際法の「死」をめぐる言説に移ろう。昔から同様だったという近年の認識も含め、いや、まさにその一点において新しい、国際法の危機でも弱体化でも破綻でもなく、「死」についての言説である。

最上敏樹

バーゼル大学(ヨーロッパ国際問題研究所)客員教授。国際基督教大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。1950年北海道生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院修了。主著に、『国際機構論』(東京大学出版会)、『国際機構論講義』(岩波書店)、『人道的介入』『国連とアメリカ』『いま平和とは』(以上、岩波新書)、『国境なき平和に』『国際法以後』(以上、みすず書房)など。専攻は国際規範構造論、国際機構論、平和研究。

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