判決に従わない政府――いのちのとりで裁判の現在

小久保哲郎(弁護士。いのちのとりで裁判全国アクション事務局長)
2026/03/27

「司法は生きていた」が

 「司法崩壊」ともいわれる状況の中、二〇二五年六月二七日、最高裁判所第三小法廷(宇賀克也裁判長)が、司法の職責をはたす判断を示した。史上最大の生活保護基準引き下げの違法性を問う「いのちのとりで裁判」で、引き下げの違法性をみとめ、保護費減額処分の取消しを命じる判決を言い渡したのだ(1)

(1)判決に至る経緯については本誌二〇二五年九月号特集1「生きる砦を築く」で詳しく紹介されている。また「いのちのとりで裁判全国アクション」(「いのとり」で検索可)のホームページも参照していただきたい。

 生活保護基準の設定について、日本の最高裁が違法判断を示したのは史上初である。それだけでなく、減額処分の取消しを命じたのは、筆者の知る限り「世界初」でもある。保守的ともいわれる日本の最高裁が、膨大な当事者に対する多額の保護費の追加給付を必要とする減額処分の取消しを命じるのか。最後まで不安はぬぐえなかったが、少なくとも本件に関しては「司法は生きていた」。

 「これでようやく報われる。すべての生活保護利用者の被害が補償されて全面解決する」

 十数年に及ぶ裁判を死に物狂いで戦ってきた原告、弁護団、支援者の多くはホッと肩の荷を下ろそうとしていた。ところが、その後の国の対応は、想定を超えて不誠実かつ理不尽なものだった。

専門委員会を隠れ蓑に

 判決当日、私たちは、厚労省に対し、①全生活保護利用者に対する真摯な謝罪、②改定前保護基準との差額保護費の全額支給、③第三者検証委員会の設置による事実経過と原因の調査・解明等を求めた。

 しかし、厚労省は、①については、謝罪するかどうかも含め検討中とし、謝罪しない可能性さえ示唆した。②については、七月一日、私たちに何の説明もないまま、厚生労働大臣の記者会見の場で、専門委員会を設置して対応を検討する方針を示した。③については完全無視である。

 私たちは保護課長以上との協議を求めたが、拒否回答が続いた。協議は重ねたが、権限のない官僚による「暖簾に腕押し」の対応が続き、協議のたびに厚労省前での抗議行動や記者会見を繰り返した。

 八月一三日には、専門委員会が強行開催された。八月二九日の第二回委員会では、求められて、原告・弁護団ら七名が意見陳述をした。引きつづいての傍聴を求めたが、岩村正彦座長(東京大学名誉教授)は一方的に休憩を宣言し、私たちは退席させられた。

 専門委員会は、訴訟の敗者である厚労省の主導で月二回以上のハイペースで一一月一七日まで九回開かれた。当初こそ行政法専門の委員らによる法的見解が示されたものの、すぐに、最高裁判決で違法とされた「デフレ調整(4・78%の減額改定)」とはまったく別の理由(下から10%の最貧困層の消費水準との比較)による再減額改定の是非に議論が移った。

 実は、これは、裁判の最終段階での国側の主張の蒸し返しである。この点については、行政法専門の委員らからは、「前の裁判で現に主張し、又は主張しえた理由により改めて減額処分を行うことは紛争の一回的解決の要請に反し許されない」との見解が示された。にもかかわらず、その後は、再減額改定の内容の検討に労力と時間が割かれた。

 一一月一八日、専門委員会の報告書が取りまとめられた。報告書は、原告には減額前基準との差額保護費を全額支給する案から、一律に再減額調整を行なう案まで複数の案を併記し、厚生労働大臣の判断に投げ返す内容であった。

 最高裁判決への対応を専門家の審議・判断に委ねるとしながら、結局、厚生労働大臣の広い裁量判断の余地を残したわけである。

国の対応策の内容と問題点

 報告書とりまとめの三日後である一一月二一日、厚労省は対応策を公表した。

 その内容は、原告を含むすべての生活保護利用者に対して、①最高裁判決で違法とされなかった「ゆがみ調整」を再実施するだけでなく、②最高裁判決で違法とされた「デフレ調整」に代えて2・49%の再減額改定を行なう一方、③原告については②の減額分に見合う「特別給付金」を支給して穴埋めするという、極めて技巧的な内容だった。

 厚労省の対応策には、次のような大きな問題がある。

 まず、減額処分を取り消す判決を受けた原告との関係では、改定前基準との差額保護費の給付請求権が発生していることに争いはなかった。なのに、前記の①で「ゆがみ調整」を再実施するのは、事後的な不利益変更で生存権由来の具体的な財産権を侵害するものである。

 最大の問題は、最高裁判決で違法と断罪された「デフレ調整」とは別の理由を持ち出して再度の減額調整を行なったことだ。先に述べたとおり、これは紛争の一回的解決の要請(蒸し返しの禁止)に反し、許されない。判決の拘束力は直接には原告との関係でしか生じないとしても、本件訴訟には原告が全生活保護利用者の代表として争った代表訴訟的意味合いが強く、最高裁判決は生活保護基準の引下げ改定そのものを違法と判断したことからすれば、蒸し返しの禁止は全生活保護利用者との関係で生じると考えるべきである。

 そして、原告とそれ以外の生活保護利用世帯で給付額に差をつけたことは、生活保護法二条が求める無差別平等原理に反する。原告から訴えられるリスクを下げ、原告と原告以外を分断する姑息な意図が透けて見える。

 再減額調整(2.49%)は、違法とされたデフレ調整(4.78%)のちょうど半分程度。厚労省の説明では、半分に値切られた保護費の追加給付の総額は約二〇〇〇億円で、原告に対する特別給付金は約二億円という。つまり、七〇〇人程度に減っている原告にだけ特別給付金二億円を「贈与」することで、保護費二〇〇〇億円分を浮かせたということだ。

結局、厚労省は、最高裁判決の意義を矮小化し、被害補償額を値切るために、専門委員会を隠れ蓑として利用したのである。司法判断を軽視し、生活保護利用者の人権や尊厳を踏みにじる判断と言わざるを得ない。

国の理不尽な対応の背景

 なんでこんなに理不尽な対応になるのか。

 一番の理由は、生活保護を利用することを「さもしい」とか「恥だ」とか言って、違法な引き下げを主導した高市早苗氏や片山さつき氏らが総理大臣や財務大臣として未だに政権の中枢にいることにある。

 私たちが求めているように第三者による検証委員会を設置して保護基準引き下げの経緯や原因追及を行なえば、安倍元首相や片山氏らの責任が問われることになる。それは直接の当事者である片山氏や安倍氏の後継者と言われる高市首相としては受け入れがたいことだろう。だから、本判決の意義や影響をできる限り小さく抑えたいのだ。

 もうひとつの理由は、残念ながら未だに生活保護に対する偏見や差別意識が国民の中に根強くあって、こうした国の判断に対して国民的な批判がわき起こるまでには至っていないことにある。本来は、政治や行政が、こうした偏見や差別をなくすよう率先して国民を啓発すべきだが、偏見を煽った当事者にそれを期待するのは難しい。逆に政治や行政は、こうした偏見や差別があることを利用して理不尽な対応を強行した。

 十数年の裁判闘争はドラマティックな展開の繰り返しだった。それに飽きたらず、「ようやく終わった!」と思ったら、また宿敵が現れて、ちゃぶ台返しをしてくる。映画でもあまりないような、どこまでもドラマティックな展開ではないか、と当事者ながら感心してしまう。

闘いは終わらない

 国の対応策をめぐって、年末年始に全国の原告・弁護団・支援者はオンラインで意見交換をした。いずれも一〇〇名前後が参加。特に最前線で厚労省と対峙してきた原告らからは、「このまま引き下がれない」、「再度裁判をするなら自分はまた原告になる」という声があいついだ。議論をふまえて、私たちは、追加給付(再減額)処分がされれば、再度の訴訟提起を視野に、一万件規模の集団審査請求運動に取り組むことを確認した(2)

(2) 生活保護の処分取消し訴訟を提起するためには、まず都道府県知事に対する審査請求(行政手続上の不服申立て)を経る必要があると生活保護法で定められている。

 いのちのとりで裁判も、二〇一三年の一万件審査請求運動から始まったが、決して十数年前の振り出しにもどっているわけではない。

 十数年前に審査請求運動が始まったとき、最高裁での勝訴を「確信」できていた人は、私も含めて誰もいなかったと思う。しかし、私たちは、最高裁で勝ち、冒頭でも述べた通り、世界的にも前例のない規模の被害補償が近々全国的に始まる。半分に値切られたとはいえ、二〇〇〇億円規模の保護費の追加給付が行なわれる。保護廃止された人にも追加給付されるので、その対象者は三〇〇万人に及ぶようだ。これが十数年の裁判闘争の大きな成果であることは強調してもし過ぎることはない。

 生活保護基準の違法性を初めて争ったのは、「人間裁判」ともいわれる朝日訴訟だ。原告の朝日茂さんは、一九五六年八月、結核療養所の中から独力で審査請求を起こした。当初は「無謀な闘い」とまわりの反応は冷たかったという。それが教科書に載るような、生存権保障を前進させる一大訴訟運動に発展した(3)

(3) 「人間裁判——朝日茂の手記」(大月書店、二〇〇四年)

 私たちにも、十数年の闘いの中でつちかってきた全国の原告、弁護団、支援者の“つながり〟がある。巨大な組織があるわけでもない中、手探り、手作りで積み上げてきたそれは、「いい雰囲気」であり、意外と強固だ。この事件は、私にとって“ライフワーク〟であり、“生きがい〟となっているが、多くの訴訟関係者にとってもそうではないかと思う。

 「〝権利〟は闘うことによってのみ勝ち取ることができる。」

 朝日さんが遺した言葉を胸に、全国の仲間とともに第2ラウンドの闘いに臨みたい。

小久保哲郎

(こくぼ・てつろう)弁護士。いのちのとりで裁判全国アクション事務局長。1995年大阪弁護士会登録。生活保護利用者など生活困窮者の法律相談や裁判に取り組んできた。現在、日弁連・貧困問題対策本部事務局次長、生活保護問題対策全国会議事務局長。

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