エネルギー政策はなぜ逆走したか

飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)
2026/03/30
福島第一原発を視察するIAEAの専門家ら。2013年4月17日、IAEA

15年後の「原子力緊急事態宣言」

 二〇一一年三月一一日、福島第一原子力発電所の事故を受けて発令された「原子力緊急事態宣言」は、一五年が経過した二〇二六年三月の現在もなお解除されていない。一〜三号機の原子炉内には推定八八〇トンの燃料デブリが横たわり、二号機では二〇二四年九月にテレスコ式装置による試験的な取り出しがようやく着手されたものの、わずか数グラムの採取でさえ中断を繰り返している。燃料デブリの本格的な回収に至る道筋はまったく見通せない。燃料デブリだけでなく、地下の放射能汚染構造物や汚染土壌なども想像を巡らせば、当時、根拠もなく三〇〜四〇年と置いた廃炉工程の完了時期は、もはや絵空事としか言いようがない状況だ。

 事故がもたらした傷は、原子炉の内部だけにとどまらない。約二万五〇〇〇人がいまなお県内外で避難生活をつづけ、帰還困難区域は大熊町や双葉町など七市町村・約三〇九平方キロメートルに及んでいる。福島県の面積の約2%が、依然として人の住めない土地のままだ。特定復興再生拠点の避難指示が解除された双葉町でさえ居住人口は約一八〇人、大熊町の居住率も6%にすぎない。帰りたくても帰れない人、帰る場所を失った人、避難先で新たな生活を築いた人。一五年という歳月は、子どもを大人に変え、働き盛りの人を老いさせるに十分な時間だった。「早く帰りたい」と願いながら、その思いを果たすことなく避難先で亡くなった高齢者も少なくない。

 事故は「終わっていない」。にもかかわらず、日本のエネルギー政策はまるで事故が「なかったかのように」原発回帰の道を歩んでいる。二〇二五年二月に閣議決定された第七次エネルギー基本計画は、事故後ずっと掲げてきた「原子力依存度の可能な限りの低減」という文言を削除し、「最大限の活用」へと方針を転換した。この一五年に、いったい何が起きたのか。そしてなぜ、変えるべきものを変えられなかったのか。

事故が問うたこと——二〇一一年という転換点

■「安全神話」の崩壊と「規制の虜」

飯田哲也

いいだ・てつなり 環境エネルギー政策研究所所長。1959年生まれ。京都大学大学院原子核工学修了。東京大学先端研博士課程満期退学。著書に『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』(集英社インターナショナル)、『今こそ、エネルギーシフト』(共著、岩波ブックレット)など多数。

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