【新刊】『「上」vs.「下」の経済学』

松尾 匡 (立命館大学経済学部教授)
2026/03/13

〈本の概要〉高市政権はなぜ圧勝したのか。これから日本経済はどうなるか。左派はなぜ支持を失ったのか。どうしたら復活できるのか。世界的な帝国主義の動きのなかに日本の現状を位置づけ、対抗策を示す。(著:松尾 匡


※この記事は、2026年4月6日発売『「上」vs.「下」の経済学』(地平社)の「まえがき」です。

地域帝国主義分立時代を進んで引き受けたトランプ政権

 この本の原稿執筆が終盤に入りつつあった、今年2026年の正月はいきなり、トランプ政権によるベネズエラ侵攻の報が入って驚愕しました。

 2024年に出した拙著『反緊縮社会主義論』(あけび書房)でも指摘したことでしたが、そのとき執筆中のこの本の原稿でも、アメリカ一極支配の世界秩序の時代が終わり、各大国による地域帝国主義が世界中に分立する、もっと怖い時代が来ると述べていました。

 本当にそのとおりに動いたのですが、全く予想外だったのは、アメリカは現実に押されていやいや世界の警察の地位を降りていくと思っていたのに、そうではなくて、自ら進んで積極的に、一介の地域帝国主義に成り下がったということです。展開が早すぎて目がクラクラします。

 このことは、2025年11月にトランプ政権が出した「国家安全保障戦略」の報告書にはっきり書いてありました。要するに、今までアメリカは世界の支配者の役割を背負い込んで損ばかりしてきたから、これは間違いだった。これからは「西半球」つまり南北アメリカ大陸に集中するというのです。

 地球の裏まで飛びまわるグローバル資本にとっては、アメリカが世界の投資秩序を維持してくれることは利益だったと思いますが、政府側にそれなりにコストがかかったのは事実でしょう。その負担を無視できなくなるぐらい、アメリカの力が弱くなったということもありますが、コロナ以後は、サプライチェーン(川上から川下までの原材料や部品の投入・産出の流れ)を自国周辺にまとめようという流れが世界中で強まっていることも、こうした動きの背景にあるものと思われます。

 世界の警察を標榜するかぎり、大義名分としては「自由」とか「民主主義」とか「国際法秩序」等々を掲げないわけにはいきません。しかし今や、ただの地域帝国主義を遂行するにはそんなお題目は不要です。「力だけが正義」と、剝き出しのアメリカの利益を掲げる時代になったのです。

 だから、明白な国際法違反を意に介せずベネズエラのマドゥロ「大統領」を拉致した行動を、「民主主義の回復」などと正当化することはありませんでした。トランプさんが口にしたのは、あからさまな石油の利益だけです。そして、これまで庇護してきた野党指導者をほとんど相手にせず、ベネズエラの反人民的な現独裁体制を利用しつくす方針です。

 そうしているうちに、本書校正中の2026年2月28日に、アメリカとイスラエルによるイラン攻撃が始まりました。今後どうなるかはわかりませんが、現時点では、かつてのイラクやアフガニスタンに対するような、アメリカ自身が地上戦に乗り出して占領して新体制をつくるようなコストをかけることは考えられません。

 国家安全保障戦略報告書では、「アメリカは常に、湾岸地域のエネルギー供給が完全な敵の手に渡らないこと、ホルムズ海峡が開放された状態を維持すること、紅海が航行可能な状態を維持すること、同地域がアメリカの国益や本土に対するテロの温床や輸出拠点とならないこと、そしてイスラエルの安全が維持されることを確保するという核心的利益を有しつづける」としています。イランによる核開発はもちろんその意味では重大関心事だと思います。しかし、同報告書ではそれに続いて、「この脅威には、何十年も続く無益な『国家建設』戦争なしに、思想的・軍事的に対処できるし、対処しなければならない」とあります。

 「無益な『国家建設』戦争」とは、冷戦後のアメリカ政府が遂行したイラク戦争やアフガニスタン戦争を指しています。世界の警察として、西側の価値観にかなった民主国家の建設をスローガンに、莫大な人的・財政的犠牲を払ったのに、成果はほとんどなかったと総括されているのです。

 ですから、トランプ大統領はイランの民衆に政府打倒に立ち上がることを呼びかけていますけれど、独裁者一人だけを殺してくれた者の言うことに呼応して立ち上がる国民はいるかもしれませんが、子どもを何人も殺した者に呼応してわざわざ身をリスクにさらす者がいるとは思えません。たとえ立ち上がる人々が現れたとしても、弾圧機関を空爆だけで除去できるわけではありません。人々がどんなに無慈悲に弾圧されることになろうとも、社会が混乱状態に陥ろうとも、トランプさんが責任をとることはないのです。

 昨年(2025年)、イランの腐敗した寡頭独裁体制のもとの生活苦に対して、民衆が革命に立ち上がって体制側が追い込まれたとき、トランプさんは「武力弾圧したら攻撃するぞ」と脅し、イスラエルの工作員は民衆に紛れ込んで破壊工作をしました。そんなことをしたら、民衆の側では「敵の手先扱いされるのでは」とひるみ、弾圧機関のなかでは動揺が引き締まります。だから苛烈な血の弾圧に絶好の口実が与えられる結果になったのですが、こうなることぐらい、トランプさんにもイスラエル政府にも最初から読めていたことでしょう。民主体制樹立にコミットするつもりなどなく、ただ自分たちに敵対する体制が弱体化してくれればそれでいいのです。

 国家安全保障戦略報告書では、冷戦後のアメリカ政府が中東の専制君主国を民主化して人権原理を押しつけようとしたことを「誤った試み」と批判し、「中東との良好な関係構築の鍵は、共通の利益分野で協力しつつ、この地域とその指導者、諸国をありのままに受け入れることにある」としています。イランも同じです。民主的体制ができあがること自体は全く期待していないのです。

 そして、同報告書は、アメリカにとって中東の重要性が以前と比べて低下していることを繰り返し強調し、「中東が米国の外交政策において、長期計画と日常的な実行の両方で支配的だった時代は、幸いなことに終わった」としています。西半球でもない中東にどこまでもコミットすることはないということです。「米国がアトラスのように世界の秩序全体を支えてきた時代は終わった。われわれの数多くの同盟国・パートナーには、数十もの豊かで洗練された国家が含まれており、それらは自らが属する地域における主要な責任を担い、集団防衛への貢献をはるかに増やさねばならない」。中東では、それはまずイスラエルだということです。どれだけガザで虐殺しようと関係ありません。イランとの戦争も、なるべく早くアメリカは手を引き、イスラエルに任せようとするでしょう。

 そして、西半球でもないウクライナの東縁は、ロシアに引き渡そうとしています。プーチンさんによる国際法違反や人道蹂躙の問題など「知るか」という感じです。今やトランプさんにとって、プーチンさんも習近平さんも、「普遍的」と称されてきた西欧の価値観のもとに打倒する対象ではありません。世界の分け方をめぐって張り合う同列のライバルなのです。

 そういう世界戦略ですので、西半球でもない東アジアのことは日本が面倒を見ろということになっています。これに対して、「言われたからしゃーない」というテイをとって、ニッコニコで乗り出そうとしているのが高市首相ということになります。

産業の国内淘汰・東南アジア移転で地域帝国主義に向かう日本

 日本ではこのかん、政府・財界リーダーたちが、勝手に「生産性が低い」とレッテル貼りした旧来産業や中小企業・個人事業、農畜産家などを、「新陳代謝」の名のもとに淘汰してしまい、東南アジアを中心とした海外に企業進出して産業を移す路線を進めてきました。この路線がもたらしたことの一つは、企業が傾向として国内で十分に設備投資需要をしなくなったために、基本的に、財政赤字で需要をつくらないと、総需要不足がひどくなって、大量の倒産・失業を出して経済が壊れる体質になったことです。

 もう一つは、海外進出した企業を守る体制をつくる流れです。すでに10年以上前に経済同友会が、企業のグローバル化によって海外で活動するようになった日本人の生命・財産を守るために、自衛隊を使えるようにしろと言っています。それで2015年の安保法制での自衛隊法改定で、自衛隊が武器を使って在外邦人の保護活動をできるようになりましたが、それには現地政府が安全を確保していることなどの条件がついています。数年前、この条件を撤廃するように国会質問で政府に迫っていたのが、ほかならぬ高市早苗さんです。

 これが実現されると、日本企業が東南アジアで労働者を低賃金でこき使った結果、テロや反乱が起こったり、革命で日本企業が国有化されたりしたときに、自衛隊が使えるようになります。まずは武器を輸出して現地政府の手で弾圧できる体制をつくっておいて、最終的には自衛隊を派兵して企業を守るということです。これによって、中国帝国主義との勢力権争いにも乗り出せます。

 おりしも世界中が地域帝国主義の時代に移行しているときです。世界各地の相対的な大国が、自国資本が進出した周辺諸国を勢力圏として、政治的・軍事的に投資秩序を維持し、互いに張り合う時代になりつつあります。日本もそのプレーヤーの一つとして乗り出そうということになるのです。「独自核武装」などという言葉が政府高官からポロリと漏れ出るのは当然のことなのです。もはや「アメリカの片棒をかついで云々」といったレベルを超えた、もっと積極的な侵略のフェーズに踏み込みつつあるということを理解しないといけません。

 この本では、このような観点から高市政権の経済政策を分析しています。そして、これまでの立憲民主党指導部らリベラル勢力も含む、財政規律や利上げを志向して国内産業の淘汰と海外進出を進めてきた緊縮路線が、いかにその対案たりえないかも示しています。そもそも、彼らの蒔いた種が、反発としての参政党などの極右の台頭と高市フィーバーを生み出し、結果として地域帝国主義への道を拓いたのだということを説明しています。

極中エリートに反発する大衆の実感に、極右より刺さる政策を

 今、先進国中で、右派と左派のポピュリズムが台頭し、それらとの対抗で、これまでは左右に分かれていた旧来のエリートが一極に結集するという三極図式が見られるようになっています。この旧来のエリートが結集した「中道」は、左右のポピュリズムの中間にあるのではありません。彼らはエリートとして、これまで「国におカネがありません」と言って、多かれ少なかれ新自由主義的な経済政策をとってきた張本人たちです。その犠牲になった大衆が、それへの反発として左右のポピュリズムを生み出したのです。ですからこうした大衆は、左右のポピュリズム勢力のどちらにも投票する可能性がありますが、既成エリートの「中道」には投票しないのです

 酒井隆史さんによれば、こういう中道派は欧米では「エキストリーム・センター」と呼ばれているそうです(※)。「極中」ですね。もともと石破政権の頃は、石破首相と立憲民主党の野田代表の政策はとても近く、事実上この「極中」を形成していたといえます。さらに、立憲民主党と公明党の合流で、日本もきれいにこの三極図式になったわけです。今後、保守側で再編の動きがあれば、さらにはっきりするかもしれません。

(※)【関連記事】酒井隆史『極中道レジーム』のたそがれに『地平』2026年2月号。

 だから、地域帝国主義戦争の危険をもたらす高市政権や参政党などと闘うことは必要ですが、「極中」を推してその経済政策の賛同者と見られることも、新自由主義の犠牲になってきた大衆の支持を失うことにつながるのです。

 では、どうすればいいのか。「極中」はもちろん、右派ポピュリズムである高市政権や極右勢力よりももっと、新自由主義の犠牲になってきた大衆にアピールできる経済政策を打ち出すほかありません。それはどんなものか。本書ではそれを、経済法則のとらえ方の基本に立ち返って、できるだけわかりやすく説明することを試みています。

 それは一つには、いわゆる反緊縮政策の基礎になっている、「おカネ」がどのようにつくられているのかという認識です。そしてもう一つは、国全体の総労働を、人々のさまざまなニーズのためにどれだけずつ割り当てるかという、「総労働配分」から経済を見る見方です。これがわかれば、なぜ高市政権が軍備や大型プロジェクトに財政を費やそうとするのか、それに対抗して私たちがどのような財政支出のあり方や課税のあり方を打ち出せばいいのかが、わかるようになります。

「リスク・決定・責任」の一致原理で把握できる「上」と「下」の分裂

 ただ、この本でもっと本当に言いたいことは、この本の最初から最後まで貫かれている考え方です。それは、「リスク・決定・責任」は一致しないといけないということです。決定を下す人が、そのリスクを引き受ける責任を負ってこそ、世の中はうまくいくということです。高市政権の経済政策の問題点から、課税の正当化原理から、共産党やれいわ新選組の組織の問題点まで、この原理から説明しています。

 そして、何より大事なのは、この原理は言い換えると、自分が決定していないことの影響でリスクを押しつけられて、一方的に犠牲をこうむるのは不当だということです。もし自分が決定できないままなら、決定した人はこっちのかぶるリスクを引き受ける責任をとれ。さもなくば、リスクをかぶる私に決定させろ――ということです。

 そうすると、この世の中の何がおかしいのかというと、根本的には、たくさんの人に影響を及ぼす決定をする一部の人と、その決定の影響を一方的に受けてリスクをかぶるたくさんの人に、世の中が分かれていることだとわかります。新自由主義が猛威をふるってもたらされた惨状の本質は、世の中のこの分裂がますますひどくなったことだといえます。

 つまり、「上」と「下」の分裂です。一部の「上」の人が、多数の「下」の人の犠牲のもとに、莫大な利益を得ています。「上」と「下」といえば、おカネの格差がよく思い浮かびますが、それだけではイメージとして狭いです。おカネの格差は、それ自体が決定の影響力の格差だという点が問題の本質です。そして、しばしば決定の影響力の格差のほうが原因となって、おカネの格差がもたらされるのです。

 この本は、現実の世の中をこの意味で「上」と「下」に分かれたものとして認識し、あくまで「下」の立場に立ちつづけることを提唱する本です。それに対して右派ポピュリストは、世の中を国やアイデンティティによって「ウチ」と「ソト」に分かれたものとして認識し、「ウチ」に立つものとして打ち出されています。これは、世の中が「上」と「下」に分かれている現実を覆い隠し、「下」の人たちが真の敵に向けるべき意識を、「ソト」に向けてそらせる役割を果たします。

 ところが、今や「極中」に結集しているリベラル派や、過去30年の左派の多くもまた、世の中を国やアイデンティティによって「ウチ」と「ソト」に分けたうえで、新自由主義の犠牲になって生活が不安で苦しい多数派の「下」の大衆に向かって、彼らから見たら「ソト」の側に立って、反省と自己犠牲を強いてきたのでした。「過去の侵略の罪を背負った豊かな先進国民として、恵まれた自分の環境破壊的な生活を見つめ直しなさい」等々と。それに対する反発が、右派ポピュリストの隆盛をもたらしたのです。このせいで、今では「リベラル」や「左翼」という言葉は、他人を罵倒するときの言葉でしかなくなっています。

 同様に、過去30年の左派に見られた傾向に、世界の国々をアメリカ陣営と反アメリカ陣営という意味で「ウチ」と「ソト」に分け、やはり「ソト」の側に立つというものもありました。これについても、自国やアメリカ陣営の権力者が人権抑圧すると憤るのに、反アメリカ陣営の国でその国の権力の抑圧に抗う民衆の闘いには冷淡、というダブルスタンダードな態度が、反発を買うことになりました。確かに冷戦時代の左派のなかにもソ連陣営に甘い人がいましたが、実態が隠されていたなかで主観的には「下」の天国と思い込んでいたわけで、「上」と「下」に分ける見方を忘れていたわけではありません。しかし、冷戦後は、明らかに人権抑圧や格差・貧困があることがわかっているにもかかわらず、反アメリカ陣営の国というだけで権力の側に甘くなる態度がはびこったのです。これは、すっかり「国」 vs.「国」で世界を分けて見る見方にとらわれて、「上」 vs.「下」の見方を忘れてしまったというほかありません。

 この本は、徹頭徹尾「上」 vs.「下」で世の中を見て、「下」に立つ見方をしています。単におカネのことだけでなく、権力でも、煽動力でも、決定の影響力のある人の影響を一方的に受けて、そのリスクを引き受けさせられる立場の個々人の側に立っています。そしてこうむった犠牲の責任を決定者にとらせて、自分に関わることのコントロールを自分たちの手に取り戻すことをめざしています。

 「国家」「おカネの自己膨張」「思想」「制度」「しきたり」「価値観」「常識」等々、いろんなものが、個々人によってコントロールできないものとして、勝手に「上」から個々人に押しつけられてきます。これまでの左翼はよく、「思想」や「価値観」を個々人に押しつけて反発される愚行を重ねてきましたが、この点では「右」の側も輪をかけて同じです。「国家」とか「伝統」とかを個々人に押しつけて、個々人に窮屈な思いをさせ、はなはだしくはそのために命を差し出すように強いてくるのです。

 そうではなく、生きているだけで価値がある、弱くて自分がかわいい生身の一人ひとりの個人こそ、主人公にしなければなりません。「国家」も「制度」も「思想」も「伝統」も「価値観」も「常識」等々も、こんな生身の個々人がみんなして気持ちよくニーズを満たして暮らすためのツールにすぎないと心得るべきです。ゆめゆめ本末転倒な独り歩きをさせてはなりません。

 世の中を変えようという運動は、このような思想をベースにしなければならないと思います。この思想自体もまた、生身の個人を抑圧する危険性に自覚的でなければならないのです。この本は、こうした考え方に貫かれて書かれているのだということを頭に置きながら、読み通していただきたいと思います。(本書まえがきより)

もくじ

第1章 高市政権はなぜ圧勝したのか
第2章 左派はなぜ支持を失ったのか
第3章 日本の支配層が描くビジョン
第4章 高市政権の経済政策の本質
第5章 日本経済はこれからどうなるか
第6章 高市政権に対抗する経済政策(1) 人々の願いに応える反緊縮政策
第7章 高市政権に対抗する経済政策(2) 総労働配分から見た矛盾の解決
第8章 右派に打ち勝つこれからの個人主義
第9章 淘汰と帝国主義を止める「極」をつくろう
コラム1 簡単なマクロ経済学モデルで見る財政赤字の必然性
コラム2 MMT派とリフレ派はどう違うか


【著者】
松尾 匡  (まつお・ただす)
1964年生まれ。立命館大学経済学部教授。著書に『反緊縮社会主義論』(あけび書房)、『コロナショック・ドクトリン』(論創社)、『左翼の逆襲』(講談社)ほか多数。


「上」vs.「下」の経済学
2026年3月発売
四六判並製、296ページ、1980円(税込)
書籍 978-4-911256-41-1 

『地平』編集部

『地平』は地球と平和を考える総合月刊誌です。毎月5日発売。

地平社の本

ガザを知る

CHIHEI Podcast

2026年4月号(最新号)