1 平和主義は転換されたか?
近年、日本の平和主義は「転換された」としばしば語られる。高市政権による武器輸出の解禁を受け、イギリスの公共放送BBCは、「日本政府、武器輸出規制を緩和――戦後平和主義からの転換」と見出しをつけて報じた(4月21日)。「戦後日本の防衛政策を特徴づけてきた平和主義から、日本政府が離れていく転換において、この決定は一つの節目となる」とこの記事は書いている。
あるいは2022年末に岸田政権が安保三文書を閣議決定し、軍事費倍増と敵基地攻撃能力の保有へ踏み出した際には、アメリカの『TIME』誌が表紙で、岸田の顔写真とともに「日本は平和主義を捨て、真の軍事大国を目指している」と書いた。このような認識は、もちろん国内メディアにおいても繰り返されており、日本の平和主義の転換という認識は共有されつつあるように見える。
実際、日本政府は、2014年の安倍政権による集団的自衛権の行使容認を一つの節目として、その後、岸田政権による安保三文書の策定、さらに武器輸出解禁、軍事費の大幅増額、長射程ミサイル配備、南西諸島の軍事化など、平和主義にもとづく原則と制度を次々に転換している。制度としての平和主義は、ほぼ全面的に崩されつつある。
だが、それにもかかわらず、日本の平和主義は、なお生きている。この平和主義を、「紛争の解決手段としての戦争=武力行使を否定し、国際平和を誠実に希求すること」と定義するならば、日本の政治の表層は平和主義からの脱却を進めているものの、社会の深層には平和主義が深く根を張っている。日本の市民は平和主義から離れていない。
国会前では、安保法制以降、幾度となく市民による行動が続いてきた。全国各地で、ガザ虐殺への抗議、ウクライナ侵攻への反対、沖縄の基地建設反対などを掲げるデモやスタンディングが続いている。日本では、環境運動、人権運動、反貧困運動など、さまざまな社会運動の通奏低音として平和主義は存在しており、労働組合もまた反戦と平和を主要課題として掲げつづけている。こうした世論の存在は、後に見るように、各種の調査によっても明らかである。
すなわち、現在の日本の転換は、アメリカの東アジア戦略と歩調を合わせる政権と与党が「上」から推進しているものであり、多数の市民の信条とは乖離している。
いま世界では、核兵器を保有する大国が違法な侵略戦争や攻撃に踏み出し、軍拡競争が加速している。この情勢の中で、日本の平和主義的な世論の存在は、国際的にもきわめて重要な意味を持ちうる。とりわけ核軍縮の分野において、その存在感は重い意味を持つ。
この日本の市民の平和主義を象徴するのが、憲法9条である。いま高市政権は、この9条を変える改憲スケジュールに言及しはじめた。本稿では、戦後日本の平和主義の現在地と意味と私たちの課題について考えていきたい。
2 平和主義を支持する日本の市民
日本の平和主義の現在地を、最近の各種調査の示す結果から、以下、見ていく。
殺傷能力を持つ武器輸出をめぐっては反対世論が多数を占める。共同通信社が5月16~17日(以下すべて本年の調査)に実施した全国電話調査で、高市政権による輸出解禁について、賛成37・1%に対し、反対が57・2%、3月上旬のNHK全国電話調査でも賛成32%に対し反対53%、朝日新聞が3月上旬から4月中旬にかけて実施した全国郵送調査では賛成25%に対して反対は67%に達した。政府は「同志国との防衛協力」や「防衛産業基盤の強化」などと推進するが、日本製の武器によって他国の人々を殺傷することへの抵抗感はなお根強い。平和主義的な世論の倫理観を強く示しているといえよう。
非核三原則についてはどうか。朝日郵送調査では、「非核三原則を維持すべきだ」と答えた人は75%に達し、「見直すべきだ」の21%を凌駕する。この傾向は2013年の調査からほぼ変化がない。中国や北朝鮮の脅威を理由に核抑止力強化が唱えられる中でもなお、日本社会の圧倒的多数は核への拒絶感を強く示しつづけている。なお、この調査で、女性の回答者は、「武器輸出反対」「非核三原則維持」と回答した率が男性よりそれぞれ15ポイントも高い。平和主義的な世論の基盤が女性にあることを示している。
核兵器禁止条約への参加を求める世論も一貫して多数である。朝日郵送調査では、核兵器禁止条約に日本が「加盟するほうがよい」が73%に上り、「加盟しないほうがよい」22%を圧倒する。しかもこの数値は、条約の発効前年に行なわれた朝日の調査(2020年11月)より顕著に上がっている。当時「参加するほうがよい」と答えたのは59%だった。近隣諸国の多くが核兵器を保有し、東アジアで軍事的緊張が高まる中で、なお日本の市民が圧倒的な非核の世論を維持していることは、国際的にも極めて重要である。
次に、憲法9条に対する態度を見てみよう。本年5月の朝日新聞社の世論調査では、高市政権のもとで憲法を改正することについて、「賛成」が47%、「反対」が43%と拮抗した。しかし同時に、「改憲議論を急ぐ必要はない」という回答は62%に達している(「急ぐ必要がある」は33%)。改憲への賛否は揺れ動いているものの、日本社会にはなお9条改憲への強い慎重論が存在している。
最後に、興味深い調査を紹介する。京都教育大の村上登司文名誉教授が2025年に中学生約1000人を対象に行なった調査では、「日本はどのような戦争も行うべきではない」と考える生徒は、「少しそう思う」を含めて8割近くを占める。ただし、その数字は低下傾向にある。
このように、多くの調査は、日本社会の根強い平和主義的傾向が健在であることを示している。ウクライナ侵攻や東アジア情勢の緊迫化による動揺、男女差や年代差はあるものの、基調はいまだ変わっていない。軍事化を進める政府と世論の乖離は広がっている。
3 全面的に掘り崩される平和主義
一方、法制度に着目すると、憲法9条のもとで整備され運用されてきた諸原則が、いま次々と掘り崩されている。専守防衛や非核三原則、武器輸出禁止、大学における軍事研究の抑制や軍事目的の国債発行の抑制などである。これらはいずれも、平和主義を支持する世論を背景として戦後、整備され運用されてきたものであるが、その多くが現在危機にあるといわざるをえない。本節では以下、そうした平和主義にもとづく諸原則・諸規定を取り上げ、それぞれがどのような現状にあるのかを整理していく(なお、非核三原則と武器輸出禁止については、次節以降で述べる)。
① 平和憲法による戦争放棄と軍備否定
日本国憲法は、前文と9条によって交戦権を認めず(戦争放棄)、戦力の保持を否定している。それのみならず、日本政府に対して国際的な紛争・対立の緩和を「誠実に希求する」外交を求めている。
自衛隊について、政府は一貫して合憲であることを主張しているものの、その合憲性をめぐっては、どこまでの軍備が許されるのかを含め、常に緊張関係が存在している。憲法9条が明文的には一字たりとも変えられていないことが平和主義にとって重要な歯止めとなっていることは、あらためて確認しておきたい。
9条の改憲をめぐっては近年、容認の世論が増えつつあるものの、賛否が拮抗する状況が続いている。改憲発議はリスクの大きい政治的な賭けであり、政権側は憲法解釈の変更による対応を続けてきた。2014年、それまで行使できないとされてきた集団的自衛権を閣議決定により行使可能とし、2015年の安保関連法で集団的自衛権等を法制化、それを実現するための手段を整えるものとして、2022年の安保三文書が策定された。
②専守防衛=攻撃的兵器の非所有
政府は自衛隊を運用するにあたり、「憲法の精神に則った受動的な防衛戦略」(『令和7年版防衛白書』)としての専守防衛の方針を現在でも維持していると説明している。政府は「性能上もっぱら他国の国土の壊滅的な破壊のためのみに用いられる攻撃的兵器」、具体的にはICBM(大陸間弾道ミサイル)や長距離戦略爆撃機、攻撃型空母を保有できないと説明してきた。しかし2018年の中期防衛力整備計画で、ヘリ空母として設計されたいずも型護衛艦を、F‐35を搭載可能な形に改修することで、実質的な空母保有を決めた。さらに安保三文書においては、射程1000㎞を超える敵基地攻撃ミサイルを保有する方針に踏み切った。自衛隊の装備面から見て、専守防衛はもはや放棄されたに等しい。
③ 海外派兵の禁止
日本は戦後80年以上にわたって、戦闘行為に直接参加せずにきた。これを可能にしてきた重要な原則の一つが、自衛隊の海外派兵の禁止である。
1954年、防衛庁設置法と自衛隊法が成立するのに合わせ、参議院で「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」が採択された。政府も「武力行使の目的をもって」自衛隊を海外に派遣することは憲法上許されないと説明してきた。これは裏を返せば、武力行使を伴わない派遣は憲法上可能という見解であった。それを法律上可能としたのが1992年のPKO協力法であった。
さらに、2001年のテロ対策特措法におけるインド洋での給油支援を皮切りに、国連PKOとは異なる枠組みでの派遣に道が開かれた。2006年には海外派遣が本来任務に「格上げ」され、2015年の安保関連法で海外派遣が恒久化された。国連外活動を制度化し、有志連合(多国籍軍)への支援などが可能となったのである。こうして自衛隊の海外派兵の範囲は大きく広げられてしまった。
④国連中心・国際協調主義
海外派兵の禁止と関わるのが、国連中心の国際協調主義からの逸脱である。1957年の『外交青書』では、外交の基調として「国際連合中心」、「自由主義諸国との協調」、「アジアの一員としての立場の堅持」の三大原則を掲げていた。とはいえ当時から日米安保体制に重心が置かれており、冷戦終結後、国連中心からの逸脱は進んだ。
2000年代後半ごろから、自衛隊は米軍以外との演習や協力強化に積極的になってきたが、これはアメリカが主導するインド・太平洋地域における多国間での活動に組み込まれたことを意味する。第二次安倍政権は、2016年に「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想を提示し、2017年には日米豪印での協議の枠組みであるQUADが(再)スタートした(QUADは2007年に会合を開いたが、その際は一時的なものだった)。こうした「国際協調」は、国連を中心とした集団的安全保障の枠組みではなく、実際にはアメリカを中心とした軍事ブロックの形成を志向しており、明らかに対中抑止を意識したものといえる。
⑤ 軍事費のGNP比1%枠
2022年の安保三文書を受けて、日本は、急激なスピードで軍拡を進めている。吉田茂以来の軽武装路線の中、高度成長もあって1967年以降、軍事費はGNP比1%を割っていた。1976年三木内閣の閣議決定により、GNP比1%枠は政治的ガイドラインとして公的な方針となった。1986年12月、中曽根内閣は対米関係を理由に1%枠廃止の閣議決定をしたものの、その後も1%を超えることは数えるほどに過ぎなかった。それが近年、大きく増額され、2026年度予算では防衛関連費(関連のインフラ整備等を含む)は約10兆6000億円に達し、GDP比では約1・9%にまで上がっている。
この数値は、アメリカの要求を受けて、いま進められている安保三文書改定の検討の中でさらなる増額が打ち出される可能性が高い。
⑥ 軍事目的の国債発行の抑制
軍事費増大の問題と絡むのが、軍事費への国債禁止である。戦時中に国債が乱発された反省をふまえ、「公債を軍事目的に活用するということは絶対にいたしません」(1965年衆院予算委員会での福田蔵相の発言)というのが、従来の政府方針であった。しかし、岸田政権は軍事費増額にあたって、自衛隊施設、艦船建造、基地整備などに「公共投資的性格がある」として、建設国債の活用を容認したのである。G7でも最悪レベルという日本政府の借金を、さらに増やす方向に進みつつある。
⑦ 軍事研究の抑制
学術界が戦争に動員された戦時中の反省をふまえ、日本学術会議は、軍事研究から距離を取る方針を声明等で明確にしていた。学問の自由にとって研究成果の公開は不可欠な原則であり、軍事研究は、本質的に、この公開性の原則と相容れないからである。こうした姿勢は戦後日本の学術界において広く共有され、「軍学共同」を避ける文化が形成されていった。
2020年、菅義偉政権は、日本学術会議が推薦した会員候補6名の任命を拒否し、大きな問題となった。この背景には、学術会議が、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に代表される軍事研究への慎重姿勢を示したことがあると指摘されている。その後、政府は学術会議の法人化と組織改編を進め、現在の学術会議を解体したうえで、新たな組織へ移行させようとしている。戦後日本において、学術界の自律性と軍事研究抑制の象徴的存在であった学術会議は、大きな転換点に立たされている。
4 非核三原則と核廃絶を支持する日本の市民社会
核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則もまた、平和憲法のもとで日本が維持してきた重要な原則である。1967年に佐藤栄作首相が初めて表明し、1971年以降くり返し国会決議で確認され、「国是」として確立されるに至ったものだ。だが歴史をひもとくと、当時の首相や政府がこの三原則について当初から積極的であったわけでは決してないことがわかる。腰の引けた政府を動かし、非核三原則を「国是」にまで高めてきたのは、広島・長崎の原爆やビキニ水爆実験での被爆体験に基づく強い反核世論と、それに裏打ちされた力強い国民的運動であった(川崎哲・浅野英男『非核三原則』地平社)。
ところが現在、安保三文書改定に向けた議論のなかで、政権与党の一部から「非核三原則見直し」論が出てきている。日本が依存するアメリカの核抑止力を維持・強化するためには、核兵器を「持ち込ませず」という原則を改廃することが必要だというのが、その主な論拠だ。高市早苗氏も、首相に就任する以前はそのような主張をしていた。
たしかに、いくら日本が「被爆国として核兵器のない世界を訴え」ても、現実にはアメリカの「核の傘」に依存する政策をとっており、そこには大きな矛盾がある。だから日本のいう「核廃絶」など欺瞞なのだと断じる向きもある。だが、日本の世論が今でも圧倒的に「非核」の原則を支持しており、そうした市民の声が政府の政策に一定の影響を与えてきたことは、揺るぎない事実である。
それは、今日の核兵器禁止条約をめぐる攻防に表れている。2010年代から、核兵器を非人道的兵器として全面禁止する動きが、オーストリアやメキシコが主導する形で進められてきた。これに対して日本政府は消極的で、条約交渉にも参加しなかった。しかし、広島・長崎の被爆者や日本のNGOはこのプロセスに積極的に参加し、2017年の条約採択および21年の発効に大きく貢献した。2024年、日本被団協はノーベル平和賞を授与された。
第2節でも紹介したように、核兵器禁止条約への署名・批准について、国内のこれまでの世論調査では常に6~7割以上が賛成を示している。だが対照的に、国会議員で、日本が核兵器禁止条約に加わることに賛同を表明している人は23%に留まっている(本年5月現在)。本年2月の衆院選の前には39%が賛同を表明していたが、高市自民党の圧勝に伴い大幅に減ってしまった(「議員ウォッチ」調べ)。
アメリカの抑止力を重視する政府と、核廃絶を力強く唱道する市民社会という、いわば「二つの顔」が日本にあることは、国際的にもよく知られている。
本年4~5月にニューヨークで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議には、日本からは被爆者団体、NGO、学生代表など総勢約200名が渡航・参加した。同会議に参加登録した世界154のNGOのうち、13%にあたる20団体が日本の団体だった。会議でのNGOの公式発言では、計30を超える発言のうち、冒頭6人が日本からの発言(被団協、原水協、広島・長崎市長、広島県知事、長崎県副知事)であった。日本の市民社会は、圧倒的な存在感を放っている。
これを支えているのは、全国の地元からの声である。核兵器禁止条約の早期締結を世界各国に求めている「平和首長会議」には、日本全国の99・9%にあたる1740自治体が参加している(本年5月現在)。さらに、全国の42%にあたる732の市区町村議会が、日本政府に核兵器禁止条約に署名・批准することを求める意見書を出している。各地方議会において過半数で議決されているということは、各地の住民運動の現場で与野党の垣根を越えた連携がなされていることを示している。
こうした世論に押されて、日本政府は、核兵器禁止条約に参加こそしないものの、その前提となる「核の非人道性」に関する国連決議には賛同するなど、他のいわゆる「アメリカ同盟国」とは異なる姿勢をみせてきた。
もちろん、広島・長崎発信の運動には課題もある。日本自身の戦争責任や世界の核被害に関する認識が必ずしも強くないことなどである。しかし「核廃絶」という国民的な大目標のもとで、保守層も含む幅広い連携と一定の成果を生み出してきたことは、注目と評価に値する。
5 「死の商人国家」化への世論の抵抗
日本の平和主義を具現化した政策としてもう一つ注目すべきものは、武器の禁輸政策である。人命を奪う武器の輸出によって利益を得る、すなわち「死の商人」となることを、日本は長く拒否してきた。
1967年に佐藤政権は、共産圏や紛争当事国などへの武器輸出を禁じる武器輸出三原則を表明した。1976年の政府統一見解でそれ以外の地域についても武器輸出を「慎む」とされ、事実上の武器輸出全面禁止となった。
だが、この武器禁輸は、憲法9条から自動的に導き出されたものではない。武器輸出推進派も、「憲法第9条は武器の輸出を禁じてはいません」(土本英樹元防衛装備庁長官、『Hanada』6月号)と述べる。むしろ、だからこそ意義は大きい。60年代後半から70年代のベトナム反戦運動に代表される平和を求める主権者の意志を受けて、野党が国会論戦を通じて自民党政権に作らせたところに、武器輸出三原則の積極的な意味がある。憲法の柱である主権在民と平和主義のコラボレーションによって、メイドインジャパンの武器で他国の人々を殺傷させないという「加害の拒否」を仕組みとして確立させたのだ。
ところが、この武器禁輸原則は、1980年代以降、段階的に掘り崩されてきた。2014年には、第二次安倍政権のもとで、武器輸出三原則は「防衛装備移転三原則」に置き換えられ、武器輸出が「原則可能」となった。そして本年4月21日、高市政権は、国家安全保障会議と閣議で同三原則とその運用指針を改定した。それは、完成品の武器輸出を非殺傷用に限定してきた「五類型」を撤廃し、共同開発・生産などを除いて認めてこなかった殺傷能力のある武器の輸出を全面解禁するものだった。これは、武器輸出三原則表明から59年目の、歴史的な大転換である。
高市首相や小泉防衛相は、この政策転換について「同盟国・同志国との防衛協力の拡大・深化」「継戦能力確保のための防衛生産・技術基盤の強化」などと正当化している。そして、そのような理屈を、マスコミやSNSを通じて垂れ流し、強引な既成事実づくりを行なってきている。それでも、世論調査では、殺傷武器輸出への「反対」が「賛成」を大幅に上回っている。武器輸出反対の世論は、揺らいでいないのだ。それは、国会前で繰り返されてきた「勝手に決めるな」というコールに示されるような、主権者としての矜持ゆえではないだろうか。
そして、今回の殺傷武器輸出の解禁は大きな弱点を抱えている。「輸出先を国連憲章の目的と原則に適合した使用を義務付ける国際約束の締結国に限る」、また、「現に戦闘が行われている国への輸出は原則不可」としながら、国連憲章と国際法に違反するイランへの侵略戦争を行なっているアメリカへの輸出を公然と認めてしまっている。しかもそれは、他国で人々を殺傷する現場に最も近い。先述の土本英樹氏が述べるように、「国際法違反の国を助けるために装備品を移転してはいけない」(同前)のなら、少なくともアメリカを輸出対象から除外すべきである。
軍需産業が急速に「儲かる産業」化している現在、レピュテーションリスク(風評が広がり企業価値が低下するリスク)が効かなくなれば、戦争や緊張を欲する「軍産学複合体」の出現は止められない。「死の商人国家に堕落するな」の声を上げていくことの意義は今まで以上に大きい。
6 平和主義と国際協調を復活させる
平和主義は、日本の市民社会にたしかに生きている。だがこれに対して、それは理想論にすぎないとの揶揄がたえない。現実の世界は過酷なものであって、「抑止力の強化」こそが「現実的」な安全保障であるとの声も大きくなっている。しかし、核兵器をもった軍事大国が国際法を無視して戦争や軍備増強に走っているときに、日本もそれに負けじと軍拡すれば安全保障が保たれるという考え方こそ、非現実的ではないか。それは際限ない軍拡競争を生み、武力衝突の危険性を高める。むしろ、非核や武器禁輸といった政策を強化し、国際的な軍縮・軍備管理の枠組みに発展させていくことこそ、現実的で持続可能な安全保障政策というべきである。北東アジアの非核地帯化や、国際的な武器貿易管理の強化、先端技術の軍事利用の規制などを進めることは、日本自身の安全保障にも資するものである。
一方で、日本の平和主義には、沖縄への米軍基地押し付けへの自覚やアジア諸国への加害認識の薄さ、ジェンダー平等への取り組みの弱さなど、更新されるべき点が少なくない。市民社会に求められるのは、こうした課題に取り組む中で、平和主義を鍛えていくことではないか。
本年5月、日本の国連加盟70周年記念行事でグテーレス事務総長は、日本がこれまで「平和の提唱者」でありつづけてきたとして、原爆被爆者の活動をたたえた。同じ場で講演した中満泉軍縮上級代表は、1956年に国連加盟にあたって重光外相が行なった演説を紹介した。「日本国民は……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意し、更に……全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利を有することを確認するものであります」。まさに憲法前文である。いま日本の平和主義を消し去るのではなく、危機に瀕する多国間協調の復活へと活用し、それによって真に持続的な安全保障を構築する。そのための重要な役割を、私たち日本の市民は果たすことができるはずだ。




