原発事故を忘れはじめた司法
毎日のように膨大な情報が頭の上を流れていく今日、ほんの一五年前の危機の記憶も一緒に流されていくのだろうか。まるで福島原発事故は終わったかのような社会的雰囲気が形成され、「原発依存度を可能な限り低減する」としていた政府方針は、「最大限活用する」に変更された。今回の衆議院議員選挙では、原発の是非は争点にすらならなかった。しかし、一五年前、日本は崩壊の危機にあったのだ。首都圏を含む四五〇〇万人が避難を余儀なくされる事態が予想されていた(原子力委員会近藤駿介委員長が作成したいわゆる「最悪のシナリオ」)。そしてこれを免れたのは、科学の力や人の努力ではなく、偶然の所産、天啓のごとき幸運だったのだ。当時、「第二の敗戦」とまで言われたことも記憶の彼方となり、今なお故郷に帰ることができない数万の人々、甲状腺がんに罹患した四〇〇人を超える若者たち、そして体調不良に苦しむ多くの人たちのことに、この社会は敢えて目をつぶっている。
二〇一一年の福島原発事故の後、それまで原発の運転を容認しつづけた司法に対しても厳しい目が向けられ、司法判断が変わることが期待された。そして、その兆しはあった。福島原発事故後、原告住民の勝訴判断は、仮処分決定が四件、本訴判決が四件の合計八件に及んだ。
しかし、その流れが、変わりつつある。二〇二五年一月から二〇二六年一月までに全国の裁判所で、四件の行政訴訟判決、五件の民事訴訟判決、二件の仮処分決定が出されたが、すべて原告住民が敗訴した。
司法は福島原発事故前に回帰しようとしているのか。福島原発事故の記憶をどのように裁判に活かそうとしているのか。










