【新刊】『学費値上げに反対します――学生たちの生活と主権』

佐藤雄哉 (東京大学大学院教育学研究科博士課程在学)、金澤 伶 (東京大学教養学部後期課程国際関係論コース在籍中、会社員)
2026/03/13

〈本の概要〉今、次々に学費値上げが強行されている。だが、これで終わりではない。学べることが当たり前の社会を築くため、私たちにできることとは――「声を上げざるを得ない構造」に抗い、未来を諦めまいとする学生たちの希望の営み。(編著:佐藤雄哉 金澤 伶)


※この記事は、2026年3月20日発売『学費値上げに反対します――学生たちの生活と主権』(地平社)のあとがき(佐藤雄哉)です。

 本書の執筆に着手したのは、2025年4月のことでした。本書を執筆している最中にも学費問題をめぐる状況は、ますます厳しさを増していました。国立大学だけにしぼっても、名古屋工業大学、埼玉大学、山口大学、電気通信大学が授業料を年間約10万円値上げし、熊本大学がその後に続こうとしています。また文部科学省が、博士課程の学生を対象として生活費などを支給する次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)を「日本人」に限定する決定をし、それに続くように留学生のみを対象とする授業料値上げ方針を発表する大学も現れました(東北大学[年約40万円]、筑波大学[年7万3000円]、広島大学・早稲田大学[上げ幅未定])。さらに京都大学は、独自の入学料・授業料減免制度の縮小・廃止を決め、筑波大学は、学生宿舎の寄宿料を最大約2.1倍に値上げすることを発表しました。こうした困難な状況に対峙するうえで、本書が少しでも参考になればと願っています。

議員会館前同時スタンディング(中村眞大撮影)

 本書を編集・執筆した動機は「序章」の冒頭で「学費をめぐる不公平を随所で体験していた私」と記したように、私の個人史と切っても切り離せません。そのため、ここでは私の体験について書くことから始めさせてください。

 私は小学生の頃、ドライブのときに父が座る運転席と母が座る助手席のあいだのスペースにおさまり、外の景色を眺めるのが好きでした。あるとき、そこで両親に小学校を卒業したあと、どうなるのかを聞いたことがあります。父は「別に勉強したくなかったら高校に行かなくてもいいんだよ。高校は義務教育じゃないからね」と語っていました。そのとき私は、実際に父が中学校を卒業してすぐ工場で働いていたので、そういうものだと思っていました。

 その後私は、両親の離婚によって母子家庭で育ちます。引っ越した先の私が通うことになる中学校は、当時近所では「ガラが悪い」と言われていて、学校選択制の影響からか校区の小学校から進学してこない人が多く、1学年80人ほどしかいませんでした。

 ここで多くの大切な出会いがありました。私と同様に母子家庭に育つ同級生、両親が蒸発し、親族に育てられている同級生、ステップファミリーに育つ同級生、グループホームで育つ同級生たちとの出会いです。その同級生たちと家庭での悩みを話していると、自分がまだ比較的恵まれた環境にいることがよく分かりました。この中学校で私は、必ずしも裕福ではない同級生たちとともに自衛隊に職場体験として1週間体験入隊しました。職場体験の趣旨とはズレるのでしょうが、「経済的徴兵制」のひとつの側面を実際に体験することができました。

 学校での一斉進路指導のとき、先生が早稲田大学を例に挙げつつ、大学への進学も見据えて高校を選ぶよう言いました。私の友人が突然立ち上がって尋ねました。「先生! ワセダって何?」。この友人をはじめ中学校の頃の私の同級生は、それなりの割合で大学とは無縁な生活をしています。私には、日本社会の周縁に追いやられたあの同級生たちこそ、よりよい生き方、よりよい社会を深く追究するという意味において、大学を必要としていたのではないかと思われてなりません。

 私が学費問題に直面したのは、この頃でした。母に「お金がないから受験するのは都立高校だけ」と言われたのでした。私は、当時私立高校に行きたかったわけではなかったのですが、ふと入試に落ちたら浪人か働くかを選ばなければいけないことに気がつきました。幸い祖父母が資金援助をしてくれたので私の場合は安心できましたが、経済的に厳しい同級生はどう思って公立高校を受験するのだろうと、しこりが残りました。

 高校卒業後どうしても家を出たくなって突然に実家を出ました。母は、祖父母の協力のもと私立大学の高い学費を払ってくれただけでなく、仕送りもしてくれました。しかし当時の私はできるだけ母に借りをつくりたくないと思っていたので、仕送りには手をつけず、居酒屋、学習塾、単発バイトなどで家賃や生活費を稼ぎました。大学独自の給付型奨学金の存在を知ったのは3年生のころで、すぐに申し込み、卒業まで受給することができました。「もっとはやくこの制度を知っていたら、もっと勉強できたのに」と思いました。私も忙しかったですが、私以上に働いている学生もいました。私の友人はいつも夜勤で、授業中よく寝てしまい、課題をこなすのに苦労していました。しかもとうとう学費を期限内に振り込むことができず、1年分の単位がすべて認定されずに留年してしまいました。こんな理不尽があってよいのかと愕然としたことを覚えています。

 大学で学んでいると、父が中学校を卒業する1980年代半ばにはすでに高校進学率が9割を超えていたことを知りました。私は、父が本当に就職することを望んでいたのかが気になりました。とはいえ「離れて暮らして久しい父親に聞くのもな」と思い、母に尋ねました。母は「お父さんは、家が貧乏だったから高校に行けなかったと言うけど、本当は勉強ができなかったんじゃない?」と答えました。真相は分かりませんが、私はどちらも事実だったのではないかと考えています。それにしても私の父が、貧困で高校に行けなかったと語っていたことには驚きました。やっぱり中卒での就職は望んでいなかったのかもしれないからです。もし本当にそうなのであれば、「経済的地位」によって「教育上差別されない」とある教育基本法が守られなかったことになります。差別の現実は、こんなにも身近で、当たり前と思っていた生活のなかに潜んでいるのかと、このとき気がつきました。

 私は、もっと研究するために大学院に行きたいと考えるようになりました。しかしこれ以上学費の負担を家族に強いることはできませんでした。そこで日本学生支援機構から奨学金を機関保証で借りつつ、学費免除制度のある国立の大学院に進学し、現在に至ります。大学院に来てから今日まで「学費免除が通らなかったらどうしよう」とハラハラさせられています。

 私が大学院に進学した年が、新型コロナウイルス感染症が大流行した最初の年でした。安倍総理(当時)の越権的な一声で全国一斉休校が行われ、ほとんどの大学では5月頃まで入校できず、授業もなし、図書館は6月くらいまで閉まっていました。バイトがなくなった学生も多くいました。しかし大学は学費を例年どおり徴収していたので、多くの学生たちが一律学費半額を求めて運動を起こし、私も参加しました。この運動は、政府から「学生等の学びを継続するための緊急給付金」を引き出しましたが、一律学費半額と比較すると大幅に後退したものでした。しかし「緊急給付金があるのにまだ足りないのか」という趣旨の発言がSNSでみられるようになり、さらに矢面に立っていた主に女性学生への人格攻撃も散見されたため、攻撃を恐れて多くの学生が運動から離脱していき、そのまま半年足らずで空中分解してしまいました。

 それから約4年後「はじめに」の最初に引用した発言を見かけたのでした。伊藤委員をはじめ高等教育の学費値上げに慎重とはいえない人たちは、はたして、貧困や差別のなかで大学進学という可能性すら見えない現実、夜勤でまともに勉強ができず、しかも学費が納入できずに留年させられる現実、経済的な理由で進学できなかった悔しさを自分の子どもにすら語れない現実、そして経済的に厳しい学生が相対的に大きな災害リスクを抱えさせられている現実が見えているのでしょうか。

 本書を刊行した目的のひとつは、この現実を、教育政策・行政関係者、高等教育機関の「経営」に携わる人々に突きつけることでした。この現実を直視すれば、そもそも「じゃあ学費の値上げはやめておこう」で済む話でもないことが分かると思います。本書で皆さんが目の当たりにした現実は、私たちが生きるこの社会において、大学が、高等教育が、そして高等教育に接続するあらゆる教育制度がどうあるべきなのか、さらにはいかなる社会を構想し、それに向けていかに目の前の現実を変革していくのか、そこに教育をいかに位置づけるのかを、私たちに問うているのです。

 とはいえ私たちは、日々の生活に追われています。高等教育や日本社会の行く末よりも、家を掃除しなきゃとか、買い出しに行かないととか、バイトで疲れたからゆっくり寝たいとか、たまの自由時間だから遊びに行きたいだとかの方がよっぽど身近で重大な問題のように思われます。しかしここで見落としてほしくないのは、私たちの身近で重大な問題と学費問題は、密接に結びついているということです。これは経験談なのですが、生活費や学費を稼ぐために働いているから、掃除や買い出しに行く元気がでなかったり、思った以上にたくさん寝てしまったり、反動で勉強を忘れて遊び歩いたりしてしまいます。つまり学費問題は、学生生活のあり方を規定しているのだといえるでしょう。

 であれば私たちはいかに学費問題に取り組めばよいのでしょうか。簡単に答えを出すことはできませんし、私たちも「これでよいのだろうか」と悩みながら実践していました。しかし少なくとも本書における議論は、学費問題について考えるひとつの手がかりにはなると、私は信じています。日々の生活に追い回されてはいても、そのなかで学費問題についてどのような行動が可能でしょうか。読者の皆さんに、学生の主権(=自己決定権)を念頭に置いてもらいつつ、こうした問いに取り組んでもらうことが本書を刊行したもうひとつの目的です。本書がこれらふたつの目的について、どこまで実際に達成しえたのかについては、読者の皆さんの判断に委ねられています。

佐藤雄哉氏(中村眞大撮影)

もくじ

序章——学費問題とは何か 佐藤雄哉

Ⅰ 私たちの権利と学費値上げ
第1章 私「たち」のために学ぶのだから——高等教育の権利保障と学費問題に抗う哲学 田中秀憲
第2章 学費値上げ後の一橋大学の実相 小島雅史
第3章 大学と資本主義の問題——東京大学での学費値上げ反対運動の焦点 渡辺一樹
コラム① 教員との連帯と学費問題の立場性 田中秀憲・金澤 伶

Ⅱ 国立・私立の大学・大学院における学費問題
第4章 国立大学の学費と広島大学における学生運動の可能性 原田佳歩
第5章 地方国立大学で「私」が立ち上がったということ——熊本大学という現場から 関 立雄
第6章 学費問題と私立大学の社会的位置学費値上げに反対する 中大生の会
第7章 人権としての教育、人権を守る教育——ある小規模私大の例 数田雪晴
第8章 研究、運動という抵抗の営み——闘争で大学院生が踊り続けること 唐井 梓
コラム② 大学における「選択と集中」という問題 岩下 知・伊吹信太朗

Ⅲ 学費問題をめぐる諸課題
第9章 大学に入学するまでの学費問題と不平等 五十嵐悠真
第10章 留年、休学に潜む壁——教育から構造的に排除される学生たち 高柳摩季
第11章 中退が脳裏をよぎる学生生活 宮田士暖
第12章 授業料等減免・奨学金における申請主義の問題 羽野陽太
第13章 修学支援新制度の罠 黒木俊彦
第14章 留学生を狙った学費値上げと構造的差別——武蔵野美術大学の現状から 松野有莉・R
コラム③ キャンパスを再び自由の砦に 八十島士希

Ⅳ 私たちができる行動と、その可能性
第15章 学生抜きに、学生のことを決めるな!——学生が主権者として国会へ立つ意義 金澤 伶
第16章 集団での行動の意味 檜田相一
第17章 二〇二〇年代前半の日本国の学術政策とその大学での受容——大学執行部の「適応」と反対派学生の「緩和」 佐野元昭―昭代
第18章 学費値上げ反対運動が高等教育の無償化を展望する意義 佐藤雄哉

終章——なぜ私たちは立ち上がるのか 金澤 伶

あとがき 佐藤雄哉


【編著者】
佐藤雄哉 (さとう・ゆうや)
現在、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。専門は、教育学、教育史、人権教育論。

金澤 伶 (かなざわ・れい)
現在、東京大学教養学部後期課程国際関係論コース在籍中、会社員。「東京大学学費値上げ反対緊急アクション」や、全国有志を募ってロビー活動、難民支援、入管問題に取り組む。ジェンダーと平和II』(法律文化社)がある。


学費値上げに反対します――学生たちの生活と主権
2026年3月発売
四六判並製、232ページ、1980円(税込)
書籍 978-4-911256-42-8

『地平』編集部

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