命の値段に刻まれた差別
長生炭鉱は、宇部空港から車で五分ほどの山口県宇部市床波海岸に位置し、創業当時、宇部近郊にある六〇近い炭鉱の一つだった。
一九三二年に本格的操業を開始し、炭鉱用語で「水非常」と呼ばれる落盤水没事故が起きた一九四二年二月三日まで採掘が続けられた。しかし、それ以前にも何度も坑内に水が溢れる事態が発生しており、危険性を知る地元の人々はここでの就労を忌避していたという。
戦時下の在日朝鮮人を統制・管理するために日本政府が設置した中央協和会の記録によれば、長生炭鉱への朝鮮人連行数は一二五八名。地元の人から「朝鮮炭鉱」と呼ばれていたように、この炭鉱は朝鮮人労働者によって担われていた。
二月三日の水没事故で生き埋めになった一八三名のうち、七割を超える一三六名が朝鮮半島出身者だった。
事故にあった労働者の家族への弔慰金は、日本人には三〇〇円から五〇〇〇円が支払われたが、同じ「皇国臣民」だったはずの朝鮮人にはわずか三〇円程度だった。その上、非情にも会社は水没事故直後に遺族を社宅から追い出し、路頭に迷わせた。
事故後、会社は坑口をさっさと塞ぎ、一八三名は坑道の中に取り残された。葬儀では、アイゴーの声がこだましたという。
事故は、法律で禁止されていた浅い炭層を採掘したことで起きた人災だと言われている。無理やり採炭量を増やそうとして、坑道の天井を支えるために採掘せずに残していた支柱部分の石炭まで採ってしまったことによるものだった。
当時の地元紙は、多大な犠牲者が出ているにもかかわらず、大半が救い出されたと噓の報道をした。そして、殉難碑には、「永遠に眠れ 安らかに眠れ 炭鉱の男たちよ」との碑文が彫られていた。
まるで演歌の歌詞かと思うほどの能天気さだ。そこには責任の所在も、朝鮮人の存在も見えない。そして、帝国日本のいつもの呪文が繰り返されるのだ。「強制連行ではない」「差別はなかった」と。





-1024x678.jpg)



