わたしたちは空間を自分のものにしていく――酒井隆史著『スネーク・ピープル』から

小杉亮子(埼玉大学准教授。博士(文学))
2026/03/05
岸内閣退陣・国会解散要求のジグザグデモ=1960年5月26日、国会前で共同通信社ヘリから(共同通信イメージズ)

静かなキャンパス

 わたしは、社会運動を研究する研究者として、ふだんは国立大学で働いている。これまで、一九六〇年代の日本で拡大した学生運動と、これに関連する社会運動史に関心を寄せて、研究してきた。

 学生運動が興味深い理由は多々あるのだが、わたしがとくに調べてきた東大闘争(一九六八年から一九六九年を中心に、東京大学で発生した学園闘争)について言えば、学生たちが掲げた「自己否定」「大学解体」というスローガンに表れている、自身の立場性に対する根源的な問いかけ、そして、かれらが実践したキャンパス占拠や授業ストライキといった抗議の方法が、とりわけ興味深いと思う。

 ひるがえって現在の日本では、わたしの勤務先に限らず多くの大学で、大規模なキャンパス占拠や長期間の授業ボイコットはあまり起こりそうにない。学生の自治会活動についても、一九六〇年代のようには活発ではない。わたしはこれが、学生たちが政治や社会にたいして無関心である故だとは考えない。社会運動や現代社会をテーマとする授業で学生が提出してくれる感想を読めば、かれらが社会的不平等や、ジェンダーやセクシュアリティ、エスニシティをめぐる差別、気候変動といったものにたいする感度を持っていることがわかる。そうだとすれば、もしかしたら、学生たちは大学や社会にたいする異議を抱えながらも、キャンパスを我が物として占拠するという抗議手段を選べていないのかもしれない。そして、それはそもそも、自分たちがそこで組織化し、議論や実践をとおして問題意識を深めていくような自分たちのための空間としてキャンパスを受け止められていないからかもしれない。

 いったいわたしは、キャンパスが学生のものであると、身振り態度で学生たちに伝えられているだろうか。また、学生たちが自由になれる空間としてキャンパスを維持することにわたしは役立っているだろうか。こういったことが、大学で働く者として気にかかっている。

 一九六〇年代の学園闘争は、教職員の視点に立てば非常に大変な事態だったと想像はされるのだが、正直なところ、一九六〇年代当時と同じぐらい、学生はキャンパスで自由に振る舞ってもいいのでは、と思う。が、実際には、勤務先の大学であれば、学生が三六五日二四時間どの建物にも自由に入れるわけでもなく、キャンパス内にはさまざまなコードが存在する。どの大学であれ、学生の自由は、それを確保しようとしていかないと、おそらく収縮する一方だ。もちろんそのときになれば、わたしのような年長者が「自由に振る舞っていい」とか「振る舞ってダメ」と言わずとも、学生は自由にやりだすのではないか、と思うし、こちらがそういうつもりでいることも大切なのだが。

空間を自分のものととらえる感覚

 このことと関連して、近年の社会運動をとりまく、自己抑制をよしとする雰囲気も気にかかっている。二〇一〇年代以降現在に至るまで、東日本大震災時の東京電力福島第一原発事故をきっかけとした反原発・脱原発運動、二〇一五年の安保関連法制反対運動、入管問題への抗議行動、ガザ反戦を訴えるデモなど、さまざまな抗議活動が活発になっている。同時にそのなかで、抗議活動への支持を広げるために、活動の遵法性を強調する傾向が見られるように思う(1)。抗議や異議申し立ての声を上げようとする運動が自己抑制の必要性を意識し、統治者側の視線を内面化している傾向は、わたしが教える教室とも、おそらく残念ながらわたし自身ともつながっている。

(1)ただし、このことが抗議行動参加のハードルを下げているのはたしかであり、その背景には公安条例の存在など日本の法制度による運動への厳しい抑圧がある(大野・小杉・松井 二〇二五: 七‐八)。こうした社会状況のなかで、本稿で取り上げる『スネーク・ピープル』の主役であるジグザグデモのような直接行動をどのように考えるか、という点について社会運動史の観点から議論された、阿部小涼や酒井隆史らによる座談会の記録「運動史から考える直接行動」も、『スネーク・ピープル』とあわせてぜひ読んでいただきたい(阿部ほか 二〇二三)。

 社会運動をテーマとする授業で、一九六〇年代の学生運動を取り上げるときには、当時の様子を学生たちに知ってもらうために、当時の報道の映像などを見せることがある。そのとき学生たちは、東大闘争の様子に驚嘆し、闘争の争点をわたしが説明すれば、当時の学生たちの道理を理解する。しかし同時に、大勢の若者がうねり走るデモのシーンや機動隊との攻防のシーンにたいしては恐ろしさを感じたり、「そこまでやらなくていいのでは」と抑制の必要性を指摘したりもする。このように運動の行動をある種の「やり過ぎ」だと受け止める心性は、「運動が周囲に迷惑をかけていないか」を気にする感覚ともつながっており、これらはわたし自身を含めた多くの人にも食い込んでしまっているように思う。

 こうした状況に対し、酒井隆史が昨年出版した『スネーク・ピープル──ジグザグデモ、あるいは戦術の系譜』(洛北出版)を読めば、社会運動史のなかに、空間を自分たちのものとみなし、今よりずっと自由に、そして周囲の人にかける「迷惑」を顧みずに、振る舞っていた人びとの具体的な姿をいくつも見出すことができる。一九六〇年代の学生運動参加者がキャンパスを占拠した感覚も、ここに登場する人びとのそれに連なっていたはずだ。

 それは、キャンパスであっても、道路であっても、国会の前であっても、意思や抗議を表明するために、あるいは自分たちはそうすることができるということ自体を示すために、その空間が自分のものであるかのように振る舞っていい、という感覚である。なぜなら、目の前の空間を自分のものとし、自由に振る舞うことによって見えてくる社会の裂け目があるから、である。

ジグザグデモの近現代史

 『スネーク・ピープル』は、一九二〇年代から一九六〇年代までの日本で、ジグザグデモがたどった過程を描く。ジグザグデモでは、参加者がスクラムを組みながら隊列を構成し、腰を低く落とし、「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声をかけながら、蛇行して道路を進む(酒井 二〇二五: 三二‐三三)。日本では、一九六〇年代まで、フランスデモ(参加者が手をつないで道路いっぱいに広がるデモ)、デモが停止しその場に参加者がへたり込むことによって道路を占拠する坐り込みと組み合わさって、ジグザグデモは、民衆のデモンストレーションの主要な形態だった(同:一二一‐一二三)。

 新聞記事や各種文献・資料を用いた酒井の検証によれば、ジグザグデモの歴史は戦前にまで遡る。それは、一九二〇年代半ばに、労働運動が活発だった大阪もしくは関西地方で、労働争議で警官に手を出されにくくすることを意図して発明された可能性が高いという(同:二七七)。太平洋戦争が敗戦で終わると、その直後から再び、ジグザグデモは活発に姿を現し始めた(同:六六‐七四)。

 そして、ジグザグデモは一九五〇年代に「黄金時代」を迎える。各地のメーデーや炭鉱労働者や繊維労働者などによる労働争議、砂川闘争、教員たちの勤評闘争などにおいて、人びとは盛んにジグザグデモで道路を占拠した(同:一四二‐二五八)。本書に収められている、黄金時代のジグザグデモの記述やその様子を写した写真、ジグザグデモから生まれた絵や詩歌には、心が躍る。

 その後の六〇年安保闘争は、日本の近現代史上最大規模の抗議行動であり、ここでもジグザグデモはおこなわれた。しかし、安保改定に反対する運動を束ねていた安保改定阻止国民会議は、闘争の途中からジグザグデモを「自主規制」することにし、とりわけオブザーバーとして国民会議に参加していた日本共産党はこれを激しく攻撃した(同:一一二‐一一三)。実際のデモでは、ジグザグデモをはじめとした突出した行動をとっていた全学連主流派およびそれを支持する人びとと、そこには合流しようとせず「整然」とした行動をとる人びとに分かれることになった(同:一一九‐一二〇)。

 さらに本書は、一九五八年ごろからジグザグデモに対する風向きが変わり始めていたことを指摘し、その背景に分け入っている。このころから、ジグザグデモをうっすらと嫌厭する知識人やマスメディアだけでなく、かつてはジグザグデモを称揚していた日本共産党とその周辺の知識人、党の支持者が、『アカハタ』の記事などをとおして、ジグザグデモを批判していったという。

 ジグザグデモが批判される理由には、ジグザグデモがその行動の強度によって参加者の幅を狭めている、「ワッショイ」といった掛け声や動きが祭りのようで近代的ではないといった点に加え、なにより交通妨害などによって市民に迷惑を及ぼすというものがあった(同:三一五‐三二〇)。

 こうして、運動のなかから自主規制の動きが出始めたことが、国家・警察による上からのデモ規制強化を呼び込み、ジグザグデモは退治されることになった(同:三八二‐三八六)。現場にいる人びとの自主的で、上からの統率を超えていく動きを警戒し、それを規制しようとした運動の上部が、運動の首を締めてしまったのだ(2)

(2)なお、本稿が掲載される『地平』の特集は「社会運動から再起動する」と聞いている。『スネーク・ピープル』および酒井の近年の著書(酒井 二〇二三など)を踏まえると、酒井が必要だと考えているのは「社会運動からの再起動」よりは「民衆からの再起動」であるように思う。そのため、本稿で社会運動史というキーワードのもとで論じられることに、酒井自身は違和感を持つかもしれない。ここで紹介しているように、『スネーク・ピープル』の重要なトピックのひとつは、ジグザグデモ衰退のきっかけを、六〇年安保闘争前後の日本共産党の動きから批判的に説明する点である。前衛党のような、社会変革のためのプログラムを掲げる運動とそこに参画する知識人層はときに、プログラムを進めるための戦略を優先するあまり、民衆の自主的な動きを警戒することがある。酒井はこのことを厳しく批判し、戦略に対して、人びとの抗議における具体的な動きである戦術を対置し、後者に重きを置いている。

空間を占拠することの意味

 ジグザグデモは道路いっぱいにうねり、自動車や市電の通行を止める。このような大衆的示威行動は、日常にある人びとの行き来やそれによる社会の運行を一時的に遮断する。そうすることによって、大衆の力を示し、「だれがこの世界を本当に動かしているのかをあきらかにし、同時に、その基盤的存在の威嚇による裏打ちをもって、要求をつきつける」(同:一三五)。

 空間を占拠して社会の運行を遮断するものなのだから、ジグザグデモが周囲の人びとにとって迷惑なのは、自明の前提である。それなのに、運動の側が周囲への迷惑を理由に自主規制をしてしまったのは、デモの力を掘り崩す行為だった(同:三二三‐三二四)。

 ジグザグデモに関する記述を読みながら、わたしは東大闘争の学生たちがおこなった、キャンパス内の各建物のバリケード封鎖や授業ストライキを思い起こしていた。東大闘争にはさまざまな政治的立場の学生たちが参加していたが、日本共産党や新左翼党派に連なる学生たちに加え、のちに「ノンセクト・ラディカル」と呼ばれるようになる、政治党派とは関係は持たないがラディカルな思想・行動をとる──それによって新旧左翼の活動家学生たちの思惑を超えていってしまう──学生たちが多くいた点が特徴的である。ここにも、政治党派の指導によらない、下からの民衆的動きがあったといえる。

 学生たちが授業をストライキしていた期間は学部ごとに異なるが、短い学部で二カ月ほど、長い学部で一〇カ月ほどにわたった。これだけの期間、授業がないのだから、当然、進級や卒業にも影響しただろう(実際、卒業が六月にずれこんだ、という話を聞いたことがある)。就職にも影響しただろう。大学で闘争よりも勉強をしたかった学生たちにとっては、ストライキは「迷惑」だっただろう。

 しかし、迷惑だったとしても、東大闘争に参加した学生たちにとっては、建物を封鎖・占拠し、通常の授業の運行を止めることが重要な意味を持っていた。かれらは占拠した建物のなかで、議論や抗議活動の準備をおこない、さらには食事や仮眠をとった。そこに、高校生や他大の学生、労働者も出入りした。キャンパスの占拠は、教職員の手から学生の手にキャンパスの管理権を取り戻す行為であり、通常の授業を停止させ、これまでとは異なるキャンパスのありかたを具体的に示す学生たちの行動そのものが、現状の東大に対する強い批判になっていた(小杉 二〇一八)。たとえば、東大全共闘が発行する「共斗会議ニュース」は、次のように書く。

 我々はこれ(引用者注──国家権力と資本の論理に包摂された大学における支配秩序)に対し、我々の手による強力なバリケードを持ってその醜悪な支配管理機能を麻痺させ、決定的な打撃を与えていくと同時に、そのバリケードの中に於て我々自身の中にも反映された現体制の醜悪な論理を止揚し、強固な自己権力を構築する中から新たな創造的な運動を構成しなければならない。
 ……無期限ストを斗う全学の学友諸君! バリケードの中に自主カリキュラムを組織し、真に創造的な斗争斗争(原文ママ)の質的飛躍を勝ち取ろう!

(「共斗会議ニュース No・8」東大闘争全学共闘会議、一九六八年九月二八日、『東大闘争資料集 DVD増補改訂版』五巻所収)

 ここには、占拠した大学のなかで、自主カリキュラムによる、オルタナティブな学びと運動をつくろうとする、自治的な学生たちの動き──少なくともそれを目指していた姿──が見出せる。

 空間を占拠し、日常の機能を堰き止め、別様の社会・政治のありかたを要求する。一九六〇年代の学園闘争とジグザグデモは、この点において共通する。だからこそ、東大全共闘に集った学生たちは、自分たちの要求を実現させられないまま闘争が収束してしまうと、通常の運行に戻ったキャンパスで授業を受けるかどうかに深く悩んだのだった。

 過去の社会運動から現在のわたしたちが学べることは多くある。それは、具体的な闘い方かもしれないし、運動の蹉跌や誤りかもしれない。なかでもシンプルなものに、わたしたちが持つ行動への可能性を学ぶことがあるように思う。『スネーク・ピープル』で描かれたジグザグデモは、わたしの心を踊らせた。人びとが目の前の空間が自分のものであるかのように自由に振る舞っていた時空間が過去から立ち上がり、「わたしたちにはこのような可能性もある」と教えてくれたからだ。

 もちろん、そうした運動の振る舞いを「迷惑」とまなざしてしまう、長年のあいだにわたしたちに染み付いてしまった心性には注意が必要だし、こうした心性はたしかに、一九七〇年代以降学生運動が縮小してきた要因のひとつだったはずだ。とはいえ、空間を自分のものとするような運動が今後生じないわけでは、けっしてない。『スネーク・ピープル』はむしろ、空間を占拠する運動の現在の実例とその広がりにも触れている。

 これからも、わたしたちは空間を自分のものとし、自由に振る舞う人びとによる運動に出会うだろう。そうだとしたら、「社会運動の復権」を言うとき、運動の行動を「迷惑」と捉えるような認識枠組みから身を引き剥がし、自由な身振りが持つ意味を社会運動史から汲み取ることには価値があるのではないだろうか。

文献
・阿部小涼・酒井隆史ほか「座談会 運動史から考える直接行動」大野光明・小杉亮子・松井隆志編『直接行動の想像力──社会運動史研究五』新曜社 二〇二三年、一五‐四一頁。
・大野光明・小杉亮子・松井隆志「運動史から直接行動を語りなおす」、前掲書、六‐一四頁。
・小杉亮子『東大闘争の語り──社会運動の予示と戦略』新曜社 二〇一八年。

酒井隆史『賢人と奴隷とバカ』亜紀書房二〇二三年、『スネーク・ピープル──ジグザグデモ、あるいは戦術の系譜』洛北出版 二〇二五年。 

小杉亮子

埼玉大学准教授。博士(文学)。専門は社会学。著書に、『東大闘争の語り:社会運動の予示と戦略』(新曜社)、『闘う一九八〇年代』(共編著、新曜社)など。

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