米国は長年にわたる経済制裁を通じ、イランの反米体制を崩壊の瀬戸際まで追い込んでいる。二〇二五年末にイランの首都テヘランで発生し、その後、全国各地に及んだ抗議デモは、米国による徹底的な制裁により生活を圧迫されてきたイラン国民の忍耐が、今や限界に達していることを示した。
経済制裁によってイラン国民を追い詰めて反体制蜂起を促し、イランのイスラム共和国体制を内側から揺さぶることは、第一次トランプ政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたジョン・ボルトン氏が公然と掲げていた目標であった。
トランプ大統領は二〇一八年三月にボルトン氏を大統領補佐官に任命し、同年五月には、オバマ政権下で成立したイラン核合意から離脱した。その際に、トランプ大統領は核合意の成立に伴い解除されていた制裁をすべて復活させるとともに、イランに対してさらに強力な圧力を課していくことを宣言した。
トランプ大統領の主張は、米国は最大限の圧力によってイランを屈服させてみせる、とするものであった。具体的には、イランに対し、ウラン濃縮の放棄と弾道ミサイル開発の停止、およびヒズボラやハマスなどの「テロ組織」の支援停止などを求めた。しかし、イランはこれを米国による不当な要求と見なし、米国の最大限の圧力に対しては最大限の抵抗で応じた。二〇一九年に、ホルムズ海峡近辺では日本を含む様々な国のタンカーが攻撃を受けて炎上し、サウジアラビアの石油施設も何者かによる攻撃を受けた。これらの攻撃主体は不明なままであったものの、イランが関わっている可能性が高いと指摘された。イランは二〇一九年六月には実際に、領空侵犯を理由に米軍の無人機を撃墜した。
一連の「最大限の抵抗」によって、イランは激動のトランプ政権期を乗り切ったかのようにも見えた。しかし、イラン産原油の取引を含むイランとのあらゆる取引を対象とするトランプ政権の制裁は、徐々に、そして着実に、イラン経済を蝕んでいった。制裁下で様々な取引は水面下にもぐり、往々にして体制に近い、制裁回避ビジネスに関わる者が富を蓄えるという構図も定着した。トランプ政権による最強のイラン制裁は、一般国民と体制の有力者(およびその取り巻き)との間の亀裂を深めた。




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