【連載】Sounds of the World(第11回)ディスコ・マグレブ

石田昌隆(フォトグラファー)
2025/04/04
ディスコ・マグレブ(1991年1月1日)©️石田昌隆

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 フランス北部、ベルギー国境に隣接しているトゥールコアンにあるアラブ世界研究所(Institut du monde arabe-Tourcoing)で、2月27日から7月27日まで「Ya Rayi! Une histoire de la musique raï」という、ライ(Raï)音楽の歴史を辿った展覧会が開催されている。そこに、私が1991年1月1日に、アルジェリアのオラン(Oran)で撮影したディスコ・マグレブの写真が大きくプリントされて展示されている。

 オランは、アルジェに次ぐアルジェリア第二の都市で、アルベール・カミュが書いた小説『ペスト』(1947年)の舞台でもあった。カミュは当時、オランに住んでいたのだが、この大作にひとりのアラブ人も登場しないことに驚く。アルジェリアが独立したのは1962年で、それ以前はピエ・ノワール(Pieds-noirs 黒い靴を履いている入植者)というフランス人を中心とする欧州人が100万人も住んでいて、オランでは住民の50%がフランス人だったこともあるという。イヴ・サン=ローランはオラン生まれ、ジャック・デリダ、ジャック・アタリなどはアルジェ生まれのピエ・ノワールだ。彼らの大半は独立前にフランスに引き揚げていき、私が訪ねたオランは、ベルベル系など少数民族も見かけたが、ほぼアラブ人の街だった。

 ライは、1920年代にオラン近郊の小さな羊飼いの村で生まれた音楽だ。〝ライのおばあちゃん(la mamie du Rai)〟として敬愛されているベドウィン出身の歌手、シェイハ・リミティ(Cheikha Rimitti)は、アルジェリアの若い女性にセックスを勧めた曲〈Charrak Gatta〉(1954年)で知られるようになり、イスラム教の保守派を怒らせた。この時代のライはタムタム(シェイハ・リミティはダルブッカのことをタムタムと言っていた)と笛による演奏で歌う音楽だった。

 オランは、アルジェとは異なり、イスラム圏でありながら因習にこだわらない自由な風土があり、ライはオランで発展した。80年代後半には打ち込みによるビートとキーボードなどによる伴奏で歌手が歌うようになり、何人ものスターが生まれた。なかでも象徴的な存在が、シェブ・ハレド(Cheb Khaled)と、シェブ・ハスニ(Cheb Hasni)。ふたりともオラン出身である。

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石田昌隆

1958年生まれ。フォトグラファー。新刊『ストラグル Reggae meets Punk in the UK』が出ました。1982年にニューヨークでザ・クラッシュを撮影した写真に始まり、2023年にひとりでカメラ機材やテントや寝袋を持って飛行機に乗り、ロンドンと音楽フェスが行なわれたイースト・サセックス州を訪ねたときまで41年間の記録です。

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