迷走するドイツ──イスラエル批判を抑圧する言論環境とその形成

本田 宏(北海学園大学法学部教授)
2025/01/05

 2023年10月のハマスの武装勢力による襲撃を直接のきっかけに始まったイスラエル軍の報復攻撃はガザ地区に深刻な人道危機をもたらしており、レバノン侵攻にも拡大した。ところがドイツではイスラエルへの批判を表明した文化人やパレスチナ連帯デモが「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られ、様々な弾圧を受ける事例が頻発している。

 ドイツはこれまでナチスの歴史経験にもとづき、イスラエルやユダヤ人への補償、歴史修正主義との戦い、ヘイトスピーチ規制、連邦や州が推進する政治教育を行なってきたことが好意的に紹介されてきた。しかし現在の言論弾圧は、ドイツの「反ユダヤ主義との闘い」に別の顔があることをうかがわせる註1

1  弾圧

 2023年10月以降、パレスチナ連帯デモはたびたび弾圧を受けてきた。弾圧の口実に最もよく使われるのは、イスラエルとパレスチナが位置するヨルダン川と地中海の間を表す「川から海へ」という言葉である。特に「パレスチナは自由になる」という言葉を加えたスローガンを連邦内務省は「イスラエル国家の生存権の否定」とみなしている。警察はこの解釈に依拠し、ヘイトスピーチ規制のための法規を適用している。しかし連邦憲法裁判所は「発言に対して複数の解釈が可能な場合、一般に処罰されない解釈が選択されるべきである」という判例上の原則にもとづき、文脈を重視しており、警察の判断を覆すこともしばしばである。

 デモに対する弾圧はマスメディアによっても行なわれる。イスラエル支持を社則に掲げるアクセル・シュプリンガー社の新聞(『ビルト』、『ヴェルト』)のみならず、公共放送もイスラエル寄りのバイアスが強い報道をつづけている。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリはドイツでも好意的に評価されていたが、2023年10月以降、彼女がパレスチナ連帯デモに参加するようになると、主要メディアや政治家から激しい糾弾を受けるようになった。

 2024年5月には、ベルリン自由大学の構内で抗議テントが排除された。大学当局は警察に出動を要請する前に対話を試みるべきだったとベルリンの複数の大学に所属する教員が抗議声明を出すと、タブロイド紙の『ビルト』は賛同教員のうち十数名の顔写真を掲載して「犯罪者」だと非難する記事を出した。さらに声明賛同者への助成停止の可能性が自由民主党所属の大臣の下、連邦教育省内で検討されていたことを示すメールが報道で明るみに出た。

 国家や団体による助成停止は文化活動や市民活動の領域に広がっている。例えばベルリンの文化センターであるオユン(Oyoun)は脱植民地主義、性的少数者、フェミニスト、移民の視点を重視しており、ハマスによる襲撃の犠牲者とイスラエルによるガザ空爆の犠牲者の両方を追悼するため、平和団体「中東における正義の平和を求めるユダヤ人の声」が企画したイベントを11月に開催しようとした。これに対しベルリン州政府は中止を求め、最終的にオユンへの助成を停止した。さらに州政府は2023年12月、文化助成の基準として「反差別条項」を導入した。これはあらゆる差別や「反ユダヤ主義」への反対、イスラエルの存在の承認などを誓約する署名を助成の申請者に義務づけるものである。だが文化業界からの反発が激しく、州政府は2024年1月、法的根拠の不確実性を理由に同条項の適用停止を発表した。

 また2024年2月に開かれたベルリン映画祭では、ヨルダン川西岸のパレスチナ人の村がイスラエルによって破壊される光景を扱った映画『ノー・アザー・ランド』が最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したが、その授賞式ではパレスチナ人の映画監督がガザで人々が「虐殺されている」としてドイツに武器輸出の停止を求め、イスラエル人の共同監督はパレスチナ人が権利を奪われている「アパルトヘイト」状態に言及した。ベルリン市長(キリスト教民主同盟所属)をはじめとする政治家たちは一斉に非難の声を上げ、映画祭への助成の停止を求める声も出た。

 連邦内務省の『2017年反ユダヤ主義報告書』によると、2001年から2015年まで年平均1414件あった反ユダヤ犯罪のうち、右翼政治的動機のものは91.2%を占めたのに対し、左翼政治的動機のものは0.4%、「外国人」によるものは5.7%、「その他」は2.7%にすぎない。にもかかわらず警察の主要な標的は後の三者にまたがるパレスチナ連帯のデモや集会である。外国出身在独ユダヤ人が主導する「中東における正義の平和を求めるユダヤ人の声」は主催団体として様々な弾圧を受けている。ドイツにおけるユダヤ人の「生活」(集団・文化)を守る名目で、実際は極右政権下のイスラエルの国益を守るため、ドイツ在住ユダヤ人が非ユダヤ系のドイツの政治家や警察官、メディアに弾圧される矛盾がある。

2  イスラエル批判を許容しない言論環境の形成

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本田 宏

(ほんだ・ひろし)北海学園大学法学部教授。1968年生まれ。 北海道大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。研究テーマは反原発運動、労働運動、社会運動の政治理論。著書に『脱原子力の運動と政治』(北海道大学出版会)、『脱原発の比較政治学』『参加と交渉の政治学』(ともに法政大学出版局)『比較政治学事典』(丸善出版、「社会運動」の章担当)がある。

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