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原理主義とテロリズム
今から8年前の二つの記憶についてまず述べよう。
世界中からの訪問客で賑わうベルリンのクリスマス市場に大型トラックが突っ込むテロ事件が起こったのは、2016年12月19日の20時すぎであった。13人の死者の国籍は7カ国、重軽傷者は170人に及んだ。
発生直後の凄惨な現場でわたしが目撃した記憶のひとつは、自動小銃の引き金に指をかけた警察官の姿であった。この情景はベルリンの壁が崩壊して以来、ほぼ見られなかったものだ。かつて東西に分断されたベルリンでは国境の壁と、国境の鉄道の駅でも東独の国境警備兵がこの姿勢で巡回しており、無許可の越境者はその場で銃殺された。この血にまみれた歴史(死者は最低で140人)の記憶はドイツ市民に国家分断の記憶として刷り込まれている。
もう一つはこの事件の少し前、同年11月9日の記憶だ。この日の朝、わたしは東京からベルリンへ帰宅のために羽田空港の待合室で、前日のアメリカの大統領選挙の結果が「トランプ氏有利の情勢」との報道に接した。ロシア上空を経て着いた中継地のヘルシンキ空港では、ドイツ紙が、東京の街頭で新聞の号外が配られている写真とともに「トランプ当選」を伝えていた。アメリカ社会もついにポピュリズム・大衆迎合主義に屈したのか、困ったものだと思った。
そして現在、この二つの記憶がより深刻な歴史の場面として回顧される。あれは世界大戦終結以来の危機の始まりであったのだと。8年後の今、ガザにおける2023年10月7日の大規模で凄惨なハマスのテロ攻撃が、反撃するイスラエル保守政権の正規軍の国家テロを挑発し、無辜のパレスチナ人市民が虫けらのように殺傷されつづけている。開戦時、わたしはとっさに1943年のワルシャワゲットー蜂起を想起した。絶滅収容所への最後の移送を前に、残されていたゲットーのユダヤ人が蜂起したが、ナチス占領軍により徹底的に殲滅された歴史だ。80年後の今、かつての被害者が逆に占領者として殲滅戦を遂行することになりはしないかと危惧した。昨日の被害者が今日の加害者となるパラドックス・背理の歴史の再現となりそうだと。事実、この大規模で凄惨な戦争犯罪は現在も続いており、大規模な中東戦争へと拡大しつつ、停戦の見通しもつかない。
この争いの根は深い。イスラム原理主義とユダヤ教原理主義の武力衝突でもあるからだ。宗教的原理主義が追い込まれてテロを生み戦争となる史実は世界史に古くから無数にある。近年でも9.11のアルカイダによるテロがアフガニスタンでの長い泥沼の戦争となり、いまだに多くの無辜の犠牲者と難民が出つづけている。
日本では、幕末の尊皇攘夷思想から生まれた天皇制原理主義(「八紘一宇」)の「暴支膺懲・鬼畜米英」が、つい80年前には社会の常識であった。他民族への蔑視と憎悪を疑わず、南京陥落を提灯行列で祝った市民が、ついには米軍の無差別空襲で文字通り虫けら同様に殺された。
13歳で大阪の大空襲を生き残った作家の小田実氏の原体験はこの死者の臭いであった。大食漢の彼もサケの缶詰だけは終生嫌った。今のガザの市民は昨日の日本の市民の姿である。そして今、ガザでは死臭の中で、日々多くの「小田少年」が生まれているに違いない。